勇猛、鋼鉄の町を銃火に包み

 サイファーの体内時計と生活リズムは七時間分の睡眠を与えた。自分でも恐ろしいくらい正確だと思うが、大抵はここから二度寝に入ってしまうのだが。

 すん、と鼻を利かせると嗅ぎなれない匂いがする。かぐわしい、甘い香りが。

 これがフレデリカの匂いか、と助兵衛一歩手前の思考を働かせるが、左腕からの柔らかい感触が完全に助兵衛にさせた。これもう凶器だ、世の中に出しちゃいけない感じの。

 全身の血がたぎるような感覚で完全に目が覚めた。下半身のごく一部がたぎってくれなくてよかったと安堵する。そうなっていたらフレデリカとの間には埋めようのない溝ができることは必至だ。なんてたって致命的な初心だから仕方ない。

 疲れもあって熟睡状態の彼女を見て、一瞬だけクラッとなった。

 美醜も大きく関わってくるが寝ている顔が一番美しいという話があるが、元々が美しいと二乗倍くらいにはなるんじゃないかと思ってしまう。

「なんだろなぁ……抱きしめたくなってくる、って変態じゃねえか僕はバカかアホかおおたわけか」

「……ふみゅ……」

 寝息と一緒に身じろぎしたことでドキッとする。そのあとにまた穏やかに寝始めたのを確認して、起さないように用心しながらベッドから立ち上がる。お気に入りの葉巻を吹かせば、いつもの余裕が戻ってくるような気がした。あくまでも気がするだけだ、さっきの発言を聞かれていて問い詰められたら、ここから勢いで飛び降りる確信がある。

 やたら無防備なまでに寝ているが、可愛らしくも美しい美貌と同じくらい類まれな射撃の腕でたくさんの悪党を打ち殺したばかりとは思えない。というかネグリジェちょっと肌蹴ていないか。普通なら保養になりそうだが、今のサイファーにとっては毒寄りの保養だった。

「なんだろなぁ……」

 本日二回目の呟きだった。

 このフレデリカ・エインズワースという少女同然の見た目の女は、今まで見てきた女の中で二人しかいないタイプだ。

 聡明で、ほとんど逆らうことはないが、確固たる心を持ったイイ女だ。そういう女はサイファーになど見向きもしないだろうが、フレデリカともう一人は興味を向け、親愛を注いでくれた。ただ、もう一人には会えない。会うことは、二度とない。

 それでもフレデリカももう一人も同じ年のくらいに彼のそばにいた。正確にはフレデリカはサイファーがそばに置いていたが、もう一人はサイファーをそばに置いていた。関係性の違いはあれど、何よりも楽しく輝かしい日々だったと思う。それだけに失われることに言いようのない恐怖がある。その悲しみはなるべく味わいたくない。

「たまには僕が起こしてみるか」

 いつも起こしてもらっているのだから、たまには立場が逆転してもいいだろうと思い、眠るフレデリカのそばに忍び寄る。

「もう朝だ。そろそろ朝飯だし、起きろ」

「……んむぅ……」

 寝返りだけで起きる気配がないことに、ちょっとイタズラしてやろうと、眠る横顔に顔をそっと寄せる。

 そのまま――ふっと息を吹きかけたかと思えば、瞬時に耳たぶを甘噛みしてやった。

「ふひゃあぁぁぁあッ!」

 変な声をあげて転がってから飛び起きるという、やたらアクロバットな起床だった。

 予想以上の反応が返ってきて、思わず笑い出しそうになる。必死になってこらえていないと、すぐにばれるだろうが一秒一瞬でも味わっていたい。

「なんか耳が変な感じだったんですけど」

「どんなふうに変だった?」

 普通なら『気のせいだ』というのが筋だろうな、とほくそ笑む。この悪癖は地獄に落ちたとしても、ずっとついて回っているだろう。

 恥じらいの紅がフレデリカの頬に浮かぶ。

「……言いたくないです」

「まぁ、そうだろうな」

「普通はそうですよ。みっともなく感じてしまったのを言うわけ…………ああっ!」

「へぇ……感じちゃったのかぁ」

「……いじわる」

 射殺しそうなまでの視線を向けられたが、これも一興だと思って流す。

 人をからかうのなら何かで返される。ならば返されるものも一興だと思って楽しもうというスタンスを、サイファーはすでに築いている。睨まれた程度でどうこうなる、というわけではないが、これ以上やると二度とご飯を作ってもらえなくなる可能性が浮上するので、そこからは踏みとどまった。やっぱり胃袋を掴まれているのかもしれない。

「私の耳に何かしたんですか!?」

「疑わしきは罰せず、だよ」

「うぅ……状況証拠だけですね」

 状況証拠はそろっている。そもそもサイファーとフレデリカしかこの部屋にはいないのだから、自分が真っ先に疑われるのも納得というものだ。実際下手人だし。物理的証拠を突きつけられれば、さすがに認めざるを得ないが。

「朝飯はどうする? 食堂に行くか、持ってきてもらうか」

「どちらでも構わないですよ。あなたに合わせます」

 即座にフロントに内線をかけた。

 サービスはやっぱり良い。客のわがままも無理でなければ答えてくれる。仮宿でも妥協しないデリンジャーの仕事っぷりに、ダブルベッドの件は不問にしてやろうという気になれる。なんだかんだ憎めないのは似た者同士だからか。自分で言うことではないが。

 部屋のドアに差し込んであった雑誌と新聞を眺めてから二〇分したころ、チリンと部屋の呼び鈴が鳴った。ボーイがワゴンを押してきた。

 軽めの朝食だった。量も腹八文目に収まるちょうどよさだ。あまり満腹だと動きづらくなる。

「昨日はありがとうございました」

 食事を終えてからフレデリカが切り出した。

 感謝を受ける覚えがまるでなかった。昨日といえば酒場での銃撃戦があったばかりだが、あの時はフレデリカが窮地を切り抜けた後に入ったから、むしろ恨まれる方が筋だと思っている。

 守ってやると何回か言ったことはあるが、そのたびにフレデリカは自力で何とかしている。申し訳が立たない。

 だが自分が教え込んだ技術を次々と覚えていき、メキメキと成長していくその姿に内心は嬉しくもある。

 ――なんだよ。

 ――パートナー云々は冗談のつもりだったんだが。

 ――これじゃ、ホントにパートナーだ、相棒だ。

 動揺を気取られないように努めて冷静に答える。

「なんのことだ?」

「一緒に、寝てくれたことですよ」

 ああそれか、と納得したようでしなかったようで、何とも複雑だった。

 別に一緒のベッドで寝ることなど何回かある。ただ一緒に寝るだけだったのに、どうして感謝を述べられなければならないのか。サイファーはちょっとわからなかった。

「勇気を、いただけたので」

「そりゃ良かった」

「もしかしたら、また、お願いするかもしれません」

 少し恥じらうように顔をうつむけた。

 ――やべぇ、かわいい。

 思わず口に出そうになって呑み込んだ。事実と言えば事実なのだが、言ってしまったら口をしばらくは利いてくれない気がする。

「それじゃ、一暴れする前に言っておこうか」

「なんでしょう?」

「もし僕に何かがあったら、すぐに逃げろ。それで中層の家まで戻って、帰ってくるのを待っていろ」

「そんな!」

「こればかりは通させてくれ。今でも嫌な予感はするんだ。何らかの方法で伝えるから」

「わかり……ました」

 こういう肝心な所では聞き分けが良い。

 万が一にも何かがあれば、もしかすると手を貸しにやってくるかもしれない。この仮宿にやってくるまでの間に聞いたフレデリカの本音が本当ならば、十分にあり得る話だ。だから釘をさしておく。刀と銃の腕に従前たる覚えはあるが、決して無敗というわけではない。

 強者ではあるが最強ではないのだ。腕っ節と規格外の暴力と“力”にまかせて暴れるだけだから、知略と陰謀にやり込められることだってある。

「それじゃあ“もしも”がないように、私も精一杯がんばります」

「そんなに気負わなくたって、いつもどおりでいい。お前さんを置いて行ったら後が怖そうだ」

「どういう意味ですか、それ」

「帰ってきてもメシを作ってくれない」

「あなたほどいじわるじゃありません。自炊できない人を放っておいたら、三食常に外食になってしまいます」

「うーん、僕はツンとむくれて自分の分だけ作ってるお前さんが浮かんだんだが」

「そんなことするくらいなら、あなたの分も作った方がお得です」

「おおー、庶民派思考」

「どうせ庶民です」

 ふと思ったが最近は割とはっきりものを言うようになった。

 最初にあったころは恐ろしいくらい従順で、逆に心配するほどだったが、こうやって対等な会話だって出来る様になった。

 大学のころに受けた辛い経験によって凍てつきつつあった心が、ゆっくりとだが解凍されてきたということか。喜ばしいことではあるが、そのきっかけが自分の与えた力だと思うとサイファーはいたたまれない。さらに心の深層にある理不尽への怒りを解き放つ遠因となったことを申し訳なく思っている。

 この自責を告白すれば、彼女はどう思うのか。

 自分の下を去るのか、あるいは残るのか。それよりも控えている仕事をの方を優先するべきだと、この問答は無理やりにでも打ち切った。堂々巡りをしたって、意味はあまりない。

 どこまでいってもサイファー・アンダーソンという男は一介の荒事屋であり、実力行使請負業の看板を掲げているだけ。やれることは依頼人クライアントの望むものを壊し、砕き、潰し、消し去ること。求められているのは破壊のスペシャリストであることだけだ。

 だから、今日とて普段通りにやるだけ。

 敵対する者、立ちふさがる者を殺しつくすだけ。

 ただ今日は一つだけ加える。



 ――彼女フレデリカを害するものも、殺す。



 ◆◇◆◇◆



 ――第五区画。

 酔狂や度胸試しで近づく人間はいるかもしれない。ほんの数日間の滞在もまれだが、決して皆無というわけではない。

 だが定住する人間は少ない。いた、としても尋常の肉体ではなくなっている。

 第五区画。アーカムの巨大なアーコロジーを構成する階層構造は、人造の大地と言っていいほどの自然科学の結晶だが、このアーカム下層のここだけは例外だ。

 アーカムのほとんどはアスファルトなり石畳で舗装されている、というのがフレデリカの認識だった。おそらくは一般市民における共通認識でもあるだろう。食糧確保のための人口の畑や牧草地を除けば、アーカムの中で目にするのはきっちり舗装された人造の大地だ。

「これは……何が起こって」

 自分の目を疑った瞬間は何度でもある。このアーカムはそういうものでいっぱいだ。

 怪奇現象、幻想生物グリム・クリーチャー、未だ未知の存在だってある。たとえば自分の黄金の双眸。

 だが第五区画を目の当たりにしたとき、つい先ほどまで戦争でもあったと言われても納得できた。それも人対人ではない、人と機関の戦争が。

 地面に埋め込まれている水道、蒸気、ガス、使用頻度は少ないが電気のインフラ・ケーブルやパイプが、鎌首をもたげた大蛇のごとくねじ曲がっている。地面から建物の壁を張っているものだって、その例に漏れず無残な形を示している。地面は石畳は粉々に砕け散って、鉄骨と思わしき鋼が雑草のように生え出ている。

 普段の風景はない。見渡す限りの鋼。

 建物もその例に漏れない。見渡す限りの鋼鉄。

 人の姿は見当たらない。見渡す限りの鉄。

 メタル! 鋼鉄メタル! メタル

 研ぎ澄まされた刃だった。温もりあるものを寄せ付けない、冷ややかで鋭い。そして重厚。

 金属の街だった。文字通り、金属以外の何もかもを排斥した。

 言葉が出なくなっていたところに、上から声が降ってくる。

「第五区画。またの名を鋼鉄区画メタル・エリア

「全部、鉄で出来ているようです」

「ここだけがそうだ。この区画だけは機関の天下だって言ってもいい。あれを見てみろ」

 指さした先を見つめると納得できた。

 鋼鉄の巨人がいる。一か月も前に中層に攻めてきた存在だが、ここでは所作の類は人間らしい。大型の機関騎士だった。大出力の小型機関を搭載し、八割以上を機械に置き換えた存在だ。その五体は隅々に至るまで殺人平気で武装されている。技術で未だに引けを取るイギリス本土製でも、たった一体で中層での十分な脅威だとサイファーから教えられている。ヘンリエッタくらい強ければ、一対三くらいでも勝てるらしいが。

 ただ視界にいるのは仕様が違う。正真正銘のアーカム製で、それも下層で作られた一体だ。

 どれほどの脅威になるなど考えたくもない。

 イギリス本土製ではただの無骨なだけだった大剣は、圧搾蒸気を噴射することで容易に超音速の速さを生む機械剣マシン・ブレードとなっている。豪壮な騎士甲冑に見える鋼鉄の肉体には、どれだけの兵器が搭載されているのか。何もかもが規格外だと判断できた。

 それだけなら、まだいい。

 体の一部を異形の義肢に変えた人間もいる。全身を鋼鉄に換装した人間さえいる。

 ここは荒事のために、弱い自分と決別するために、力を求めるために体だけでも鋼鉄に変えていく場所なのだ。ここは機関に乗っ取られた区画ではなく、鋼鉄を求めて受け入れた人間たちの住まう場所なのだ。

「でも、なんでこんなところに? ここには需要のある人はいないと思います」

「鋭いな。需要のあるヤクなら、ニーズの多い所に製造所を置くのは良く考える。だが今回のブツは実験的な意味合いが強いと僕は思うんだ。僕だったら一見して関係ない所に実験場を構えて、心行くまで実験に明け暮れる」

「たしかに。流通させるのが目的でないのなら、ここに工場を置くというのも納得です」

「どのみちヤクを作ってるヤツを締め上げればはっきりする」

 それもそうだ、とフレデリカは同感だった。

 ここで推測を重ねていても、事態に何の進展もない。

 ただ昨日の件でアルバニアンが攻めてきたのは偶然だったのか。敵対するデリンジャー・ファミリーの協力者なのだから、狙われる理由が全くないわけではない。むしろ狙われる方が自然というものだ。

 それでも態勢が整い過ぎていた、という感想はある。

 サイファーがほとんどを片づけてしまったせいで脅威ではなかったが、優れたチームワークを持つほどの殺し屋を送り込んできたのだ。名のある荒くれを雇うには事前に依頼を出しておかなくてはならない。いきなり雇ってこれるほど、プロの腰は軽くないのだ。

 不意に浮かび上がってきた疑問は胸の内に広がっていく。

 それでも待ち受ける鉄火場を乗り切るため、それは後になって考えることにした。

「ちょっと力み過ぎだぜ」

「え」

「そのまま銃把を握れば、確実に暴発だな」

 緊張していることを、指摘されて初めて気が付いた。両手に妙な力が入って、強張っていたのにも。

 昨日の夜にたくさんの勇気と安心をもらった、と思っていたがまだまだ未熟だということ痛感した。

 いや、勇気と安心をくれたサイファーでさえ不安を感じているのだ。拭いきれない不安が緊張となって浮かび上がったのかもしれない。

 深呼吸。深く吸って、一気に吐き出す。手の強張りが抜けていく。

「大丈夫か?」

「幻想生物が来たって冷静でいられると思います」

「それは重畳。コイツに跨れ」

 大型蒸気二輪のうえでサイファーとのタンデムは未だに慣れない。

 結構な速度を出すせいで振り落とされないようするのは骨が折れる。しかし、気になるのはやむなくサイファーの大きな背中にしがみついたとき、わずかだが身じろぎをする。

 原因はわかってはいる。彼だって従前たる男なのだから、自分でも大きすぎると思う胸を押し付けてしまっては身じろぎもするだろう。いかんせん自分でも大きすぎるという自覚はあるし、着れる服も限られてしまうから、下着は二つ下のサイズを使っている始末だ。ヘンリエッタは大学時代から『羨ましい』とか言ってはいたが、そのたびにあまり大きすぎるのも色々と不便だと口酸っぱく言っている。

 それでも背に腹は替えられないから背中に掴まるしかない。腰に手を回して体を引き付けるようにして、掴まる。

「何か、不都合があったら言ってくださいっ」

「僕を見くびっているようだな」

「ご、ごめんなさい」

「こ、この程度でどうにかなる男じゃない」

「…………ほんとうに、ごめんなさい」

 やっぱり顔が良くたって、スタイルが良くたって、いいことなんて男受けがいいだけだ。それも人を見た目だけで判断するような、風上にも置けないような下劣漢の。

 もしかするとサイファーもそうなのかもしれない。口調は結構粗野なところがあるし、淑女レディの扱いに慣れてるかといえば良くも悪くもない。はじめて一緒に外食へ行ったときには落ち着いた服装で、それなりのダイナーに連れて行ってくれたが、あれはかなり無理をしていたのかもしれない。

 おそらくは見目がいいから。自分ほどの美しい女ともなれば、男は誰でも優しくしたりするのだろう。だからサイファーは自分をそばに置いているのだろうと思う。けれども昨日の一件から何かが変わったような気がしたのだ。お互いにいなくなってほしくない、そうなるのは嫌だ、と胸中を伝え合ったのだから。

 きっとサイファーはフレデリカを十中八九、いや確実に何かあれば助けに行く。

 でもフレデリカは何ができるだろうか。自分の持つ力は借り物同然の付け焼刃だというのに。

「着いたぞ」

「は、はい」

「さて……正面切っていくのは愚策だな」

 目の前には大きな化学工場めいた鉄筋とトタンでできた建物があった。

 建設中だったのか、それとも回想する途中で廃棄されたのか、工事用の足場の残骸が朽ちたまま放置されている。外周は金網でぐるりと取り囲まれ、妙にひっそりとしていた。すべての生命が死に絶えている。雑草一つとて生えていない。

 それでも人の気配はした。建物内部から三〇以上は優にある数が。

 二挺に思わず手が触れる。ホルスターに収められた冷ややかな感触が、こういう時に限って心強い。

「フレデリカ、適当な窓からキャットウォークに入れ。僕が正面から行くまで、絶対に動くな」

「し、正面から行くんですか!?」

「お前さんの生存率上げるために囮になってやろうってんだ。ライフルを積んどいたから援護はよろしくな」

「……無理はしないでください」

「了解」

 のしのしと進んでいくサイファーの背中を少しの間だけ見つめ、蒸気二輪を探すと円筒形の革製ケースがあった。長さは一メートル三〇センチくらいか。

 ファスナーで閉じられていたそれを開けると、中からスプリングフィールドM1903が出てきた。新大陸製の三〇口径大型ボルトアクションのライフルだ。新大陸の銃火器はイギリス本土のものと比べれば格段に性能がいい。

 このライフルは銃身を太い何かで覆っている。詳しくない者が見れば、非常に肉厚の銃身にしたのだと判断するだろう。それは薄い中空の金属の筒にウレタンを詰めた消音器だ。これだけのライフルとなれば超音速による衝撃波の音は消せないが、一番大きい弾丸の爆発は聞かれない。肩に掛けれるようにスリングまでついている上に、弾倉裏蓋を外しての手早いリロードができるように改造されている。

 側面から回り込んで、朽ちた足場に手をかけた。



 ◇◆◇◆◇



 工場の鉄扉は割と堅固そうだとサイファーは腕を組んで眺めている。

 正面切っていくとなれば、それなりに派手なことをやって囮になる必要があるだろう。扉の向こうには5人もの気配を感じるとくれば、取る選択肢は一つだ。

 無造作に蹴りを放つように構える。ふうと一息ついた。

 本当に気を抜いたような蹴りが、堅固な鉄扉に触れたときだった。

 総重量一トンをはるかに超える扉が、五人の男たちを瞬く間にのしいかにした。地面と扉の隙間から真っ赤な絨毯がじわりと滲み出てくる。

 建物全体に雷鳴が響き渡った。天井へ向けての威嚇射撃だ。

「ここでヤク作ってる張本人、今すぐ首根っこ捕まえて引き渡せ! さもないともっと死人を出すぞ!」

 規格外の巨大リボルバーを向けたとき、工場の方々にいた人間全員がサイファーの方を見る。

 バン、と殺意が叩く。物理的な衝撃を以て、頬を叩いたように感じる。

 瞬時に戦力を分析する。

 ――どこかしら改造してるやつらがほとんどだ。

 ――全身機関までいやがる。ごくろうさんなこった。

 機関銃の掃射が降り注いだ。定型の手足で機関銃を撃っている者は少ない。だいたいが四肢か全身を強力な戦闘用機関搭載義肢に替え、内蔵された武装を使っているのだ。

 工場内は乱雑にコンテナが積まれていたおかげで遮蔽物には不自由しないが、内蔵火砲の口径と弾丸によっては貫通してくることもあり得る。人間一人くらいなら跡形もなくズタズタにできるくらいの威力が最低限なのだから。

 二メートルを超える巨体と灰色のロングコートにテンガロンハットと目立つ服装だが、目につかないように立ち回る術は心得ている。

 弾幕を展開している男たちの陣から少し離れたところにいた一人の背後を気取られずにとるくらいは朝飯前だ。

 全身を機関に置き換えている。総身すべてが鋼鉄の輝きを放ち、左手はねじくれたように変形して二門の内蔵火砲を展開している。そいつの首に手をかけるや、一息にひねる。

 金属が破断する耳障りな音がした。首の関節をすべて捻じり切ったところから、一気に脊髄を引っこ抜く。首から下を思い切り蹴飛ばして、固まっているところにぶつけてやる。三人がなす術もなく薙ぎ倒された。

 銃口が一気にサイファーのほうを向いた。

 けたたましい連射音が鳴り響き、マズルフラッシュはストロボとなって戦場を染める。

 その全てを塗りつぶし、かき消すほどの轟音と明滅。『Howler In The Moon』の咆哮は銃声とマズルフラッシュと共に、言い知れない恐怖を銃口の先にある有象無象に刻み付ける。全身機関の男が一気に弾け飛んだ。装填されていたのはホーレス・カーター謹製の炸裂弾だった。

 火柱をあげながら強烈な衝撃とモルタルを変形させるほどの熱量で五人も屠る。

 その時、サイファーの立っていたコンテナが蒸気を伴いながら射出された何かで跡形もなく弾けとんだ。住んでのところで真上に飛んで避ける。

「うおわっと!」

「今だ、撃ち殺せ!」

 キャットウォークにぶら下がる形で捕まった彼に、一斉に銃口が向けられた。

「「撃て!」」

 サイファーと男たちの声が重なった。

 キュン、と甲高い音がした瞬間、一人の心臓が撃ち抜かれた。

 もう一回同じ音がしたとき、今度は別の男の眉間が撃ち抜かれた。

「狙撃だ!」

 そう叫んだ男は、叫んで開けた口に弾丸を撃ち込まれたv。

「グッド・タイミングだ、フレデリカ」

「早くそこから降りてください!」

「あいよー」

 サイファーが着地した時、目の前にいた男は真っ二つになる。手を離したときに抜いていた日本刀で唐竹割りにしたのだ。

「来いよ腰抜け」

 人差し指をクイクイとやって挑発すれば、男たちは逆上にまかせて銃口を向けてくる。

 弾丸が殺到する。それをサイファーは避けようともしない。

 五尺もの長尺の野太刀が刃渡りに見合わぬ機敏さを見せつけ、斬線を閃かせながらサイファーの目の前で煌めきながら刃は舞い踊る。その下に落ちたものを男たちは理解しただろうか。小さな甲高い音を立てて堕ちたのは、育英にも刻まれた弾丸だった。

「……化け物ッ!」

「よく言われるよ」

 苛立ちと侮蔑を顔に浮かべたまま男は真っ二つになった。

 瞬撃の剣戟だった。おそらくは誰も振った瞬間を見てはいないはずだ。地面に倒れた途端にその体は数百もの肉塊となって一面に広がった。

 ここで残った者たちは自分たちに待ち受ける運命を理解したのかもしれない。そこから逃れられるかどうかなど度外視して、半狂乱と化して敗走する。それでも二人は容赦しなかった。特にフレデリカの狙撃は百発百中の精度を発揮し、スコープの十字線に捉えられたものはことごとくがワン・ショットで撃ち倒された。

 工場は無人と化した。フレデリカとサイファー、もう一人を除いては。

「一人だけ残しておいたんですか?」

「ああ、オラとっととテメェの所属を吐け」

「……誰が言うかッ」

 悪態と一緒につばまで吐いた。ブチンと思いっきり大事な血管がブチ切れた。

 一発殴ったかと思えば、膝蹴りをくらわせてから地面に叩き付け、ぴょんと飛んでから胸のあたりを踏みつける。気を失ったところをさらに殴って、無理矢理目覚めさせた。

「アルバニアンだよッ! お前らもわかってんだろッ!!」

「まぁそうだろなとは思っていたがね。アーカムで手に入れた新しい身体はどうだ?」

「クソッ! 大枚はたいて手に入れたのに、なんでこうなんだよッ!」

「さ、ここにいた理由も吐いてもらおーか」

「それだけはどうしても言えねえな」

 ここだけはどうしても譲らないと、目でも訴えている。

 仕方ないな、と嘆息するとあろうことか野太刀をおもむろに左足へ突き刺した。そこだけは生身だったようで、刃の波紋を鮮血が汚す。手負いの獣めいた悲鳴を上げ、男はエビ反りになって痙攣した。

 うつぶせの状態でそうなったから、必然的に上半身が持ち上がる。今度は右肩の辺りを浅く一閃する。男の五感は灼けるような苦痛を伝え、それは脳の許容を越えて灼け付くのだ。

 ここで気づく者なら気付けるはずだ。サイファーはわざと苦痛を増やすように斬っていることを。

 いかに多くの痛点をなぞるように斬るか、切り口をいかに不恰好に、そして大きくするか。素人目では適当に斬ったり突いたりしているようにしか見えないが、実態は達人の知識と技がなせる拷問なのだ。

「やめろ! お願いだからやめてくれぇ! 言う、言うから!」

「忠告しておこうか。嘘ついたら、もっとひどい目にあわせてやる」

 指の骨を鳴らす。力も大きく、指も体格相応に太いせいか重厚で大きな音がした。

 きっとブン殴る気満々だ。ただでさえ身体中に朱線の走る男に、体格以上の馬鹿力で殴りつけられようものなら最悪は死んでしまう。曰く「もっとひどい目」というのだから、きっと生かさず殺さず痛苦を与えることに特化した、そういう責めを行うのだろう。

「ここに協力者がいる。ホーランドっていう狂碩学だ」

 息も絶え絶えになって吐き出した理由と、その名前。

 一度は聞いたことのある名前だった。

「やっぱり、薬の製造者とアルバニアンは……」

「繋がっていたか。納得といえば納得だが」

 売人と接触したころに襲撃があったことから、フレデリカはアルバニアンと薬物製造者に何らかのつながりがあるかと薄々感じてはいたのだ。考えてみればアルバニアン・マフィアはアーカム下層への進出を狙っている。薬物製造者は実験を重ねたいと願っている。アルバニアンは製造者の身の安全と実験の補佐を願い出て、見返りにアーカム進出の手助けをする。碩学だというのならアーカム下層の妖技術を以て、構成員たちに力を与えてもいい。もしかしたら、倒れ伏す彼らは件のホーランドなる碩学によって改造されたのかもしれない。

「そうか、そいつはどこにいる?」

「ここの――」

 言い切ることはなかった。

 上顎が吹っ飛んでしまえば、その舌は言葉を紡ぐことはない。それ以前に舌を動かす命令を送る脳が跡形もなく吹っ飛んでしまっては無理もない。

 銃声。何回も連続して。

 ――銃声。

 ――銃声!

 ――銃声BANG!!

 ――BANG!!

 ――BANG!! BANG!!

BANGBANGBANGBANGBANGBANGBANGBANG!!!

 猛烈なほどの大口径弾と思しき連射は文字通りの鋼の身体を、呆気なさすぎるほどに粉砕した。

 おそらくは四挺以上の大口径機関銃による掃射だ。入り口の方に複数の気配を感じたことから、確実に増援が来た。

「あら」

 耳を打ったのは女の声だ。二十代に差し掛かった女の声だが、異様なほどの色香を声音に孕んでいた。

「男のほうは私がやるから。女のほうは好きにしなさい」

 肩の辺りで綺麗に切り揃えたブルネットは揺れもせず、右手一本で四体もの機関騎士を動かした。

 あらゆる欲望が開放的なアーカムと言えど、女の服装は露出が多すぎる。娼婦が着るようなピンク色のチューブトップに、足のほとんどを露出するような下着同然のホットパンツだ。手足を覆うものを極力排しているようだ。

 サイファーは銃に再装填している。

 フレデリカもおめおめと殺されてやる気はない。

「フレデリカ、腕の見せ所だ。返り討ちにしてやれ!」

「…………はい!」

 避けようない死地に意気揚々と踏み出した。

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