第2話

 「痛いなぁ」


 矢倉はそう呟くと、アジの干物を一口頬張る。遅めの昼食にと適当に入った一膳飯屋だったが、店主の娘がとにかくかわいい。栗毛に八重歯にニコニコ笑顔。ああもうとにかく抱きしめたいかわいさだ。思わず注文もそこそこに告白してしまった。


 「かわいいです!だ、だ、抱かせてください!」


 自分の気持ちを正直に伝えることが仲良くなる近道だと、幼い頃に母上が教えてくれた。その教えを信じ、自分の今の正直な気持ちを伝え続けているのだが、一向におなごと仲良くなれない。今回も渾身の告白を決めたというのに、返ってきたのは強烈なビンタ。なんなのだろう。正直さが足りないのだろうか。アジの骨をしゃぶりながらそんなことを考え、ため息を一つ。会計を済ませて外に出る。

 往来は激しい。こんな山の中の街なのに、江戸かと錯覚するようなせわしなさだ。そのほとんどが、上半身裸の男ばかり。しかもだいたい黒く汚れている。近くに有名な銀山があり、その働き手として近隣の街や村から人が流れているようだ。

 そろそろ路銀が足りなくなってきた。仕事にありつけるとしたらやはり炭鉱夫か。だが人前で裸になるのには少し抵抗がある。他にいい仕事はないだろうか。矢倉は大通りに面した口入れ屋に顔を出した。本日二件目である。


 「へい、いらっしゃいまし」

 「炭鉱夫以外でいい仕事はないでしょうか」


 店主は少しムッとして、


 「は?あんたバカなのかい?そんなもの、この街であるわけないだろう」

 「ひとつもないのですか?」

 「ないよ。そこの銀山は、今最も銀がでると噂の山だよ?高級南蛮武具の製造になくてはならない銀がでるとなれば、銭と人は唸るほど集まってくる。ここはそういう場所なんだ。冷やかしなら帰んな」


 そう言うと店主はしっしっと犬を追っ払う仕草をした。


 「いやそこをなんとか。用心棒とか、悪者退治とか、そのような仕事はないでしょうか。腕に覚えはあるのです!」


 粘ってはみたものの、店主は他の客の相手を始めてしまった。さてどうしたものか。誇りか裸か。武士は喰わねど高楊枝と言うが、高楊枝で腹は膨れない。矢倉が考えあぐねていたその時、店の入り口から声が聞こえた。


 「そこのお侍さん、では私に雇われてみる気はないかしら」


 見ると、御供を二人従えた女が一人。年の頃十八ぐらい。南蛮の着物なのか、見たことのない服装をしている。肌は見えていない。腕や足をぴったりと覆い尽くす生地。だが不思議とかぶいている感じもない。


 「私、名をハクと申します。腕は立つのですよね?実は悪者退治をお願いしたいのですが」


 その名を聞き、口入れ屋に居合わせた矢倉以外の全員が振り返った。途端にざわつきだす店内。だがハクはお構いなしとばかりに、背筋をピンと伸ばしながらゆったりと矢倉を見つめる。そんなハクを見ながら、矢倉は確信した。あ、この娘のこと好きだわ。


 「も、もちろん喜んで!あと好きです!付き合ってください!」

 「・・・ふふっ、面白いお侍さんですね。ご冗談がお上手。お侍さん、お名前は?」

 「は、えっと、名前は捨てまして、皆からは矢倉と言われています」

 「まあ素敵なお名前。なんだか強そう。では矢倉さん、詳しくお話しさせてください。店主さん、奥の部屋を使わせていただいて構いませんか?」

 「へ、へい!もちろんで!」

 「ありがとうございます。では矢倉さん、こちらへ」


 先ほどまでぶっきらぼうだった店主が、打って変わってヘラヘラしている。不思議に思いながらも矢倉は後に付いていく。

 聞けばハクはここらを納める大名の一人娘だそうだ。侍女が言うには、この山に銀の鉱脈を見つけたのはハクであり、藩の財政難をハクが救ったのだそうだ。キレイでしかも不可思議な力があるなんて、菩薩様の生まれ変わりなのだろうかと本気で考えてしまう。


 「ただ、急激な変化には反発がつきもののようでして。前のような質素な暮らしを求める方々が結託して、銀山を封鎖してしまおうという計画が持ち上がっているらしいのです。どうやら炭鉱夫の誰かが首謀者ということだけは突き止めたのですが」

 「なるほど!ではその首謀者を私が見つけて懲らしめればいいのですね?」

 「はい。矢倉様は旅の途中とお見受けしました。この土地に古くから住む人間では、情報を集めようにも警戒されてしまいます。矢倉様であれば、そのようなこともないかと」

 「わかりました!私にすべてお任せください!」

 「まあ頼もしい。期待しております。成功報酬は十両ほどでいかがでしょう」

 「じゅ、十両も!?」

 「ご不満ですか?ですが、あまり公費に手をつけるわけにもいきませんし、あとはもうあげられるものといったら、私自身くらいしか」


 ハクは申し訳なさそうに、自身の胸を見やった。豊満とは言えないが、張りのある、胸である。


 「は?いや!え?その、えっと、やった!頑張ります!」


 矢倉は飛び跳ねた。これが終わったら、ハクと結婚するしかないだろう。母上は喜んでくれるだろうか。跳ねた勢いで口入れ屋を出ようとした時、後ろからハクが声をかける。


 「あ、矢倉様!もし襲われでもしたら大変です。こちらで南蛮武具をいくつか用意しますが」

 「南蛮武具は、」


 歩をとめ、振り返らずに矢倉は続ける。


 「いりません!日ノ本の武士が、あんな南蛮渡来のものに頼ってしまったら、軟弱者になってしまう!」


 そのまま大通りに飛び出た。矢倉の前を歩いていた男が急に止まる。簡易南蛮武具で煙草に火を付けようとしている。


 「期限は嘉永六年、力を蓄えよ」


 今は嘉永五年、南蛮武具はここまで世間に浸透した。あの男の言う期限まであと一年。そこで何があると言うのだろう。矢倉は自分の歩を妨げた男を強く睨みつけ、銀山を目指し歩き始めた。

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