天より高く

キミト

第一章 日よ、昇れ

第1話 そして、始まる

「おらっ!」


 街中に、荒くれた若い男の声が響き渡った。

 土や石壁で出来た四角い家々の立ち並ぶ街並みは、まるで遥か昔にタイムスリップしてしまったかのようで。当然そこに居る人々もまた、相応に古ぼけた格好をしている。

 そうして先程大声を上げた簡素な布の服を着た男、その視線の先には一人の老人が蹲っていた。男以上にボロボロな、薄汚れた布に穴を開けただけ、とでも言うような服に身を包み、しわがれた細い手足は今にも折れてしまいそうな程に弱弱しい。

 まさに枯れ枝とでも形容するのが相応しいその老人を、複数の男達が取り囲んでいる。誰もが路上に吐き捨てられた排泄物でも見るかのような目を老人へと向けていた。


「はははははは! 見ろよ、この無様な姿!」


 笑いながら、男が老人を蹴り飛ばす。常識的に考えれば、あまりにも非道な行為だ。だが、それを咎める者は誰も居ない。

 しかも驚くべきは、この暴挙が人の多い大通りで行われているという点であろう。周囲では大勢の人々が彼等を囲い、ざわざわと騒ぎ立てていた。

 そしてその全てが、男達と同じ目で老人を見ているではないか。それだけで此処に老人の味方をする者がいないと一目で分かるほどである。


「うう……や、やめてくだされ」

「ああ!? うるせぇんだよ、この糞エルフが!」


 再び老人が蹴り飛ばされる。

 そう、この老人には一つ周囲の者達とは違う点があった。それは耳。老人の耳は他の人々と違い、長く鋭かったのである。

 男の言葉に誰もが同意し、野次を飛ばす。たった一人の老人に降り注ぐ暴虐に抗うすべなどあるはずもなく、続く男達の暴力に呻き声を上げながらひたすらに耐えるのみ。


「は、見てるだけで虫唾が走るぜ。もう死んじまえよ!」


 男が身体に一際強く力を籠める。そうして繰り出される蹴撃は、老人をいとも簡単に吹き飛ばし、その命を奪うだろう。


「くらえ……「ぎゃっ!」あ?」


 しかしいざ蹴りが放たれんとした、その刹那。突然横合いから聞こえてきた蛙でも潰したかのような奇声につい男が顔を向ければ、その目にはなんと。己に吹き飛んでくる仲間の姿が映るではないか。


「お、お前……!? ぶあっ!?」


 避けることもできず、仲間と共に宙を飛ぶ。見事な回転飛翔を群集の網膜に焼き付けて、男達は鯱のように身体を逸らしながら地面を削りめり込んだ。その光景に、残った男達も周囲の人々も慌てだし、


「お前らさぁ……」


 男が吹き飛んできた方向から響く気だるげな声に、思わず誰もが振り向いた。

 そこに居たのは、一人の少年だった。無造作な茶色い頭髪に黒い瞳。身に着けている黒い学生服は、周囲と明らかに合わずに浮いている。


「糞みたいなことしてんじゃねえよ、糞野郎共」


 まるで意趣返しのように糞を強調し、庇うかの如く老人の前に立つ少年。それだけで誰もが、こいつこそが先程男達を吹き飛ばした犯人だ、と理解した。


「あ、あなたは……?」

「大丈夫かい、爺さん。全く、どうやら録でもない世界に来ちまったらしいな」


 呟きながら、憤る男達、そして周囲を見やる。やれやれと頭を掻きながら、彼はどうしてこうなったのか、今日一日を思い返したのであった。


 ~~~~~~


 ――その日は、朝から妙な予感がしていたんだ。後に少年はそう振り返る。


「ふあぁぁあ」


 大きな欠伸を上げながら、少年――コオヤは自室のベッドの上で目を覚ました。いつもと変わらぬ、平和で平凡な朝。けれど同時に、いつもと違うこともある。


「なんだ、この感じ……何かの、予感?」


 昔から勘の鋭かった彼は、こうして時々妙な予感を感じることがあった。別段予知能力を持っているとかそういうわけではない。単に人より強いだけの、ただの直感である。

 良い予感に悪い予感、これまで生きてきて様々なものを感じてきたが、しかし。


「今日のは何かおかしいな。変に複雑というか、よく分からんというか……」


 暫く頭を悩ませる。今までにも予感が小さすぎて分からない、ということはあったものの、今回の予感ははっきり感じられるほどに強い。にも関わらずその方向性がほとんど理解できない、というのは初めての経験だ。


「ん~。まぁ良いか、悪いもんじゃあなさそうだし」


 軽く悩んだ後、能天気な結論を出しのそのそとベッドから抜け出す。そうして、学校へ行こうと朝の身支度を整え始めた。

 豪気、というよりは適当。そう表現すべき性格な彼であった。


 ~~~~~~


 朝の予感とは裏腹に、学校での生活は特に問題も無く過ぎていった。

 いつも通り登校し、いつも通り授業をほとんど寝てすごし。昼休みに何やら悩んでいた親友の相談にのったせいで、昼飯を食べ損ねるというトラブルはあったものの、おおむね平和な一日。

 そうして親友達二人――シオンとクオン、という――と共にこれまたいつものように夕陽に暮れる帰り道を歩いて。その最中に、『それ』に出合ったのだ。

 突然だった。歩みを進める中、異常に強くなっていった朝から感じていた予感。それが最早限界と言えるまでに強くなったその時、足を止めた彼等三人の前に、真っ黒な『何か』が忽然と姿を現した。

 空中に浮かぶそれは、まるで世界に空いた穴のようだ。少なくとも、コオヤにはそう見えた。

 一目で分かるほどに異常な『何か』。常人ならば即座に発狂してもおかしくないほどの異様な気を発しているそれを前に、しかしコオヤが感じたものは、


 ――おもしろい!


 そんな、悪ガキのような感情であった。

 感情の赴くまま、『何か』へと近づいて行く。歩く自分に気付いたのだろう、親友の一人、シオンが声を掛けて来た。無視しても良かったが、それもなんだろうと振り向き応えることにする。


「どうした、シオン。そんな今にも死にそうですって顔してよ」


 楽しそうに笑みさえ浮かべる自身とは対照的に、親友は顔を青くして震えていた。それもこの異常な『何か』を前にしては仕方あるまい。平気でいられるコオヤの方がおかしいだけなのだ。

 親友が問い掛けてくる。何をする気なのか、と。答えは決まっていた。


「行くのさ、あれの先……あの『何か』の向こう側へ、な」


 信じられない、という顔をするシオン。けれどコオヤはどこまでも本気だった。勿論、単純に面白そうだからというのもあるが、しかしそれだけではない。

 感じていたのだ、この『何か』の先、そこへ行くべきだと。まるで何処かに続く道のような『何か』の先に、理由はわからないが不思議と心が惹かれ、行かなければと脳内で何かが囃し立てている。


 そう、それはまさに朝から続くあの予感。


 そのことを親友に伝えれば、彼は言葉をなくして立ち尽くしてしまった。当然だろう、意味の分からぬ予感に従いその身を危険に晒すなど、あまりにも愚かな蛮行である。しかし同時に、コオヤにとっては口笛を吹いてステップの一つも刻みたい程魅力的な事態でもあった。

 いつまで経っても再起動しない親友の姿に苦笑一つ、コオヤは再び『何か』へ向かって歩き出す。


「あっ、おい!」

「シオン、お前も自分の心に聞いてみな。そうすりゃどうすれば良いのか、きっと答えは出る。後は、それに従えば良い」


 戸惑う彼にアドバイス。勢い良く駆け出すと、コオヤはそのまま『何か』の中へと突っ込んだ。


「さ~て、鬼が出るか、それとも竜でも出るか」


 不安は、ない。むしろわくわくしている。今までの日常も悪くは無かったが、やはりこうした特異な事態には心を躍らされる。


「ま、何が来てもぶっ飛ばしゃあ良いか!」


 足取り軽く。コオヤは真っ黒で、しかし何故かぼんやりと周囲の見える不思議な空間の中を突き進んで行ったのだった。

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