Holiday~硝煙臭いファッション・ショー~
揺れる車内。
聞き覚えのない男たちの声。
視覚を目隠しされたうえで、なにかベルトのようなものまで巻かれて封じられている。
目は生命線であった。今まで鉄火場を乗り越えてきた権能の数々は黄金の双眸が根源であった。耳には線をされて声もやっと聞こえるくらいだ。それでも監視と警戒で銃口が向けられているのは察することができた。殺気を感じ取れたのは死線を掻い潜ったことで、第六感が発達したことに他ならないからか。
――どうして、こんなことになったんだっけ。
記憶をたどる。どういうわけか鈍痛が燻る頭で。
そうリッツ・ロンドンをヘンリエッタと一緒に出たときまで――。
◆◇◆◇◆
「二人でお出かけというのも、ずいぶんと久しぶりな気がするね」
「ごめんなさい、ちょっとくらいは余裕を空けてあげたかったんですけど」
「なにしろフレデリカはサイファーにゾッコンのようだから、大学の親友だってないがしろにしちゃうんだな」
「そ、そんなことありませんよ!」
両手をわちゃわちゃと振って否定する様子は、本気で十代にしか見えない童顔もあってぴったりだ。しかし、ヘンリエッタに言われた通り、サイファーにずっとべったりだったような気がしないでもない。
功夫の手解きや、射撃の自主練習など一般の婦女子から程遠い生活をしていた。きっと同年代の“普通”の女子は休日には友人を連れて買い物に行ったり、声をかけてくれた男性とデートに出かける。簡素な道着を着て拳を合わせたり、髪に硝煙のにおいが染みつくまで引き金を引いたりはしない。
そんな灰色の日々をしばらく送っていたから、普通のことがしたくなった。
銃把も握らない、功夫の構えも取らない。
――例えば。
お料理をする――――とは言っても自宅にいる限りはいつも作っているのだが。
そして、友人と買い物に出かける。
昨日のこともあってなのかサイファーは、今日一日の間だけ回復のために休むこととした。だからフレデリカとヘンリエッタは何をしようか迷っていた。仕事に関してはほとんど振り出しに戻ったようなものだから、サイファーは新たな情報を集めるように方々に連絡をしていたらしい。
しかし、情報が来なければ何もできない。勝手知ったるアーカムならまだしも、価値観さえ違うと言われるロンドン市内だ。聞き込みの一つさえままならない可能性もある。
「今日は遊んで来い」
サイファーがお小遣い――今日一日分には、あまりにも多い――をくれたうえで背中を押してくれた。
こうして二人はロンドン市内に繰り出すこととなった。ブティックをはしごしてもお小遣いには、まだまだ余裕がありそうだ。
「これとか似合うんじゃないか?」
「ヘンリエッタ、私の仕事着がそういうデザインなの知ってますよね? もしかして……」
「うん、確信犯だよ」
「もう! だったらヘンリエッタもこういうのを着てみたらどうですか? これだったら控えめですし、普段からでも着ていけますよ」
「あの、私がスカート穿かないのを知ったうえで言ってるのかい?」
「ええ、私も確信犯です」
お互いに薦める衣服を押し付けたまま、膠着することおよそ一分。店員が『あのお客様……』と声をかけてきた時、二人はようやく我に返った。
「それじゃあ、一緒に試着しましょう」
「いいね、それ」
そして試着室に入り、五分後。
「どう、かい?」
フレデリカはとっくに試着を終えた。ゴシック調の黒いロング・ジャケットと膝上丈のスカートに、オーバー・ニーの黒ストッキングのセットだ。鏡を見てみれば、新しい仕事着のようだ。コートにブラウスにストッキングの構成は同じだが、ガーターはないし、色の構成に圧倒的に黒が多い。フリル飾りのついたブラウスさえ、灰色だった。
見目は悪くないし、それなりの高級品なので着心地も良かった。だから、堂々と出てこれた。
対してヘンリエッタは試着室のカーテンから、ひょこっ、と顔を出しているだけだ。『どう、かい?』などと言っていたが顔だけ出しているだけでは、感想なんて言えるわけもない。
それ以前にすごく赤面している。なんだかいつもの凛々しく頼りになるヘンリエッタとは思えなかった。なんか目も泳いでいるし。こう『きゅ~~~ん』となる何かがある。この弱みを晒したような姿を前に、フレデリカは理解した。
――人をからかいたくなる気持ち、わかったような気がします。
理解はできた。だが実行はしないし、からかい文句というべきものも出てこない。やってしまったら、それは同じ穴の狢のようで、なんか嫌だ。自分でやられて嫌な気分なのだから、親友にやるなんてもっての外だ。
――でも、なんか、こう。
――弄りたくなっちゃうんですよね。
湧き上がってくる欲求を押しとどめながら、優しく語り掛けるように努めながら口を開く。
「あの、出てくれないと感想の一つも言えませんし、笑ったりしませんから」
「笑わないでくれよ? …………切実に、笑わないでくれよ?」
二回も繰り返して言ったのは念押しか。
ゆっくりとヘンリエッタは試着室から出てきた。フレデリカが選んだのはいたって普通の白ブラウスと、タータン・チェックのベストにロング・スカートだ。やや少女的なのは否めないが、派手すぎず露出も抑え目だ。
それでもヘンリエッタにとっては耐え難いものがあったらしい。膝下まであるロング・スカートにもかかわらず、めくれ上がらないように抑えている始末だ。
「あの、そこまで鉄壁に押さえなくても……ここはお店の中ですよ?」
「スース―して落ち着かないんだよッ! やっぱりスカートは落ち着かない!」
あまりのうろたえぶりに、もはやアレルギーではないかと疑いが湧いてきた。大学時代もこうして買い物に出かけ、当然のようにブティックや服飾店にも行った。その都度、フレデリカはスカートを薦めてみたが頑として拒否された。試着という名の着せ替え人形にされるのはフレデリカのほうだ。
それでも我が身のように喜ぶ様を見て、ちょっとしたファッション・ショーもした。確かに――あの時は楽しかった。
そして今は“ヘンリエッタにスカートを穿かせる”という願望を叶えられて。楽しい、楽しんでいる、楽しんでいるのだ。自分は、今、まさに。
「や、やっぱりダメだ…………着替えるッ!」
――あ、ダメだこれ。
フレデリカの内なる悪魔が囁いた。その甘言に忠実になって、店員を呼びつける。
「すみません、このまま会計できますか?」
「ふ、フレデリカ?! ほ、ほほ本気なのかいッ!?」
「出来るんですか? じゃあ、それでお願いします」
店員も乗ってくれたらしい。器用に値札だけ取り外して、着ていた服は丁寧に畳んで紙袋に仕舞ってくれる。サービスもいいし、ノリもいい。それに――背後で羞恥に震えるヘンリエッタを見て、ようやくフレデリカはサイファーたちの味わう醍醐味を知ったらしい。
――これが愉悦なんですね。
人をからかう愉しみ、悦びを親友で悟ってしまったのは心が痛む。でも念願の目的は果たすことができたし、いつもの凛々しさなどどこかへ行ってしまった、そんなしおらしいヘンリエッタを見れて満足だった。買い物だって悪くないものであったわけで。
「さ、次はご飯にしましょうか」
「うう……覚えてろ、おぼえてるんだな」
なんか声が涙声になり始めた。さすがにマズかったか、やり過ぎたか。
「ご、ごめんなさい。あとで何か埋め合わせでも……」
ヘンリエッタに歩み寄ろうとして、店の入り口――つまりは通りに――背を向けた。向けてしまったのだ。
掃射は爆弾の炸裂に等しかった。おそらく機関銃の挺数は少なく見積もっても五挺は優にあるはずだ。それも短機関銃という拳銃弾を使う個人携行のものではない、何かに据え付けて使うような重機関銃だ。ブティックに撃ち込まれた銃弾は千を超えたはずだ。とっさに伏せることの叶ったフレデリカとヘンリエッタ以外は、飛来する弾丸に引き裂かれて無残なボロ切れ同然となった。
フレデリカは護身用の拳銃を抜いた。いつもの二挺ではない、無改造のアーカム45を内腿のホルスターからスカートをまくり上げて。
ブティックのウィンドウからは六台もの大型ガーニーがずらりと並んで、ヴィッカース水冷式重機関銃の銃口を二人に向けている。
それらに向けてフレデリカは発砲した。驚異的継戦力を誇る水冷式重機関銃群に対して拳銃による発砲など蟷螂の斧だ。だが、それで十分だ。ガーニーは車体をいくら装甲で覆ったとしても、窓ガラスであれば破りようはある。もとよりアーカム45は傑作拳銃M1911の純アーカム製クローン故に、そこらの拳銃とは比べ物にならない威力を示す。
現に威嚇でも窓ガラスに撃ち込まれれば、弾け飛ぶように砕け散る。ドアに着弾すれば車体は揺れる。
その隙に、ヘンリエッタとフレデリカはブティックの裏口へと回る。
その途中でノリの良かった店員が倒れているのが目に入る。はみ出した眼と目が合った。
――ひどい、こんなの。
ぎりりと歯噛みしつつも、足は休めない。後ろで物々しい音が聞こえてくる。
従業員の詰め所を抜け、ロッカー・ルームを通り、裏口のドアノブに手をかけた。
わずかに空いた隙間から、ヘンリエッタが身を躍らせる。その手に握るのは小さくも鋭い白刃。人を殺めるために研ぎ澄まされた一振りのナイフ。
待ち伏せしていた男を一撃で刺し貫いた。横隔膜に一撃だ。一言も発することなく、麗人の手によって死したのだ。
フレデリカも飛び出した。裏口は狭い路地につながっていた。大通りのほうから来た増援に拳銃弾を雨霰と撃ち込む。替えの弾倉を込めながら、増援が来たほうとは別の方向に走る。
大通りは大騒ぎだった。
ブティックの機関銃掃射の銃声は一帯に響き渡っていた証拠だ。
逃げ惑う人々の記憶には昨日の騒ぎが思い返されている、等しく。故に狂乱は予想以上にひどかった。女子供を轢いてでもガーニーで逃げる者さえいた。
その中に殺気を放つ者がいる。濃厚なものを、二人に叩き付けている。
「散らばって!」
トンプソン短機関銃の銃口を認めたとき、フレデリカは叫んだ。同時にアーカム45を発砲する。頬を銃弾が横切っていった。
逃げ惑う日々とが照準を妨害する。構わず発砲するなんて凶行はできない。先ほどは運よく車線上に誰もいなかっただけなのに。そんな葛藤も関係ないと言わんばかりに、敵は短機関銃を掃射する。巻き添えを食った一般人の肢体を踏みつけ、じわりと距離を詰めてくる。
おまけに――ヘンリエッタの見立ててくれたゴシック調の一式を着たままだったのがマズかった。フリル飾りに気取った黒基調は雑踏の中、恐慌状態に陥った中でも嫌に目立った。敵にとっては、とにかく見つけやすいことこの上ない。
「死ねぇ!」
ブローニングM1902――アーカムでの違法コピー品で何度も見たことのある銃だ。M1911の原型となった名銃を構えた男が突如細い路地から飛び出してきた。常人なら覚悟を決めるはずだ、死への――――常人であれば。フレデリカは違う。常人なんて枠に収まりきらない超人から、生き抜く術を教わった。そして――おそらくは彼女とて普通ではないのだ。
「遅すぎます!」
拳銃を握らぬ左腕が跳ね上がり、銃口を上向かせた。男の懐がガラ空きになり、地震に銃口を向けられていない状況から瞬時に懐へと接近。腹に三発、崩れ落ちたところに眉間に一発。最後に拳銃を奪い取る。
アーカム45に再装填を終えると、M1902を左手に構える。
二挺拳銃――実用性皆無のスタイルだが、これが本領発揮できる。
そして幸運は重なった。逃げ惑う一般人はいなくなった。ここにはすでに誰もいない。フレデリカと彼らを除けば。
二挺拳銃の射撃は得物が変わったとしても、その精確さに差が出るわけがなかった。あらかたの弾倉を撃ち尽くすころには、かなりの死体が出来上がる。
二挺の弾倉を排出した時だった。
――どぐっ。
後頭部に衝撃。回る視界。脱力する。
――殴られた。
そう理解しても、もはや何もできまい。目の前に落ちた二挺はホールド・オープンし、何も殺めることはできない。それも誰かの足で遠くに転がされていった。
でも、それでも。
手を伸ばそうとしたところを。
今度は複数。一斉に固い何かで殴られた。
覚えているのは、それだけ。
◇◆◇◆◇
――そうだった。
頭に残る鈍痛はそのためだったか。あれだけ殴られたというのに無事でいられるのは、もはや常人の範疇をついに超えてしまった証拠だろう。
――ヘンリエッタは無事かな。
別れた親友のことを思いながら、自分が運ばれているのを感じていた。
椅子に座らされて手首を縛られた。
――大脳部の修復は完了。
――拘束状態からの、迅速な脱出を推奨。
双眸が伝える無機質な声が、ようやく萎えてきた鈍痛に響く。
――できたら、もう、やっています。
目隠しが剥ぎ取られた。視界が三重になって見えている。顔面に水をぶっかけられて、ようやくまともな視界が返ってきた。
「おい、テメェらこんなお嬢ちゃんを二回、それも二回目は四人がかりで一斉に殴ったんだってな。大の男が何やってんだ」
目の前にいた男は近くに控えていた部下と思しき男たちに、一発ずつ鉄拳を食らわせていった。鼻血が飛沫となって、歯まで飛んでいる。相当な力があるに違いない。
フレデリカの目の前に置いてあった椅子に座って、ようやく男の全貌が明らかになる。
ベージュのフェルト・ハットにトレンチ・コート、ワイン・レッドのスリー・ピースで決めたスタイルは確実に堅気の人間ではないと一目で察せられる。それも貫禄というものがかなり違う。歳は六〇を過ぎているはずだ。にもかかわらず半分以上年下の血気盛んな部下たちを、拳の一発で動けなくさせるのは凄まじい何かがある。
「さて、お嬢ちゃん。見苦しいものを見せたな」
浮かべる笑顔は孫を目の前にした老爺のものだ。しかし、その目はどこまでも研ぎ澄まされて、冷たい輝きを有している。フレデリカもたくさん見てきた一級の悪党がする目、人として大事な何かを捨てた目だ。
「ここに呼んだのは他でもない。サイファー・アンダーソンをここに呼び出せ」
「なぜ……?」
「ま、いきなり言っても理解できんわな。俺たちはアルバニアン・マフィアだ。本拠地はキングスクロスだが、ここはロンドン郊外にある支部だ。俺は支部長をやっている。キングスクロスの本部から指令が来てな、お宅のデカい男がやってくれたことにご立腹なんだ。
心当たりはあった。自分もそこにいたのだから。
「機関騎士まで投入したというのに、全員返り討ちだ! 全員だぞ!? 補欠の連中をアーカムで雇うのにも金が要る。それが一発でパァだ! なのに本部はアーカム参入をせっついてくる! なら邪魔者の首を本部に持っていくしかない。それで納得してもらう」
「私も、いましたよ…………騎士を二体も潰しましたよ」
「くそったれ! このアバズレ女!」
思い切り殴られた。歯が飛ばなかったのが不思議なくらいだ。それくらい力強い拳で、その上怒りで加速されている。男の手に血が滲んでいるのが、その強さの証拠と言えた。
支部長というべきなのか、彼は完全に凶暴さを露わにした。
コートと上着を部下に預け、西洋剃刀を振り回し出す。
「こいつで二度と見られない顔にしてやる! その前に
鼻にいいパンチが来た。
男のものじゃない。たぶん、部下が殴ったのだ。
「部下に一発ずつ殴らせてやる。仲間を殺されて、気が立っている。気の早い奴は股間にテントを立てているがね」
また次の男が現れた。シャツの袖をまくって、盛り上がった上腕二頭筋を見せつけている。力強さをアピールすることで拳の強さを強調し、より恐怖を煽ろうとしている魂胆のようだ。
びし、と指さして今から殴ることを予告。腕を振りかぶった。
自由になるには首から上だけ。傾けたとしても、拳を避けることは叶わない。
だが、それで十分。十分すぎる。準備だって、整っている。
――どちっ。
肉の潰れる音。男は固まった。
やり過ぎだ、と冷やかす声があちこちから響く。ぱたた、と血まで滴る始末だ。
拳の頭から、折れた骨が皮膚を突き出して覗いているのを見るまでは。
額で拳を受けることで、逆に打った側を砕くという防御をフレデリカは土壇場で実行したのだ。
「
砕かれた拳の痛みに苦悶しながらも、男は声の限り叫んだ。だが、もう遅い。
足は拘束されていない。手さえ自由にできれば、逆転の可能性はぐんと高くなる。複数回殴られながらも手を縛るなわの結び目を少しずつ解いていき、今ここで解き放った。
猫のごときしなやかな跳躍からの膝蹴りは男の鼻っ柱に命中した。崩れ落ちていく男の身体を引き寄せると、腰のあたりを素早くまさぐった。
――あった!
ベルトに挟み込む形で一挺の拳銃と弾倉があった。抜いてみるとコルト社製のM1905だ。四五口径の高いマン・ストッピング・パワーは非常に頼りになる。
周りで控えていた男たちは全部で六人。弾倉の分を合わせれば十分に対処できる人数だ。
叩き付けられる殺気を冷静に読み取りながら、その濃さで行動の速さを判別し、自分の位置と彼らの動きから弾道を予測する。行動の早い男たちは真っ先に銃を向けてくるから優先して対処し、予測される弾道から安全地帯を導き出せる。
交錯は一瞬。
放たれた銃声は六回。フレデリカが撃った分は四回だけ。
割り出した安全地帯への迅速な移動は、ほぼ反射で発砲した男たちに対して同士討ちという結果をもたらす。半面、フレデリカは落ち着きながらも迅速に照準を済ませ、連射と言っていい速さで四度発砲する。同士討ちは二人の命を奪っていたのだ。
あえて、自分をここに連れてくるよう命じた支部長は生かしておいた。
殴りかかろうとする拳に向かって、一発だけ撃ち込んだ。血飛沫に交じって、白百合のごとき美貌を叩くものがあった。つまみ上げてみれば、それは支部長の指先だった。拳は無残にも一発の銃弾で、呆気なささえ感じるほどに弾け飛んでいる。
苦悶の絶叫を上げて転がりまわっているのを、フレデリカは容赦なくつま先で脇を蹴り上げた。
息が詰まって、全身が硬直した瞬間に、背後へ回って一瞬のうちに締め上げる。決まってしまえば脱出はほとんど不可能と言っていい。もがけばもがくだけ、脳への酸素供給は滞り、酸欠への往復路なき道を走り抜けるだけ。さらにこめかみに銃口を突き付ければ、完全に拘束は成り立つこととなる。
「出口はどっちですか? 外へ行く出口です」
「ぐぇ……ここは地下だ。階段を……まずは、上がるんだ」
拘束を維持したまま、フレデリカは歩みを始める。男を半ば引き摺っているようなものなのに、その足取りに覚束なさは欠片もない。
自分の内で何かが燃え上がって、力に変わっているのを感じるのだ。
――敵性存在、総数は二十四人。
――戦闘による排除を推奨。
双眸からのメッセージは言われるまでもないことだ。とっくに戦闘が避けられないことなど、脱出を決めたときから覚悟している。
――元から、そのつもりですから。
階段を上がって地上一階へと出れば、構成員が大挙してやってきた。装備は主に散弾銃だ。狭い室内において拡散する散弾の破壊力は筆舌に尽くしがたい。それも対人用の十二ケージから、大型獣用の四ケージまでバラエティに富んでいる。
「やめろ! やめろ、撃つんじゃねえ!」
しかし、フレデリカへの発砲は支部長への発砲と同義だ。拘束して、首を絞めた状態で肉の盾としているのだから。奪った拳銃だけでこの場を切り抜けるには、これ以外に方法は思いつかなかった。
「俺を殺す気か、バカ野郎!」
「ですが……」
「なんだ!」
「キングスクロス本部もサイファー・アンダーソンの拘束を大至急やれ、と」
「うるせえ! 俺はまだ死にたくな……」
言い争いを聞く気はない。
容赦なく引き金を引いた。四五口径の力強い反動も三八口径の弱装のように感じられているおかげで、無駄だ魔はほとんどなかった。
片腕だけで器用にリロードして銃口を向け直せば、構成員たちはいっせいに交代を始める。
人質のことを考慮に入れているうちに、次々と殺されてしまうと判断したのだ。人質ごと殺す度胸など、巻き込まれる者の立場を考えれば真っ先に排除される。
フレデリカの銃口だけが一方的に咆哮した。
このまま突破できる。そう思ってしまった。外への出口が、すぐそこにあったのだから。
「うぐっ!?」
背中を何かで殴りつけられる。
身体の空気をすべて押し出されそうになる。一瞬だが呼吸さえ封じられるほどの一撃。支部長の拘束は無力化された。現に支部長はようやく解放された喉を使って、不足気味だった酸素を吸いこもうと必死になっている。横目でフレデリカを見る顔は、憤怒に染まり切っている。酸欠で赤ら顔なのが拍車をかけてもいた。
もう一撃食らって完全に倒れ込んでしまう。やったのは禿頭の筋肉ダルマだ。二の腕にいたっては子供の頭くらいは優にある。その手に握られているのはブラック・ジャックだが、歩くたびにジャラジャラと耳障りな金属音を立てている。おそらくは重金属の礫でもいれているに違いない。
「よくもやってくれたな、ええおい? 何人やられた?」
「十二人です」
「そーか、おいお嬢ちゃん、こんなにぶっ殺してくれちゃタダで済ませるなんて無理だな。まずは両手両足に一発ずつ撃ち込ませてもらうぜ。その後で全員で
フレデリカを二度も殴りつけた禿頭は、支部長にコルトSAAを手渡した。鷹なのか鷲なのか、猛禽類を象ったエングレーブを入れているあたり、おそらくは愛用の銃なのだろう。
潰された手とは反対の手で器用にガン・スピンさせながら、フレデリカをいかにひどい目に遭わせるかの算段を立てているのだろう。その下卑た笑みが雄弁に物語っている。
万事休すか。
覚悟を決めようとした時だった。
――ピンポーン。
「なんだなんだ?」
「デリバリーが来たみたいです」
「さっさと追い返せ……いや、デリバリーの兄ちゃんに混ざってもらうのもアリかもな」
「それは魅力的だが、今はお断りしておくよ」
聞き覚えのある声、いつも聞いている声、そして――いつも自分を助けてくれる彼の声。
何かが出口を吹っ飛ばした。粉塵が爆発的に舞い上がって、視界を覆い尽くす。
ようやく晴れてきたところで、その姿を見ることが叶う。灰色のロング・コートを身に纏い、目深にしっかりと被ったテンガロン・ハットのつばから睨み付けるように輝く銀灰色の瞳。なびく橙に近い茶髪も、ガンマンを気取ったジーンズとシャップスの組み合わせも、全部いつも見ているものだ。
「とりあえず鉛玉が一ダース、お前さんたちの命もおまけしてやる」
「サイファーさん……!」
「悪い、遅くなった」
言い終わると同時に『Howler In The Moon』が轟く。七〇口径もの規格外の巨弾は人体など余裕で爆散せしめる。それは拳銃という括りすら超えて、もはや個人携行の火砲と言っていい。
アルバニアン・マフィアの構成員にその暴威はいかんなく発揮されることとなる。
構成員総数は二十四人。支部長を含めて二十五人。
フレデリカが倒したのは十二人。
サイファーも十二人。
支部長だけを残して、ロンドンの支部はもぬけの空となった。
「休む暇もありゃしねえな」
懐に巨銃を仕舞い込むとつかつかとフレデリカのもとに来た。
「何もされてないか?」
「けっこう……殴られてます」
貞操の危機は免れた。だが――いくら丈夫になったと言っても元は市井に生きる町娘の身だ。口の中で血の味がするのは唇が切れているからであり、鏡を見ていないから何とも言えないが痣の一つや二つは確実にある。身体だって、しばらくは消えない痕が残るはずだ。なにしろ筋肉ダルマに二回も殴られている。
その元凶も力強さを感じさせた風貌を、一切の原型を残すことなく壁にこびりつく肉片に変じていた。
「そうか、わかったよ」
取り出したのは黄金に輝く長銃身のアーカム45。一丁だけを右手に握り、素早く二連射する。逃げようと、恐怖でもつれる足を奮闘してでも前に出そうとした支部長が転がるように倒れ込んだ。両膝を撃ち抜かれたのだ。
「よくもウチの従業員に手を出してくれたな――って、こんな月並みなセリフはいらないかな?」
「へ、へへっ……何してやがる。殺すなら、殺しゃいいだろ」
「その前に、バックについてるヤツを教えてもらおうか?」
「そ、そんなのキングスクロスの……もごっ!」
アーカム45の銃口をサイファーは躊躇うことなく、支部長の口に突っ込んだ。
「嘘をつくなよ?」
フレデリカでさえ耳を疑いそうになった。
部下は確かに『キングスクロスの本部がサイファーの捕縛を命じている』ことを支部長に伝えていたはずだ。急いでいることも。
嘘であるわけがない。マフィアは完全なる縦社会だから、上の命令を絶対としている。
命令をでっちあげようものなら、裏社会からも追放の憂き目に遭う。
「悪いがキングスクロスの本部とは、デリンジャーが話をつけてくれた。僕とフレデリカが暴れた件も、いろいろと手回しの後に手打ちになった。個人的な事情ではらわたが煮えくり返っているヤツはいるかもしれんが、それにロンドンの支部を動かすなんて大げさすぎると思わねえか? 本当のことを言え、誰がバックについてる?」
ここでサイファーは銃口を突っ込んだ時に、わざと倒した撃鉄をゆっくりと起こす。これで引き金は軽くなった。扱いに不慣れなものが握れば、身じろぎ一つで暴発しかねない。
支部長のこめかみに一筋の汗が流れた。
「……喋りそうにもないな」
アーカム45を引き抜くや、銃把で思い切り殴りつけた。完全に意識を手放し、ぐったりとした様子の支部長を足で転がす。生け捕りということなのか。
「サイファーさん、その人は? それとヘンリエッタは?」
「あとでメイザースに引き渡す。ヤツのほうが情報を引き出すのがうまい。ヘンリエッタは無事だ、外で待機してもらってる」
「よかった……」
「ひどく心配してた。早く安心させてやれ」
胸をなでおろしたのち、ヘンリエッタのもとへと駆け出したのであった。
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