硝煙、守り手の住み処を満たして

 保安課の部署を出た早々に、銃を持ったならず者が歓迎する。拳銃から短機関銃、自動小銃とバラエティに富んだ銃口が向けられる。

 保安課の扉が水平に回転しながら迫る。

 サイファーが力任せに外し、剛腕をもってブン投げたのだ。

 フレデリカとワイアットが身を隠す時間稼ぎのつもりだったが、重量物の扉が飛んだことで怯んだ隙をついて、二人の銃が瞬く間に撃ち倒してしまった。

「敵は一人だと聞いていたんだがな。もしかして一人の方は陽動か?」

「可能性としては十分に濃厚です。前後左右に注意を払いながら、排除していくのが最善かと」

「なかなか分かっているお嬢さんだ。俺も賛成だよ」

「フレデリカが前方、僕が左右で、ワイアットは後ろで」

「それでいきましょう」

「異論はない」

 SAAに再装填を素早く済ませ、さらにウィンチェスターのフォアエンドも引いた。チューブマガジンを延長した統治局保安課特別仕様だから、火力は一般的なものの比にならない。

 フレデリカも両手の拳銃を再装填したようだ。

 そのまま彼女を戦闘にしたまま、三人は進行を始める。

 長い廊下だ。左右に会議室に資料室、その他諸々の下手への扉がいくつもある。

 その中程まで来たとき、四方八方の扉が一斉に跳ね開けられた。

 わらわらと武装した男たちがなだれ込んできたのを、三人は示し合わせたわけでもないのに流れるような動きで葬っていく。

 ワイアットのSAAが吠える。

 引き金を引き切ったまま、ハンマーを手のひらで叩くように撃つ仰ぎ撃ちファニング・ショットで六人を瞬く間に倒す。

「全員逃げろ! 重機関銃だ!」

 サイファーが叫びを上げるほどの脅威に、フレデリカもワイアットも全く同時に視線を向けた。

 水冷式の巨大なバレルジャケットを装備したブローニング重機関銃が、廊下の奥に鎮座している。

 機関部から伸びる弾薬帯の長さは三メートル近い。三〇-〇六スプリングフィールド弾の猛連射を想像し、全員が近くの扉を盾に逃げた。

 鉛玉の大嵐だ。

 射手は狂乱の雄叫びを上げながら、銃身の加熱など思考の片隅にも存在していない、それぐらい狂ったように撃ちまくる。

「全員生きてるか?」

 サイファーの問いに弱々しい答えが二つ。

 鉛詰めのミートパイに誰もなることはなかったらしい。

 規格外の巨大リボルバーをどこにしまっていたのか。不自然な浮き彫りもないコートの内から、六〇〇ミリ以上ものマットシルバーな灰色の巨銃が現れる。

 重厚なウェイトに刻印された『Howler in the Moon』の文字は、名が体を表すように月まで届く咆哮のごとき銃声を放つことの現れか。

「統治局、ブチ抜くつもりか?」

「火力が足らん。オートリボルバーじゃ相手になると思う?」

「散弾銃もここからだと届かな…………あ」

 ワイアットに間抜けな声を出させた原因。

 フレデリカが動いた。

 実力行使請負業の仕事を手伝う上であつらえた、モノトーンの落ち着いたドレス。その膝下丈のスカートが、回避も兼ねた回転運動によって翻る。

 舞踊と見間違うほどの動きが静止する。

 狂乱の盲射さえ止まった。射手は頬を朱に染めて見惚れていたのだ。

 二種の拳銃を双手に構え、半目で射手を射抜く。

 見えない手が吹き飛ばしたように、呆気ないほど脅威は撃ち抜かれた。

「…………ふぅ」

 ほっと胸をなで下ろす。

 その動作一つ一つの所作さえ、戦いの場というのに呆れるほど美しい。

 戦場に咲いた華であった。モノトーンで際立てられた、黄金の一輪。

「よくやった。綺麗な動きだったよ」

「大したことじゃないですよ」

「アレは使えそうか?」

 ワイアットがブローニング重機関銃を指さしたときには、サイファーは固定銃座に手をかけていた。

 金属の引き千切れる特有の音。耳障りなそれを立てながら、弾薬帯を引きずりながら歩き始めた。

「おお、来た来た。まとめて蜂の巣にしてやるか」

 突き当たりを曲がれば、三〇人近い武装した男たちがやってきた。

 それにサイファーは重機関銃の掃射を以て応える。

 三人を追い込むはずであった大火力を奪われたことに、男たちの顔には色濃い驚愕の表情が一様に浮かんでいた。

 逃げることも忘れて狂乱した。容赦ない銃火が降り注ぎ、次々と男たちを絶命させていく。

 腕を吹っ飛ばされた者、腸をねじ切られた者、頭蓋をすっ飛ばされた者。種類を問わない数々の死体が並び、血溜まりと肉片で廊下は埋め尽くされた。

 オートリボルバーを二挺、両手の肘を曲げて銃口を上にして構える。そのまま悪臭を放つ血の海を平然と歩んでいく。

「一人でノコノコ出てきやがった!」

「撃て! ぶっ殺せ!」

 男たちの喚きに銃弾を以て応えた。

 弱装とはいえ大口径のリボルバー拳銃弾は、対人では充分な威力を示す。自動拳銃とは違って、自動装填機構による反動軽減の恩恵はないが、サイファーの膂力では些細な問題であった。

 瞬く間に弾倉内の弾丸十二発での、ワンショット・ワンキルだったが再装填の問題が立ちはだかる。

 サイファーの目の前にはブローニング自動小銃を構えた男。彼の目は最大の隙を見たせいか、濁りきった目で表情は鬼気迫る狩人であった。

 その時、六発の四五口径弾を収めたスピードローダーが二つ宙を舞った。

 すかさずオートリボルバーを中折れブレイク・オープンする。いかなる技を使ったのか、スピードローダーから弾丸が滑り落ちた。

 レンコンの如く空いた六つの装填孔に弾丸がすべて、吸い込まれたかのように、見えない手で引っ張られたように、綺麗に収まった。そして中折れのヒンジが回転する。

 ──装填完了。

 かかった時間、実に二秒。

 人間離れした曲芸を用いた再装填は、目の前の男がブローニング自動小銃を取り落とすほど度肝を抜いたらしい。

「は……? な、あ……んん?」

 間抜けな声まで上げて。

 撃鉄の起きる音を聞いて、ようやく男は我に返った。その時には何もかもが手遅れであったが。

 連続した六連発が撃ち込まれた。その内、四発が頭蓋を跡形もなく撃ち飛ばし、二発は両肺を綺麗に撃ち抜いていた。

(そのまま、そのままだ。こっちは見ないでくれよ)

 銃身を切り詰めたソード・オフ上下二連散弾銃を持った小男が、ゆっくりと左後方から忍び寄っていた。

 装填されているのは口径十ケージに、長さが五インチ近い自作の散弾だ。対人相手にぶっ放せば、はらわたも何もかもズタボロになって確実に即死だ。

 無意識に口角がつり上がる。

 この大男をしとめた後に待っている栄転で。

 だからこそ、気付けなかったのだ。

 ──バネ仕掛けのように跳ね上がった左腕に。

 息を呑む暇さえなく撃ち込まれた六連発に小男は絶命した。サイファーは小男の方など一目と見ていないのに、弾丸は全て一五〇センチ足らずの矮躯に撃ち込まれていた。

 小男の手を離れて、宙を舞った散弾銃が足下に落ちる。

「おっ、すげえ銃だな」

「ソードオフ・ショットガンでしょうね」

 フレデリカの声が追いついた。

 遅れてウィンチェスターM1912の銃声もした。それから間隔の空いた三連発は、S&WのM3スコフィールドによるダブルアクションによる発砲か。

「弾が違法製造のハンドメイドだ。威力は考えたくもない」

「ああ、口径も長さも規格外品だ……これTNTが炸薬に混じってる」

 サイファーの嗅覚は散弾に封入された、爆薬のにおいを察知したらしい。

「正気の沙汰で作られたとは…………とても思えません」

 あろうことか爆薬まで混入された散弾。それを二発装填したソードオフ・ショットガンを、サイファーは左手で肩に預けるように持った。

「使う気ですか…………その銃」

「こんな化け物じみた代物、滅多にお目にかかれないよ」

「自分の得物をもう一回見直してみろ」

 ワイアットとフレデリカの脳裏にあったのは、サイファーの持つ規格外の巨大リボルバーだ。

 全長六〇センチは優に超える代物であるが、二メートルを超える背丈の彼にとっては少し大きいという程度だが。

 それでもソードオフ・ショットガンが霞むほど、常識はずれの代物であった。それは彼の右手に握られていた。

 サイファーは規格外の怪物銃を両手に携え、のっしのっしと歩き始めた。ロングコートの裾が揺れてるし、身長二メートル超えは伊達ではなかった。

 とにかくダイナミックだ。

「どうした? さっさと行くぞ」

 距離は開きつつあるのに小さくならない後ろ姿に、出会ったばかりの二人は同じように微妙な空気であった。

「敵さん、きっと皆殺しになっちまうな」

「笑いながら虐殺していきそうな気が……」

 容易に想像できる。

 ──逝きさらせ! 愚民ども! アーハッハッハッハ!

 築き上げられるであろう屍の山を想像して、背筋の凍る錯覚を覚えた。

 敵に情けはかけないが、せめて苦しまずに一撃で楽にしてやろうと思ったのであった。幸い、二人とも銃の腕には覚えがあるのだ。

 急所を三発以内に撃ち抜いて絶命させるなど、片手撃ちでも容易いことだから。

「止まれ。やっこさん、エントランスに戦力を集結させてやがる」

「……濃い殺気です」

「のこのこと出ていけば即蜂の巣だな」

 全員集結。

 凄惨な殺戮が行われたのだろう。折り重なるように職員の死体があったが、腕利きは未だに応戦しているらしい。

 さらなる情報を得ようとフレデリカが身を乗り出そうとすると、足先に堅い感触があった。

 MV社が次世代の歩兵小銃として売り出した、M4エクスターミネイターであった。三〇-〇六スプリングフィールド弾を使っておきながら、反動消去用のカウンターウェイトを仕込んだ新式のガス圧作動方式のおかげで反動は四割近く抑えられている。

 イタリア人デザイナーによる銃床ストック銃把グリップを一体化させたサムホールストックを取り入れたり、四発装填できるポンプアクション散弾銃を銃身下部に装備するなど新しい試みも取り入れられている。

 新設計の複列三〇連弾倉だけではなく、ブローニング自動小銃の二〇連弾倉も共有できるなど至れり尽くせり。

 全長は九五〇ミリ。重量は六キロ。

 それを色白の繊手が拾い上げた。ずしりとくる重さであったが、その重さが戦場における信頼性の具現のようであった。このアーカムでは軽量高威力の武器が好まれるというのに、妙なところにフレデリカは前時代的なこだわりを持っていたのであった。

「準備はいいか?」

 上から降ってきた聞き慣れた声に、明朗快活に返した。

「はい、いつでも」

「いい返事だ」

 エントランスの天井、そこに吊されていたシャンデリアに向けてリボルバーと散弾銃を一発ずつ、サイファーは撃ち込んだ。

 着弾の衝撃は手榴弾の爆発に等しい。

 砕け散ったガラスの破片が、鋭い薄刃の雨霰と化して周囲に降り注いだ。たまらず、飛び出してくる者がいた。要はあぶり出しであった。

 そこにワイアットの右手にあるSAAが追い討ちする。

 撃鉄を叩くように撃つ仰ぎ撃ちが炸裂した。

 フレデリカも側転しながら飛び出すと、拾い上げたM4の掃射を浴びせる。加えて引き金を引ききったまま、フォアエンドを前後させてのスラムファイアも放つ。

 ワイアットもウィンチェスターでのスラムファイアを浴びせた。

「ミンチよりひでえな」

「このメンツなら当然の結果だろう」

 ワイアットが肩を竦める。

 第十二層において知らぬ者はいない『実力行使請負業』と、アーカム統治局保安課課長ワイアット・アープの敵が無事で済むはずがないのだから。

 そしてフレデリカの実力もまた、無視できないくらいには洗練されている。未だ荒削りの領域は脱していないが。

「まだいます。気をつけてください!」

 M4エクスターミネイターの連射を弾倉交換まで済ませて続ける。

 フレデリカは手に入れて間もないライフルを、あっという間に扱いこなしている。

 殊勝に大勢を相手取る彼女に微笑み一つ。そしてサイファーは大仰に右手を横に、五指を広げた。その先で暗黒が広がり、蠢いてから、あるものを吐き出したように出した。

 赤銅に燃えて輝き、紫の柄紐で飾られ銀色の鍔が光る。それは日本刀の柄以外の何者でもない。それを一気に引き抜いた。

 優美に浅く弧を描く五尺もの長大な刃は、確実に野太刀や大太刀に分類されるであろう長物であるが、身長二メートルを超えるサイファーには、むしろぴたりとさえ思えてしまう。

「ちょっと派手に行くか」

 言うが早いか。

 左手に握るリボルバーを一発。ほぼ同時に銃口の先七メートル前にいた男が見る影もなく爆散する。

 次の瞬間には四メートル離れた男の背後をとり、間も空けずに日本刀で胸を刺し貫く。そのままもがく男を刺したまま持ち上げ、膂力に任せて腕を振った。

 勢いで刃の刺さっている箇所から二つになった死体が、二人の男をなぎ倒したかと思えば、リボルバーを上下二連式散弾銃に持ち替えて発砲した。放たれたバラ弾は耳をつんざく爆音とともに散らばって、二人の男を挽き肉に変えて止めを刺す。

「次はお前さんだ」

 びしりと人差し指で指し示したとき、その先にいた男は縫い止められた錯覚を覚えたに違いない。

 灰色のダスターコートが翼のごとく翻って、サイファーの巨体が天井いっぱいに飛び上がった。奈落の底を思わせるほどに大きい銃口と、瞳孔さえ見開かれた男の目があったとき、雷鳴が響きわたる。

 熟柿めいて爆散した男の上半身を一瞥して、二発目の上下二連式散弾銃の轟砲を放った。TNTという爆薬を装薬にされた散弾は、掠るだけでも皮膚を大きく抉り込んだ。直撃などしようものなら体内で暴れ狂って、灼熱の苦しみを与える。

 四人もまとめて吹き飛んだ。

 サイファーは笑みを以て返す。三日月のごとく口の端を吊り上げた、鮫のような笑みを。

 そこに一陣の銀線が走った。

 サイファーの頬に朱線が走り、血潮が迸る。

「本命のお出ましかな?」

 上下二連式散弾銃を放り捨てて、リボルバーに持ち直した。

 その暗い銃口が元凶に向けられる。

 ブラウン・グレーの短髪、瞳孔まで開ききった狂気の三白眼。カッターシャツとスラックスという簡素な出で立ちで、その手には理髪店に使われるようなカミソリを握っている。

 それを手足の延長のように、くるりくるくる、と振り回す。その刃には赤い雫があった。

「手応えが一線を画している。そこの男なぞより、よっぽど斬り応えがある。だが殺したくはない」

「ワォ、熱烈だぁ。でも不思議と全く嬉しくない。そもそも斬り応えがあるのに殺したくないとは、禅問答もここまできたか」

「貴様のような人間は、那由多の時が過ぎようと切り刻みたい。飽きることなく指先からはらわたまで、ひたすら細かく一寸刻みより小さく、衝動が尽きるまで斬り続けたい。顔の皮を剥がして、その下の筋を一本ずつ切り離しに掛かりたい。お前の存在が強く駆り立てるんだ」

「返しに困るんだが…………熱意も狂気も一級品だが、僕には相手をそんな洒落たやり方でぶっ殺せる技術もなければ趣味でもない。お前さんのようなトチ狂いぬいた男は、願望のままに生きて叶う前に夢やぶれて死ね。必要なのは"いかに効率のいい死体量産機になるか"だ。だが願望を押し通せる"一握り"がたまにいる。お前さんに、その一握りの資格があるか見てやるよ」

 七連発の七〇口径もの巨弾が洗礼となる。

 ほんの小手調べのつもりで、サイファーは発砲した。だが巨弾であっても弾丸程度の質量が七つだけで、空気がひどく渦巻いて乱れていく。

 脆弱な薄刃の西洋カミソリが巨弾に差し込まれる。

 人斬りにさえ耐えきれそうにない薄刃が、巨弾を切り裂く絶技を成した。それを七回も繰り返す。巨弾は破片だけでも壁や床に着弾した途端、小規模だが爆発を起こす。

 そのまま男が地面を蹴った。

 遠くから見ていた生き残りの職員は証言する。腕利きの保安課職員だ。

「断言していい。私は瞬きなど一度もしなかったが、あの男は確かに消えたんだ」

 比喩抜きで弾丸よりも速く、男はサイファーの首筋にカミソリを振りかぶろうとする。

 そこを重厚な重みと存在感を放つ、マットシルバーの銃身が止めた。反対の手に握られた大太刀が胴を両断せんと横殴りに振るわれた。

 男は身をにわかに捻るや、カミソリと接する銃身に刃を食い込ませ、それを支点にしてサイファーの頭上へと飛び上がったのだ。

 唐竹割一閃。

 頭蓋を真っ二つにせんと、無骨さと頑丈さを補って余りあるだけの鋭さでカミソリが襲いかかる。

「ぬおっ!」

「おおっと!」

 カミソリは空を切った。

 単純に腕を振るっただけで、男を吹き飛ばす。サイファーの剛力は見た目以上なのか、目方にして七〇キロ近い男をぶん投げたのだ。

「……ちょっと興奮してきた。まさか死者と戦える日が来るとは。こういう数奇さがあるから、人生ってやめらんないな」

「まさか……」

「アーロン・コスミンスキー。頭のイっちまった床屋で、二年くらい前に切り裂きジャックの容疑者として疑われていたが、被害者の中にアルバニア・ファミリアの情婦がいた。たまたま近くでカミソリを撫で回していたお前さんは、鉄砲玉十三人のマシンガンに気づかずカミソリを見つめたまんま蜂の巣になった。僕も誰でもお前さんの死に様に大笑いし…………」

 嘲りは中断された。

 狂気の理髪師が放った、信じられない凶器によって。

 身の丈を優に超える大きな鋏。理容に使えるような代物ではなく、結構な角度で弧を描く刃は骨まで容易く断ち切るだろう。

 鋏の刃が合わせられた位置はサイファーの首があった位置。

「俺の、最期を笑うな」

「だったら、そのデカくて大層な鋏で僕の口を切り刻んでみろ」

 左手に携えた巨大リボルバーを挑発の意を込めて、上下にサイファーは振った。

 鋏の取っ手、その片方を持ってアーロンが振れば、断頭台の刃と遜色ない凶器が展開する。刃が合わさってしまえば、間にいた者は刎頸の運命を辿るのだ。

 そこにいかなる射撃法を用いたのか、刃の左と下から七〇口径もの巨弾が合わせて十発も殺到した。大鋏があらぬ方へと振られ、エントランスの支柱に突き刺さった。

「もらった!」

 轟突。

 そう言っていいだろう。

 大気を切り裂き、真空を生み出した突きを。穿たれた大気の虚は相手を引き寄せ、間合いという概念を喪失させる。

 狂気の理髪師を動かす心臓は貫かれた。

 同時にカミソリも翻り、サイファーの首を易々と切り裂く。だが噴き出たのは赤き血潮ではなく、光をどこまでも吸い込むようなタールめいた液体。闇が液体となればこうなるのかもしれない。

「動く死者よりも貴様は化け物だ。この世にいてはならん。ただ存在しているだけで世界の理に反している。生き物に流れるべきは熱くたぎる血潮であるべきだ。貴様に流れているのは森羅万象を呑み込む暗黒」

「ああ。安っぽい動く死体リビング・デッドには出来ないことも出来る。こんな風にな」

 床に滴となっていた闇が渦巻いて、一気に直径三メートル程まで広がる。

 大気がそこに向かって一気に吸い込まれていく。

 ただ吸い寄せられているのは大気と狂気の理髪師アーロン・コスミンスキーだけ。莫大なる闇の引力に引かれ続け、アーロンの表情は歪んでいく。

「生命を啜られる気分はどうだ?」

「かくなる……上はっ!」

 物理的な引力を発生させていただけではなく、闇の渦は対象の気力精力生命力さえ吸い込んでいた。アーロンの肌が色を失い、蒼白になっているのが物語っている。

 いつ手元に引き寄せたのか、エントランスの支柱に突き刺さったはずの大鋏をサイファーに向けて放った。

 いかなる投擲法を用いたのか、一直線に巨大な凶器が向かっていく。大の大人一人程度であれば難なく吸い寄せる引力を切り裂いているかのように。

 連続した金属音。

 甲高い衝突音。

 大鋏は床に突き刺さった。少し離れた場所でひしゃげた弾頭が床に落ちた。大型ライフル弾である三〇-〇六スプリングフィールド弾が。

「次は両膝です」

「なら俺は両腕をもらおうか」

 M4エクスターミネイターの銃口からは色濃い硝煙が立ちのぼる。

 ワイアットも長銃身のSAAを構えている。

 フレデリカは教えれば大抵の銃火器を扱いこなせる才能があるし、ワイアットの早撃ちは六発全弾撃っても銃声は一発分しか聞こえないほど速い。

 つまるとこアーロン・コスミンスキーは詰みだ。

 ほくそ笑んだサイファーを狂気の理髪師は睨む。

 すべて、すべて、無駄なことだ。

 そうあざ笑っているかのような、彼に向けて。

「ここでお前さんが死のうが、大元は痛くもかゆくもないらしい。だからすっぱり切り捨てさせてもらおうか」

 ズッと耳障りな音。

 アーロンはこみ上げる何かを吐き出した。赤い生命の飛沫を。

 心臓の上を再度長大な日本刀が貫いている。緩やかに弧を描く刃は背中を突き破り、刃先から血潮を滴らせている。

 刃を引き抜きながらサイファーの巨体は三メートル近くも飛び退いた。

 それを皮切りに無数の銃弾が撃ち込まれる。

 フレデリカとワイアットだけではない。保安課職員もいつの間にか集まって、各々の得物で熱烈な銃弾の歓迎をする。

 襲いかかるのは拳銃弾、ライフル弾、散弾、スラッグ弾。保安課に採用されているものは、異常性を日毎に増してゆくアーカムの犯罪に対応できる特別製だ。数式技術で弾丸が爆発したり、人体の内部で効率的に砕け散るものがほとんどだ。

 後に残ったのは原形を留めない肉片と、周囲に散った血潮だけ。

 そこに人がいたと言っても信じられない光景だ。

「こんな惨状になったが問題なかったか?」

「話の通じる相手ではない。逮捕するにしても抵抗した時点で同じだ。どのみち蜂の巣のボロクズになる運命だった。上にはうまく報告しておくよ」

 ワイアットはやれやれといった風だ。

 この男が悪人と狂人の類を強く憎んでいるのは、サイファーともう一人の友人であれば周知の事実だ。

 出会った頃から二人とも世界の未来を憂い、彼らなりのやり方で良くしようと努力していた。サイファーは二人では出来ないことをやる、一種の便利屋であったが不満は微塵もなかった。

 未来のために日進月歩するに期待していたのだ。

 だがワイアットは苛烈すぎるやり口が災いして、アーカムに左遷されてしまった。

 もう一人も集まる人間の稼業ゆえに、政治の道へ進むことを断念した。

 利害、体面、感情、理屈、絡み合う複雑な事情に折り合いを付けなければ、生きていけない人間社会のままならなさと歯がゆさを痛感する。

「生きづらいものだね。フレデリカもそうは思わないか?」

「どうなんでしょうか…………きっと全体の都合に合わせて、自分を変えて、なおかつアイデンティティを見失わない人間が成功できる人間だと思います」

「初志貫徹、鋼の意志と精神を持つ人間か。僕はお前さんの中で、そういう人間に入っているのかな?」

「もし入っていたら、この街にはいませんよ」

 思わず笑みをサイファーはこぼした。

 自嘲を多分に含んだ、シニカルな笑みであった。

「なかなか言うじゃないか。最近になって口が回るようになったな。誰のせいだろうね」

「気を悪くしたのなら謝ります。でも出会えたから問題ないんです。私もそういう類の人間には入ってませんから、アーカムのよく似合う女なんですよ」

「そうだな……本土の空気には合わないことは確かかも」

 やや気恥ずかしそうに、手を組んで。

 フレデリカは少しだけ頬を紅潮させて。

「それに私たち二人とも、そういう人間だったから、こうして出会えたんだと思います」

「……そうだな。僕も出会えて良かったと思っている」

「………………え?」

 意表を突かれた。そんな呆然とした顔になっている。

 ちょっとした冗談半分での言葉だったのに。

 サイファーは少しだけ神妙な面もちで、雰囲気は真剣そのもので言った。

「一期一会、だよ」

「あー、お二人さん。入りづらい雰囲気を作んないでくれ。サイファー、いつからそんな台詞を吐けるようになった?」

「すまんすまんワイアット。ここがお前さんの仕事場なのを忘れてた」

「なんだか、こう……むずがゆくなる気分だ。お前等が話し込んでるのは。昔はそんなに積極的ではなかっただろう」

「最近、バクチと同じことを今更になって、やってみようと思ってな。待っているだけじゃいられなくなるんだ」

「…………下手に格好付けるより、本心を吐き出すことをオススメする」

「ハードル高いなぁ……」

 勘弁してくれ、と表情だけで読みとれる笑いだった。どんな時でも余裕を保っていたいらしい彼は、なるべく笑顔でいようとする。

 しかし隠し事が下手なのか、それとも欠片ほどの可能性だが根が正直なのか。どちらにせよ笑顔に感情が出やすい。

 そして──ほとんどシニカルに笑っている。

「あの、お二人は一体何の話を……?」

『男の話だ』

 ワイアットとサイファーの声がかぶった。

 なんとなく突き放されているようで不服だ。

「そう言うんでしたら、良いんです。男同士の話に、私はお邪魔虫なんでしょう?」

「悪かった。だが男同士の話は往々にして、女の耳には耐え難いよ」

「そ、そうですよね……と、東洋には衆道という考え方が…………お二人とも、仲は、良さそうですし」

「待て、その男同士じゃない」

「野郎のカマを掘る趣味はないからな」

 二人とも揃ってかぶりを振った。

 フレデリカが東洋の同性愛風習を知っていることなど、すこぶるどうでもよかった。

 同性愛者に見られることが、たまらなく耐え難かった。


 ──いつの時代も、その素質はあるらしい。




 ◇◆◇◆◇



 すっかり暗くなった夜道を歩く影が二つ。

 一つは身長二メートルを超える男──サイファー。

 もう一人は一六〇センチに満たない少女と言っていい女──フレデリカ。

 揃い──と言っていいかは微妙だが──の意匠がある灰色を基調とした衣服は二人の仕事着であった。

「すっかり遅くなったな」

「あの後、後始末まで結局のこと手伝ってしまいましたから」

「撃つだけ撃って、そのまんまは寝覚めが悪い。ちょっと、やりすぎた節もあるし」

 バツが悪そうにテンガロンハットの上から頭をかいた。

 やはり得意分野は荒事だ。繊細な力加減や細やかな機微がものを言う家事が苦手なのにも、彼の不器用さが現れている。

 保安課での後始末もフレデリカの方が戦力になっていた。このあたりは掃除の経験が生きているのだろう。サイファーも別な意味の掃除なら、比べものにならないほどの経験があるのだが。

「一つ、聞いてもいいでしょうか?」

 ふと切り出された。

 傍らを歩くフレデリカに目を向ければ、白皙の頬を朱に染め、やや俯き気味であった。

 戸惑いなのか、別の感情か。言い出しづらそうだったが、意を決して桜色の唇が開いた。

「あのときの『出会えて良かった』という言葉。あれは本当ですか?」

 サイファーは立ち止まって、顎に手を当てて、考え込んでるように見える。

 もしかしたらフリで『冗談だ』と言うのかもしれない。

 天の邪鬼な面があるのか、女性をからかって楽しむ趣味があるのか。どちらにせよ、ろくでもない。

「本心、かな」

「…………え、ええ、本心ですか?」

「嘘じゃないことぐらい、わかるだろ」

「真剣な顔、していましたから。笑っていても本心が顔に出てるんです」

「もう、そこまでわかっちゃってるのか……僕もまだまだかな」

「本当は…………嘘は苦手では?」

 そこでサイファーはちょっとだけ困った顔をした。

 ううむ、と唸って逡巡して。

 その様子にしまったと思った。なにか突いてはいけない、彼の秘密というべきか、デリケートな部分に踏み込んでしまったのか。

 だが怒ることはなかった。困ったように笑って、照れくさそうに口を開いた。

「鋭いなぁ……女の勘ってヤツか。実を言うと嘘はつかれるのも、つくのも苦手だ。まぁ、職業柄ポーカーフェイスは必須だから、仕方なくやることもあるけど」

「だったら……信じていいんでしょうか?」

「あれは誓って本心だよ」

 思わず頬が熱くなる。

 ──確かに、確かにサイファーさんは嫌いではないけど。

 ──でも、こんなに恥ずかしくなるのは、違う気がする。

 ──すごくモヤモヤして、変だ。

「遅くなったしな……外で食っていくか?」

「そ……そそそうですね! いいと思います!」

 フレデリカの前に差し出された手。

 優しさをたたえた笑みをサイファーは浮かべた。

「お手をどうぞ」

「…………はい!」

 その手をフレデリカはしっかりと握ったのであった。

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