対決、魔戦は黒き幻想を目覚めさせ

 スローイング・ダガーを投げかけんとしたヘンリエッタを、フレデリカの腕が遮る。

 なにを思ったのか、と顔をのぞき込めば、決意を黄金の双眸に宿らせている。それも戦意に満ちた。

「ここは私だけでやります。いえ、やらせてください」

 有無を言わさない語調。指先も動かすことができない。

 これだけの気迫を出せるようになったことに、驚き半分、感嘆半分だ。あの虫さえ殺せそうにもないフレデリカが、サイファーによってここまで成長した。そして、もらったものを全て使って、彼を救い出そうとしている。

 ならば、できることはただ一つ。

 ならば、やることはただ一つ。

 ならば、すべきことはただ一つ。

「盛大にぶちかましてくるがいいさ」

 ――背中を押してやることだけだ。

 フレデリカの手には、すでに二挺が握られている。ただし、銃口は持ち上がっていない。

 クラントンと名乗るパンク・ガイの銃口は全てフレデリカのほうを向いている。

 ここで決定的な差がある。それをどう埋めるというのか。

「私が避けた弾丸、ヘンリエッタは避けられそうですか?」

「弾丸を相手にすること、フレデリカよりは先輩のつもりだよ」

「それはよかったです」

 ――流れ弾のこと、気にしなくていいので。

 ゆらり、と何もかもを一新し、より戦闘向けとなった衣服に包まれた姿が傾いだ。

 そのまま地面に接する、という距離まで来たとき一気に地面を蹴って駆け出した。地面を這うにしてはあまりにも早すぎる速さで、クラントンの懐に潜り込んだ。

 立ち上がると同時に二挺を握った両手を跳ね上げる。クラントンの両手は跳ね上げられ、バンザイするような姿勢になる。無防備なのは――股間だ。

 振り上げられた右足は空を切った。その勢いのまま宙返りし、見事に着地した。もし、先ほどの一撃が成功していたならば、クラントンの睾丸は片方ないし両方とも潰されていたに違いない。

 冷や汗が流れたのを、クラントンは拭って隠す。動揺を悟られたら、また攻め込まれるのが目に見えている。

 短機関銃の引き金を引ききった。

 発射サイクルは意外に速く、毎分七五〇発は優にある。狙いはつけず、ばらまくように撃つ。

 フレデリカは撃ち落さない。低姿勢からの這うような高速移動で、獲物が銃にもかかわらずクラントンの懐へ潜り込もうとする。なにを狙っているのか。

 身を捻ってからの手刀――ではなく銃身の薙ぎ払い、クラントンが受ければ、反対の手に握られた拳銃によるダブル・タップが咆える。クラントンが体を翻せば、後ろ手に回した銃から弾丸が放たれる。それらから正拳でも打つように手を突き出してからのフルオート。

 クラントンは困惑する。

 ──拳銃を使った近接戦闘だと!?

 それは銃撃戦という概念を根底から崩すスタイルであった。

 遮蔽物に身を隠しながら、遠方より敵を仕留めるのが普通だ。時折、壁から銃口だけを出しての盲撃ちブラインド・シューティングを織り交ぜたり、大胆に身を躍らせてからのフルオート射撃を見舞ったこともクラントンにはある、

 だが、目の前の少女にも見える女の戦い方は、見たこともない。だからこそ異質であり、自分が踊らされている現状に後頭部をブン殴られたような驚きが襲う。

 自分が今、何よりも優先するのは一刻も早い後退と、戦略的優位性の確保であった。

 ほとんど瞬間移動にしか見えないスウェイ・バックで四メートルもフレデリカから距離をとる。得意技だ。刃物を心得る相手に迫られた時、よく好んで使う技だ。独自の歩法が信じられない速さと距離を生み出す。

 短機関銃の引き金を引いた。

 それを円を描くような軌道でフレデリカは掻い潜った。自分のスウェイ・バックはかなりに早さだと信じているが、フレデリカも相当に速い。眼前に迫ろうとしたとき、黒に身を包んだ金髪は視界から消えた。クラントンは自分の身長を思い出し、一八〇センチ前後の自分から見て消えたのだから、というところまで考えたときバック転した。

 黒いブーツと白いストッキングに包まれた足が、クラントンの足があったところを一閃した。剃刀のごとき鋭さとハンマーの重みを兼ね備えており、食らえば呆気なく地面とランデブーする。

 ――お、ガーターベルト。

 バック転しながらも、クラントンの視線はストッキングから伸びるレース飾りのついた黒いガーターに行く。足払いを放ったせいで、膝丈のスカートが捲れ上がったのが原因だ。自分でも辟易するほどの好色さであった。大多数の男がフェティシズムとして好むガーターに、目がいかないわけがなかった。

 それに気づいたか、それとも追撃だったのか――ピタリと足払いの姿勢を維持したまま、フレデリカは二挺を構えていた。発砲は八度に及んだ。

 クラントンの実力は好色さを発揮した中であっても本物であった。九ミリが四発、四五口径も四発。計八発もの超音速で飛ぶ弾丸を避けたことが物語っている。それだけにとどまらず獲物の引き金を引いた――リボルバーのほうを。

 輪胴の隙間から生ずるシリンダー・ギャップとマズル・フラッシュのせいか、まるでクラントンの両手で小型の爆弾でも炸裂したような絵面になった。放たれたのは四五口径だが、ピッタリの寸法を持つ小銃ライフル弾の薬莢を組み合わせた特製の弾丸だ。体内に撃ち込まれた瞬間、弾頭側面がグロテスクな爪状に変形し、獲物の体内を切り裂きながら死への片道切符を贈呈する。

 それを半身になるだけで避けたかと思えば、すかさず反撃の銃弾を放つ。フルオート射撃だが、発射レートを逆算しつつタイミングを見計らって引き金を解放する、という離れ業で発射したのか三点射だった。

 三点射は豪打と化して、クラントンをのけぞらせた。胸の中心、少し左寄りの位置に子供の手のひらくらいの穴が開く。間違いなく心肺を撃ち抜かれ、ショックないし失血で死ぬ。

 それでもクラントンは四歩ほどたたらを踏んだだけで、倒れ込むことはない。それどころか傷口の大穴に指を突っ込んだりして、深さや具合を確かめている始末だ。

「一体、どんな弾丸を撃ち込んだんだ? 四五口径でもこうはならない」

「九ミリのちょっと特別なのを三発」

 胸に穴を空けたまま問いかけられる、という戦慄を禁じえない光景だ。

 それでもフレデリカは恐れることなく、きっぱりと答えた。

「私もあなたがなんで死なないのか、ちょっと気になります」

「一度死んだ人間を、もう一度殺すことはできない。ワケありで仮初かりそめの命を与えられてはいるが、死人のまま現世を闊歩させられている」

「解き放ってあげましょうか?」

「お嬢さんみたいに綺麗な娘に送ってもらえるなんて、願ってもないことなんだが……主の命令は絶対なんでな。心中してもらうぜ」

 犬歯を剥き出しにして笑う。

 また弾幕が展開された。短機関銃には細長い弾倉が装填されていたが、今度はずんぐりした円筒弾倉を込めている。

 連射が中々途切れないのは、五〇発ないし百発もの弾丸を込める円筒弾倉だからか。嵐となって襲い掛かる弾丸の中に、明らかに速さの違う弾丸が混ざっているのをフレデリカは見つけた。食らえばひとたまりもない、と判断すると一気に時間を遅延させた。

 弾丸の礫は空中で停止した。この力は使えば使うだけ、強くなっていく気がしてならない。双眸から発せられる力が時間軸に干渉し、流れの速さに干渉するプロセスは次第に早くなっている。

 ――そして、クラントンに終止符を打つのは、この力。

 フレデリカの周りを白い靄が包み始める。“力”を使う感覚はあまりよくわからないが、自分の中にある扉から引っ張ってくる感覚に近い。あの半人半獣どもを吹っ飛ばした、恐ろしささえ感じるほどに滾る力。時間を遅延するという上品なものではなく、完全にベクトルを破壊に向けたもの。

 青白い雷となって右腕から“力”が迸る。必要に駆られて、この二日間に制御を覚え込んだ。自分の火力不足は自覚していたから、半人半獣を消し去ったこの力を習得することは急務だった。ホーレスが新たな獲物を用意してくれていたのは嬉しい予想外だったが、あんな長物は使いどころが限られる。

 弾丸は青白い稲妻を帯びた。クラントンに炸裂した瞬間、膨大なエネルギーをぶちまけた。辺り一面に青白い工場がジグザグに散り、軌跡上の全てを焼き尽くした。体内にも流れ込み、臓腑のほとんどを焼き焦がす。膝を折って、家訓と頭は仰け反ったようになり、口からはとめどない黒煙が噴き出ている。

 それからホーレスの店の近くにケースに入れたまま置いておいた『Song For Fog』を取り出した。

 フル装填した七連発の複列弾倉を装填すれば、十二キロは下らないが、それを持ち上げられるほどに変わった自分が頼もしくもあり恐ろしくもあった。

 銃身に青白い雷が走る。肉厚で長大な銃身が、ぼうと暗闇の中で光る。引き金に指をかけた。

 ――さ、やってくれ。外すなよ。

 クラントンは覚悟を決めていた。

 そうなると絶対に外せなくなった。一撃で絶命させてやる、と固く決める。

 引き金が、妙に重い。いや、指に力がこもっていないだけだ。自分の腕の中で異様なほどの存在感を放ち、それに見合った重みを与える破壊兵器の反動を恐れているわけではない。自分の弾丸が、己よりも長く戦場に入り浸っているクラントンへの解放と鎮魂の弾丸になりえるかが不安なだけだ。

 ――いきます。

 ぐっ、と引き金を引き絞った。

 マズル・ブレーキから十字型のマズル・フラッシュが吐き出された。弾丸は大口径重量弾にふさわしい直進性を発揮し、雷のエネルギーを帯びて、青白い軌跡を残して飛翔する。

 弾丸は着弾と同時に見せかけの爆発を起こした。同時に吹き飛んだ血肉を迸る雷が焼き尽くしていく。人の焼け焦げる、たとえようもない臭気を色濃く残してクラントンの姿はなかった。焼け残った両腕の装甲版も、ほとんど溶解して石畳に焼け付いてしまっている。

「一人で片づけてしまうとはね」

「自分でも、ちょっとびっくりしています」

「後悔していないのかい?」

「……遅かれ早かれ、きっとこうなっていたと思います」

「だったら、サイファーに出会えたのは幸運だったんだろうよ」

 ヘンリエッタの言う通りかもしれない。きっとベアトリクスに捕まったままだったら、配下の男たちによって身も心も汚され抜いた挙句に、“力”を発現していたかもしれない。そうなっていたら、今のように振る舞えてはいないはずだ。たぶん、ヘンリエッタがあってもわからないくらいに豹変していたかもしれない。

 だからこそ――サイファーのことは放っておけない。放っておけるはずがない。

 安心を与えてくれたことに恩返しできていない。

 戦えるようにしてくれたことに報えていない。

 支えてくれたことに何もできていない。

 だから――今度は自分の番だ。返せていないものを、返すときなのだ。



 ◆◇◆◇◆



 屍の数はそろそろ八〇に達する。

 流石に休みなしで二日間もの間、逃げ回って殺せたのが百にもなっていない。

「どうも、この体内世界ではあの爺さんは全知全能の神なんだろうな。普通の人間が自分の身体さえ自在に動かせないのに、体の中に世界を持って人を住まわせて自在に世界を変えられる。ずるいぞ」

 びゅっ、と血を振り払いながら呟いた。

 普通の日本刀とは少々事情が違うために、切った相手の脂肪分などで切れ味が鈍ることはない。だが休みなしで80人近くも切り伏せるのは、さすがに体力的な問題が生じてくる。昔は三日三晩休みなしでやれていたんだが、という外見年齢不相応な発言は呑み込んだ。悲しくなる。

 『Howler In The Moon』に炸裂弾を装填し、村の中を駆け回った。この村の中全てがサイファーを追い込むために機能し、どこからともなく重臣に取り込まれた狩人たちが湧き出てくる。

 ジリ貧だった。

 いくら弾を撃っても、増援が来る。

 いくら切り伏せても、新手が来る。

 いくら倒そうが、いくらでも来る。

 悪夢だ、と常人なら頭を抱えて絶望に叩き落とされる。

 しかしサイファーは違う。右手に一刀、左手に巨銃を携えて、笑う。禍々しく弧を描く、そんな笑い方は日本刀の刃が描くこと一致しているようで、より恐怖を煽る。愉しんでいるというのか、この絶望の最中を。

 民家の陰から凶手が躍り出る。全員男だ。

 手に握るのはナイフ、リボルバー拳銃、マチェットといった簡素な武器。扱い方次第では十分な脅威になりえるものだ。達人が振るえば、ナイフは急所を的確に突き、銃弾は狙ったものを外さず、マチェットは獲物を骨まで断つ。

 猛獣の目をしながらサイファーを取り囲んだ。

 びゅう、とつむじ風が吹く。

 マチェットを構えた男が地面を蹴った。ごう、と空気をうならせながら無骨な刃を腰に食い込ませようとする。

 固く大きなブーツがマチェットの峰を蹴る。速いものほど横からの衝撃には弱い。充分な加速をつけて振るわれた刃を、明後日のほうへと逸れていき、隙を作る。すかさず心臓を一つ気にし、間髪入れず力任せに持ち上げて、背後の男にブン上げた。それから二人まとめて炸裂弾をぶち込めば、原形が消え失せるほどに爆散する。濃い血臭と硝煙の香りが混ざって、得も言われぬ空気を醸す。この戦慄の場には、どんな香よりもふさわしい。

 さらに発砲した反動に乗って野太刀を右から真後ろへと振り抜き、右方を固めていた二人を斬る。

 右手で野太刀を正眼に構え直し、『Howler In The Moon』の撃鉄を起こす。研ぎ澄まされた浅い弧を描く刃は獲物を求めるようにぎらつき、巨銃の輪胴は舌なめずりでもするように回る。

 男たちの間に戦慄が走った。

 一歩、後ずさる。その隙を逃すはずがなかった。

 しゅう、と言いようのない音を立てた。日本刀の鍔の辺りから、霧のように拡散した暗黒が刀身全てを覆い尽くす。それを振り払うかのごとく、日本刀を一振りすると剣風は男たちの間を駆け抜けた。

 現れたのは黒き刀身。森羅万象を破壊することを許された、サイファー・アンダーソンの権能を吸い込んだ姿だ。

「手っ取り早く片づけたいんでな。コイツを使わせてもらう」

 巨銃を懐に仕舞い込み、柄に空いた手を沿える。二、三回ほど握っては開きを繰り返すと、大きく息を吸い込んだ。

 殺気が陽炎のように立ちのぼり、サイファーの姿は霞む。それから大きくなっているかのように変化し、村一つ分を包んでいくかのように錯覚させる。

 その時、列をなしていた男たちがドミノめいて、バタバタと倒れ込んでいく。

 だが一人だけ立っているものがいる。煌めく銀の長髪、コートもシャツもスラックスも全て黒づくめ。自分をこの世界に叩き落とした一因となる男の顔を、サイファーは今まで脳裏に焼き付けていた。

「会いたかったぜ。僕をこんな肥溜めに叩き落としてくれた、落とし前をつけたくてね」

「おやおや、ずいぶんなご挨拶ですが……勝機がおありですか?」

 慇懃無礼極まる口調に、さすがにムッとした表情になる。

「僕はこう見えても安パイを打つほうなんだ。出来もしないことを自信満々に言うような趣味はなくってね」

「なら……存分に試すといいでしょう」

 両手を広げるや、金属糸は殺意の雨となってサイファーに降り注いだ。その数は千を優に超え、取り囲むように殺到する。退路は存在しない。

 八双に構えた野太刀を高々と上げ、迫りくる銀の雨を見据える。身を翻して一閃すると、剣風に混じって闇が放たれる。斬撃を飛ばす遠当ての技に己の黒き力を混ぜ合わせ、触れたものを根こそぎ消し去っていく必殺の飛び道具にしたのである。

 そうして切り拓いた突破口めがけてサイファーは駆け出した。ほとんど一っ飛びにウォルターへと飛んだ。

 いつの間に抜き放っていたのか。規格外の巨銃が三度も咆えた。放たれたのは強力な炸裂弾で、着弾と同時にはっきりと分かる火柱を上げながら、着弾地点を中心に大人の頭大の大穴を綺麗に開けていく。まるで人間を丸い型抜きでくり抜いていくようだった。

 身体の三か所に大穴を開けられては生きているはずもない。

 その亡骸が地面に倒れたとき、生産極まる姿は幾万もの金属糸となってわだかまり、蛇の敏捷性を見せつけながらサイファーへと飛んだ。

「ったく、いつ入れ替わったんだ!?」

 そう言いつつも『最初から偽物だったのかな』と思考を巡らせているあたり、冷静というべきなのか、のんきというべきなのか、はたまたマイペースというべきか、判断に苦しむことをしている。

 巨銃の残弾をすべて少し前方の地面へと撃ち込めば、火柱と同時に土砂も同じく柱となって天高く登り、質量の軽い金属糸はなす術もなく吹き散らされていく。

 輪胴をスイング・アウトし、エジェクター・ロッドをしっかり押し込めばおびただしいほどの薬莢が足元で小山を作る。新たに装填するのは特別な弾丸だ。金属糸の守りやダミーを貫くための。そして輪胴を振れば、どう見ても七〇口径ものでは六発入れるのがやっとの大きさなノン・フルートは重厚な音共に銃本体に収まった。

「そこか」

 マズル・ブレーキからの炎は青白く、赤熱した弾体は途中で三つに分かれて散った。それで終わりかと思えば、何かが立ち並ぶ民家七軒をまとめて貫通し、子供の頭ぐらいある破壊痕を残す。ちょうど四軒目に潜んでいたウォルターの頬を掠めて。

 魔弾の正体は直径三ミリ、長さ六センチほどの黒い矢玉だ。専用に調合され、薬莢に高密度でローディングされた炸薬のエネルギーを一手に背負い、保護カバーを捨てた瞬間に秒速五〇〇〇メートルもの加速を得て何もかもを貫通する。加えてあまりにも速すぎることから衝突の瞬間、ほとんどの装甲は液状化し用を成さなくなる。ホーレスは『数世代先の砲弾を転用した』と語っていたが、そんな理屈を差し置いて気に入るほどの威力であった。

「これはすさまじい。物理的な守りなんてものは蟷螂の斧だ」

「僕のお気に入りの弾だ。お前さんの守りをぶち抜くには、こんくらいの弾でも使わん限り無理と思ったんでね」

「では……まだ私のほうが有利ということでしょうか?」

「確かめてもいないことを、ほいほい口にするモンじゃない。日本じゃ、来年のことを言うとDevilが笑うんだぜ?」

「ならば、現実へと変えてDemonを愕然とさせるのも一興」

 にわかに右腕を天高く掲げるや、五指の先から金属糸が伸びる。それは手のひらで集まり、一本の太い糸へと変わる。

 癖なく流れる銀髪にふさわしい美貌に、ウォルターは悪鬼に等しい笑みを浮かべる。

「お気をつけて。これほどに太い糸ですが、五重に編まれた螺旋の刃です。傷口は複雑にして、縫合不可。絡みつかれれば、八つ裂きでは済みません」

「おお怖い。だけど、そんなデカブツで捉えきれると思っているのだとしたら、お笑い草だよ」

 サイファーの発言が真実であることは、ウォルターとて承知している。戦場を駆け回る機動力、矢玉を弾くほどの防御力、どれを取っても一流だ。

 編み込むのに難儀した極太の糸では、いかなる機動をさせたとしても、すぐに回避されてしまう。

 極大の質量というものは驚異的と思われるが、実際には鈍重の枷をはめられている。機関騎士はさらなる巨大化が用意に可能と言われているが、戦場において有用な範囲の速さと質量のバランスを求めた結果、三メートルを超えるものが製造されたことはない。

 だが、それもウォルターは承知している。

 ──ゆえに、五指から糸を解きはなった。

 極太の糸は長さ一〇メートルにも達している。それが──鎖蛇を想起させるように跳ね上がる。

 サイファーの頭上から、相応の質量を叩きつけんと迫り来る。

「無駄だよ」

 漆黒の剣閃は巨大な糸の蛇を幾重にも刻む。

 そのまま大質量の破片が降り注ぐだけに見えた。

 しかし、刃を受けた箇所から爆発的な勢いで金属糸が膨れ上がる。収縮と同時に斬撃で両断され、欠損した箇所を縫い合わせていく。

 極大の糸は本物の金属糸で編まれた蛇に変じていた。たった五本の糸を寄り合わせ、編み込んだにも関わらず、下手な写実画よりも本物に迫っている。もと芸術家の面目躍如といったところか。

「その程度で止められるように出来てはいないですよ」

「遠隔操作と再生機能のダブル・パンチか。味な真似をする」

「自慢の傀儡ですので。あと遠隔操作ではなく──自動制御です」

「冗談じゃない!」

 ウォルターが己の手で操っているならまだしも、原理不明の手段で動くというのであれば話は違う。

 金属糸の蛇とウォルターによる連携が始まることを意味している。

 鎌首をもたげた鋼の大蛇が飛びかかったのが皮切りとなる。

 努めて冷静に一太刀浴びせた後に、ウォルターのほうに巨銃を撃ち込んだ。

 ぴぅん、と空気の跳ねる音と共に、ウォルターの手が一閃される。それをなぞるように虚空を銀の輝線が煌めき、あろうことか放たれたホーレス謹製の魔弾は両断されたのだ。

 それでも二つに分かれた魔弾は秒速五〇〇〇メートルもの速すぎる弾速に見合うだけの破壊力を示す。

 砂煙と共に石礫が散弾となって、ウォルターに襲い掛かる。その数は甚大だ。全身を穿ち尽くされて、ズタズタにされる。誰だって、そう思うだろう。

 周囲に輝線を煌めかせながら、ウォルターは悠々と黒いコートを翻して歩む。糸の防御は降りかかる全てを切り裂き、無力化したのだ。これで糸を編み込んだだけの大蛇を平行して制御してるなど、誰が思いつこうか。

「いいぜ。ガッツあるヤツは嫌いじゃない」

 人差し指を引き寄せるように動かしての挑発。

 ウォルターは右腕を一振り。それだけで全ての命令が大蛇に伝わったのか、巨体ではあり得ない速さで傍らにひかえた。

 サイファーは輪胴を一振りし、薬莢は捨て、未使用のものはコートのポケットに突っ込んだ。新たに装填されたのは黒く染まった弾丸。間違いなく彼の力が込められた、外法の理を孕んだ魔弾であった。

 二十四発。あり得るはずのない数を輪胴は軽く呑み込んだ。

 腰だめにするように構え、撃鉄に反対の手を添えた。

 銃声は一回、着弾は七回に及んだ。

 ほぼ同時に七回もの射撃を行ったのは、超人的な早撃ちクイック・ショットの産物だ。撃鉄を起こしてから発砲を行い、間髪入れずに引き金を引き切ったまま、また親指で撃鉄を弾いて撃つ。この撃ち方ができるのはコルトSAAだが、『Howler In The Moon』も同じ構造を有しているのだ。さらに反対の手の五指すべてを使ってのファニング・ショットにより、ほぼ同時の七連射撃が実現したのだ。

 そして、魔弾は着弾と同時に膨れ上がる。膨大なまでのサイファー・アンダーソンの力――森羅万象を砕くことを許された権能――が半径二メートルもの球体状に広がって、金属糸の大蛇を容易に呑み込んでしまった。

 しかし、ぼろきれのように残った残骸から、またも金属糸が膨れ上がり再構成を試みる。

「体の各所に糸球を仕込んで、傷をおったら自動回復させるカラクリか。実戦レベルの速さで使う割には、まぁ良くできてんな」

 言葉と同時の再度の七連早撃ち。これにより大蛇は完全に消し去られた。

 それからウォルターへの一発。天地が轟いた、と錯覚するほどの銃声。撃ちだされたのは外法の魔弾。

 黒と銀が入り混じった影が跳ねる。糸の張力を用いた高速移動法は、弾丸を交わすだけの速さをウォルターの五体に与える。

 その背後を灰色の巨影がとった。

 銃声とほとんど同時に魔弾が炸裂した。今度は球体になって呑み込むのではなく、迸るエネルギーの忘位となって炸裂した。黒づくめの美影身は背中の真ん中あたりから千切れ飛び、五体それぞれが四散する――かに見えた。

 その全てが糸で編まれた偽物だ。それらは本性である幾千もの金属糸となり、サイファーに躍りかかる。彼をこの領域――斑鳩重臣の世界に落とす要因となった技が炸裂しようとした。

「どうでしょう? 動けませんよね? 二回目を食らうのは、一体どんな気分なのでしょうかねぇ」

 サイファーは無言だ。

 ウォルターは嘲笑しようとして――不意に美貌を苦悶に染めた。

「――がッ!?」

 身動きを封じられたのは――ウォルターのほうだった。

 その証拠に、サイファーの巨躯はゆっくりとウォルターのほうを向きつつあった。

「悪いが――安パイを打つ以上、同じ手を二回も食らうわけにはいかなくってね。どうやら、この技は神経に干渉して、大脳の命令系統を抑え込み、身体の自由を奪うのか。自分で自分の体を縛る以上、対策を立てるのは難しかったが――神経系を“力”に置き換えてみた。今、糸を通して僕の力がお前さんに流れ込んでる。あと五分くらいで全身の神経細胞全部が死滅してThe Endだ」

「こんな破られ方――ありえない。神経全てを、捨てるに等しい……行いだ」

「悪いことでもないよ。神経系を力に置き換えたおかげで、見えるものもだいぶ違ってくるんだ。だから本物かダミーか、なんて些細なものはすぐに見破れた」

「――ばけもの、が」

 それが引き金になったのかもしれない。

 サイファーの全てが黒く染まっていく。シルエットは人の形をすでに留めておらず、顔の辺りには真っ赤に燃える眼が三つ。膨れ上がっては、縮み上がり、数多の黒い腕が生え出てくる。その身体はすでに闇と化している。光の存在を許さぬ、常闇に。

 赫い亀裂でも入るかのように、目が、牙を持った口が、闇の表層に浮かび上がる。蠢きながら、一つの形を作り上げようとしていた。

 重臣の世界が悲鳴を上げつつあった。いてはならぬ、大きすぎる異分子の存在に慄いている。恐れている。震えあがっている。天も地も人も、存在するすべてを狂気が抱擁し、祝福した。

 この世ならざる闇が渦巻き、現世の闇をせせら笑う。

 そして語るのだ。謳うのだ。讃えるのだ。


 ――さぁ、焼き付けろ。


 ――さぁ、歓喜せよ。


 ――さぁ、恐慌せよ。


 ――狂気の隆盛、正気の滅亡。

 ――異界の繁栄、現世の衰退。

 ――破壊が始まる、創造は終わる。


 ――無き舌を以て、紡げ。

 ――失せた眼に、刻み込め。

 ――潰れた鼻で、存分に嗅げ。

 ――皮を剥されても、盛大に触れろ。


 ――黙示の天使は、喇叭を吹き鳴らせ。

 ――終わりの時がそこにある。

 ――うつつが終わり、まぼろしが取って代わる。


 ――彼を語れ。

 ――いま、語る時だ。


 ――黒き幻想の果てを。


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