藤の想い出 5

雪斗とまたであえた。

とてもうれしい。

じぶんはあやまることができた。

そして雪斗におしえてもらってじをかいている。

雪斗はせんせいになったようだ。

おしえかたがうまい。

雪斗。

がんばれ。


†☆†☆†


約束の期限が過ぎようとしていた。

結姫が雪斗を見つけてきてくれて二週間。あれから白い狐の接触もなく、平和に日にちだけが過ぎていた。

自分は雪斗に頼んでこうやって、自分の本体である藤の木の下で、一日置きにだが人の子の文字を教えてもらっている。平仮名と、雪斗と自分の名が書けるようになった。「藤子」と書く自分の名前は、自分の存在そのものの名だそうだ。普通は名のつかない妖かしからしてみれば、とても奇特なものだ。だからこそ、自分の名前に妙な愛着が生まれてくるな。

色々と思いを馳せてみれば、改めて書いてみたこの日記に気恥ずかしくなる。なんだか照れくさい文章になってしまったな。パタリと閉じた。


「と、藤子! まだ墨が乾いていない!」

「あ。しまった」


ぺらぺらとめくって自分の書き込んだところを開くが、墨はなんとか乾いていたようで悲惨なことにはなっていなかった。

明らかに雪斗の顔がホッとする。そんなに心配しなくても、これは結姫に謝ればいいだけのことだろう。


「雪斗、ありがとう」


ぽつりと沢山の感謝の気持ちを込めて伝える。

自分の後悔を受け止めてくれたこと、自分を恨まないでいてくれたこと、文字を教えてくれたこと。

それらの気持ち全てをたった一言に乗せるには短い言葉だが、自分はそうする以外に思い付かなかった。陳腐な言葉だが、それ以上のない至高の言葉でもある。

だが雪斗にそれら全てを察しろというのは無茶だったようで、ははと屈託なく笑って頓珍漢なことを口にする。


「いや、俺も暇だったからな」


くしゃり、と雪斗は自分の髪をかき乱した。

呑気な雪斗にむっとしたので、ぴしりとその手を払い除けてやる。


「おい、子供扱いするな」

「ははは」


雪斗は無邪気に笑う。む、そんな顔されたら怒るに怒れないではないか。

自分の顔をふと見つめた雪斗は今度は柔和に笑う。がらっと変わった雰囲気に、自分は胸の辺りが何やら言いがたい気分になった。


「お面、取ってもいいか?」

「……? まあ、いいが」


首を傾げつつも許可をする。雪斗は結構自分の顔を見たがる。こんな醜い顔、どうして好んでみるのだろうか。

雪斗が自分の面に手をかける。ゆっくりと外されると太陽の眩しさに思わず目を細めた。ちょうど雪斗の顔の位置が逆光になっているのだ。


「まぶしいぞ」

「そうか?」


雪斗の顔が眩しくて見えない。面は自然と視界が狭まるので眩しいとは感じなかったが、多くの光が目に飛び込んできて少し痛くも感じる。それでも雪斗が微笑んでいるのがよく分かった。


「雪斗」

「なんだ?」

「───ありがとう」


目を細めたまま、頬を緩める。

もう一度だけだ。もう一度だけ、今度は全てを言葉にのせて伝えてやる。


「字を教えてくれてありがとう、昔の自分の非道を許してくれてありがとう、妖怪を嫌いにならなくてありがとう」

「おいおい藤子」

「───自分と会ってくれてありがとう」


雪斗が目を見開く。

涙が自分の瞳からこぼれた。これだけは伝えなくてはいけなかった。そう、自分というものが雪斗の時間の歯車に噛み合っている今この瞬間に。

……これで心置きなく眠れるな。


「藤子?」


怪訝な表情になった雪斗に、自分は次から次へと零れて止まない潮の滴を袖で拭いながら、教えてやる。


「雪斗に言い忘れていたが、自分がこの人型をとるのにはかなりの力を使うんだ。ここ最近は人型を連続で使用したからくたくたなんだ」

「なっ、大丈夫なのか!?」

「大丈夫。あの黒い獣から力を吸い取ったし。だが、少しだけ眠らせて欲しい」


自分は微笑んだ。所詮は植物である自分は付喪神としてはまだまだ未熟なのだ。人と長くいるわけでも大切にされるわけでもない。たまたま長生きをしてしまっただけの妖かしだ。

他の奴らと比べても弱いのだ。人の想いが欠けた木偶人形に近いシロモノ。


「本当に眠るだけか?」

「そうだ。すぐに起きる」

「すぐっていつだ?」


雪斗が真顔になって肩を掴んだ。


「痛いぞ、雪斗。そんな泣きそうな顔をするな」


さっきまで笑っていたのにもう泣きそうな顔をする。人の子は表情がくるくると変わるので見ているのは面白いが、雪斗の悲しそうな表情はあまり見たくなかった。自分も、せっかく止まった涙が零れそうになるだろう。


「別に大丈夫だろう? この数年間だって、たまに人型をとって雪斗を探し、疲れたら本来の姿に戻るの繰り返しだったしな」

「藤子お前……」


雪斗は言葉を飲み込む。何かを言いたがっているようだが言わないようだ。

言え、雪斗。言わなきゃ分からない。

そう言おうとしたとき、


「あなた達なにイチャイチャしているの……?」

『くくくっ』


あきれ顔の結姫と烏之瑪が佇んでいた。雪斗は特に驚いた様子を見せてこないた辺り、気づいていたのか。


「結姫、お前は藤子の力が弱っているって知っていたのか?」

「えっ、どういうこと烏之瑪?」


結姫も自分の妖力の弱まりに気づいていなかったか。というか、器に入る液体は実際にその器を満たすまで限界が分からないように、妖力も他の器が常に満たされているものだと思って知覚しているわけだから無理はないか。不透明な器の中身は上から覗かない限り、その内容量がわからない。

烏之瑪が結姫の肩から飛び立ち、自分の頭へと着地した。


『ああ、これは弱ってるな』


烏之瑪が納得したように頷いた。

雪斗がそれに顔を青ざめる。


「藤子、本当に大丈夫なのか」

「問題ないと言ってるだろう。しばらく眠るだけだと言っとるだろう」

「どれくらい寝るの?」


結姫が聞いてきた。

自分は煩わしく思いつつも答えてやる。


「数十ヶ月程度だ」

『嘘をつくな。最低でも数年かかるだろう』


数え方の問題だ。


『……仕方ない。礼代わりだ』

「礼? なんの礼だ?」


烏之瑪が疑問符を浮かばせる自分の頭から飛び立つ。髪が少しバサバサとなびいた。烏之瑪は藤の木の一番低い枝に乗って一鳴きする。

普通のカラスのように喉を潰したような声ではなく、高く遠くに澄み渡るような声だった。

長く尾を引いたような鳴き声が聞こえなくなったとき、藤の木が淡く光り出した。それに伴い自分の体も淡く光。これは……。

足りなくなっていた妖力が元に戻り始める。


「烏之瑪、これは……」

「烏之瑪の特殊能力といったところかしら」


烏之瑪の代わりに結姫が答える。


「その声は澄み渡るものをも地へと下ろし、その翼は這うものすらを天へと上げる。……烏之瑪が神妖なのは知ってるでしょ? 烏之瑪の仕えている神様が烏之瑪に与えた能力なの。神力、霊力、妖力……これらの力を変換するの。今は烏之瑪がかき集めた周囲の霊力をトーコの波長にあった妖力に変換したのよ」


その声は澄み渡るものをも地へと下ろし……。霊力を妖力に変えるとはなんとも面白いことだな。妖力を浄化するならまだしも、その逆をして見せたのだ。

改めて烏之瑪が神の眷族であることを意識した。格が違いすぎる。


『……ふむ、このくらいか。トーコよ、これでここ二週間で消耗した分は戻っただろう。人里へ降りてそいつの元にでもいろ』

「……別にここにいるが?」

『あの狐が舞い戻ってこないとは限らん。あと、お前は人の想いが足りん。忘却される前に、せいぜいその人の子に大切にしてもらえ』


あの白すぎる妖狐か。確かに自分一人では対処に困る。でも雪斗に迷惑がかかるのではないだろうか。

そう思いあぐねていると、ばたばたと雪斗が挙動不審になり出した。どうした雪斗。汗が出ている。


「大切にしてもらえってっ……!」

「先生ー、独身だからって妖怪に手をだすのだけは駄目ですよー?」

「はっ!? こら、待て結姫!」


目を白黒させる雪斗を無視して、結姫は颯爽と自分の腕にある日記をとりあげた。中身をパラパラと確認して、一人頷く。


「書けてるわね。じゃ、またねトーコ」


ひらひらと日記を振りながら結姫は背を向けた。烏之瑪が彼女の肩に上る。


「あ、そうそう。黒い獣倒すとき、動きを止めておいてくれてありがとう。結局はあたしが倒せた訳じゃないけど、貴女がいなきゃやられっぱなしだったわけだし」

「……なるほど」


その“礼”か。結姫もなかなか粋なことをしてくれる。……実際に礼を尽くしてくれたのは烏之瑪だが。


「さっき見回ってみて他の妖怪はいなかったから、しばらくの間は平気だけどー、先生、トーコに欲情だけはしないでくださいね?」

「だれがするかっ!!」


雪斗が顔を真っ赤に染めて憤慨する。ふふ、面白い。

結姫はそのまま何事もなく帰って行った。烏之瑪も彼女の肩で揺られながら帰った。残るは雪斗と自分だけ。


「……結姫の邪推はともかく、烏之瑪の言っていることはわからなくもない。藤子、一人でここにいるよりも、俺と一緒に来て少し安全を考えよう。それに、俺も色々と話したい」


少しだけ照れて気さくに笑いかけてくれる雪斗。そうだな。自分もお前ともっと話していたい。


「行こうか、トーコ」


雪斗がこちらに手を伸ばしてくる。長年いた場所を離れるのは寂しいが、それ以上に雪斗とまだいられることへの喜びが心を満たす。温かい波紋が心に広がる。

あまりにも突飛なことばかり起きた日々だったが、それでもいいことがあった。

雪斗の手の温もりが自分の手の温もりとなる。

人と妖怪に差などないのだ。

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