番傘の空 5

縷々空は安らかな顔で私を広げ。

ゆっくりと高い崖から身を投げた。

彼女が言うには“転生”とやらをするだけらしい。

私は海へと流され。

様々な者の手に渡り、今此処にいる。



☆†☆†☆



『そうやって、来世を夢見る少女は大空を羽ばたいたんだ』

「………」


沈黙が落ちた。

ゆらゆらと体を揺らして私の話に耳を傾けていた結姫は、遠くに目をやるようにどこか一点を見つめていた。

別に、今その事を私は引きずってなんかいないから、感傷に浸るようなことはしない。だがその感情を結姫が感じるのは違うだろう。


『これは私の記憶、私の思い出。共有すべき者はもう烏之瑪くらいなものだ。あの少女はどこにもいないし、狐もどこぞで眠っている。ふと思い出すだけの断片的な感傷だ』


そうつけ足せば、結姫はよしよしと私を撫でてきた。むむ、くすぐったい。


「……そうね。飛び立った少女はもういないもの」


どこか寂しそうに言う結姫は、やはりどこか縷々空に似た雰囲気を持っていた。

……転生とやらは記憶を受け継いだ魂がそのままもう一度生まれるというものらしい。もし、結姫がその少女だったら同じような雰囲気を纏うのも頷けるが……いや、そんなことはないだろう。縷々空であるなら、こんな回りくどいことをしないで直接……あ、いや、回りくどいことしそうだな。狐の封印をした後、しばらくつれ回されていたあの時間を思い出せばちょっと確信が持てなくなってくるな。笑って全て腹のなかで考えるような奴だからな。

感情を表に出しやすい人間ではあるが、本当に大事なことは妖しい笑みを浮かべてうやむやにしてしまう。そんな奴だったな。


『結姫。お前は転生というものを信じるか』

「どうして?」

『私たち付喪神に魂はない。狐も言っていた。消滅したら暗いところへ戻るだけなのだと。人間は違うのか?』

「あぁ、そういうこと」


結姫は納得がいったように頷いた。それから優しい口調で教えてくれる。


「魂は常に流転する。摩りきれた先は妖かしと同じ暗闇だけれども、それまでの間は長い時間を旅するわ。人によって、思想によって、魂の考え方は様々だけれども、人は、動物は、草木は、転生することを私は知ってる。ただ、肉体の記憶を魂に留めておくことはできないから、転生という概念は前世の記憶を受け継いだ時にのみ使うの。術を使えばその限りではなから、その少女は流転の秘術を使ったのよ」


ほう、そうなのかー、よく分からん。

まぁつまり、少女は記憶を受け継いで転生とやらをするわけなんだよな。私の解釈であっていたんだな。というか似たような話を聞いたことがあるぞ。どこだったか。


「ふふふ……まぁ、もしかしたらその少女とやらと会ってるかもね、番傘」

『そうだな。会ってるのかもしれないし、これから先に会う機会があるのかもしれん。会えたら良いなぁ』


くすくすと口許を袖で隠す結姫。

ああ、長話をしてしまったな。二階の階段から降りてくる足跡が二つある。おや、店主。話は終わったのか。

のそのそと奥から顔を出した店主はじとっと結姫を睨んだ。結姫はしれっとしている。


「結姫、部誌発行のテーマを寄越せって行ってたよな?」

「ええ、そうね」

「蛍野の話は文化祭でレトロをテーマに展示とそれにまつわる物語本を出品するから、年季の入った家財一式を貸して欲しいってことだったんだが」

「テーマを寄越せって言ったじゃない~」

「規模がでかい! そんなことを連絡もなしに頼みに来るな!」


ふふふと笑う結姫と怒鳴る店主。賑やかだな。

こんな古びれた店などなかなか賑わうことはないからちょっと特別だ。寂しいという感情も今日ばかりは感じることは無いだろうな。



その後、なんやかんやと話がまとまって、結姫たちがさぁ帰るとなったとき、店主はふと思い出したように二人を呼び止めた。なんだ、帰らせんのか。

奥へと一度引っ込んだ店主は、何かを手に握りしめて戻ってきた。僅かに何かが薫っているが、何の臭いかは分からない。何せ埃を被った店先生活が長いからな。

それを蛍野に向けてぽいっと放り投げた。えっ、と一瞬驚いた顔をした蛍野が慌てて受け止める。


「持ってけ。恋愛成就のお守りだ」


何を言ってるのか分からんのだが、ちらりと結姫の方を見れば彼女もまたよく分かってない顔をしている。

いったい店主は何を渡したのか。

肝心の蛍野といえば、言葉の意味が分かったのかわなわなと顔を真っ赤に染めて震え、口をぱくぱく空呼吸。なんだお前。

結姫は蛍野の手に落ちた何かを覗きこんだ。


「あら、匂袋じゃない。恋愛成就とかいってぼったくる気なの?」

「んなわけあるか。ぼったくるなら、そこな不憫少年よりお前からぼったくるし、今じゃ普通のお守りより匂袋の方が高い」

「ひどい言い種ね。ま、店主が蛍野くんにあげるものなら、蛍野くんに相応しいものなんでしょうね。貰っときなさいな」


くすくすと笑って結姫はぽんぽんと蛍野の肩を叩いた。恨めしそうに蛍野は結姫を見る。


「その、先輩はいいんですか……俺が恋愛成就しても」

「可愛い後輩が青春してくれるのは良いことよ。部活さえサボらなければ、ね」


茶目っ気たっぷりに笑った結姫を見て、がっくりと肩を落とす蛍野。それを見て店主が肩を震わせる。こりゃ笑ってるな店主。


「前途多難だな」

「他人事だと思って……」

「まぁ他人事だわな。その可能性に一つでも近づけるためのお守りなんだから大事に持ってろ」

「なーに、あたしに内緒でお話ししてたの?」


面白くなさそうに結姫が言えば、蛍野が何でもないです!! と叫んで、思いっきり店主に頭を下げてから礼を述べて店を飛び出していった。墓穴を掘らないようにだろうな、たぶん。私でもあの行動のからくりが読めた。


「結姫、お前わざとだろ」

「ふふふ、何のことかしら」


しらばっくれる結姫にはぁ、と店主はため息をつく。


「未練がましいのは俺だけじゃないってことだよ」

「あら。あたしは未練がましいわけじゃないわ。恋愛感情なんて、あたしには無い方が幸せなのよ」


そういう結姫の左の瞳がきらりと赤く輝く。

恋愛感情は、とてもつらいものだ。それのせいで縷々空は悲しい思いをしたのだと後に私に語っていたからな。

だがまぁ感情など思うままに操ることは難しい。それの最上位にあるものが恋愛なのだとも言っていた。だからこんなに辛い思いをしなければならなかったのだと、夜になるたび、夢から覚めては泣いていた。

寂しいという感情では生きていけないのを私は知っている。負の感情ばかりでは生きていけないことも。それならば正の感情をとも思うのだが、愛情はその正の感情のはずだろう? それなのに悲しい思いを残す感情ならば負の感情と言わざるを得ない。

それとも感情は正負で割りきってはいけないんだろうか……うーん。

っておや? 考え込んでいたらいつの間にか結姫がいないではないか。


『帰ったのか』

「お前が考え込んでいる間にな」


なんだ。それはなんとも……残念だ。

ふむ、残念……自分は結姫と別れたのを惜しんでいるのか。これは良いことを発見した。少し縷々空に似ていて、少しばかり昔話をしただけの人の子なのに、どうしてこんなにも惜しく思うのか。

いやはや、不思議な少女だったなぁ。

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