優しい剣士は銀の髪

山吹弓美

一 優しい義兄は銀の髪

プロローグ. もしくは幼い頃の思い出

 ザシュッ。

 鈍い、肉を斬る音がした。

 ほんの少し間を置いて、銀髪の青年の真正面に仁王立ちしていた巨大な獣が、ゆっくりと身体を地面に倒す。ずずんと地を這うような低い音がして、僅かに地面が震えた。

 周囲には今倒れた獣と同じ形をした、一回り小さな獣たちが数匹転がっている。皆身体のどこかを切り裂かれた痕があり、既に息はない。


「……ごぼっ」


 切り裂かれた喉から最後の息と共に黒い血を吐き出して、青黒い毛皮に包まれた獣はぴくりと一瞬震えた。宙をさまよっていた人の太ももほどの太さを持つ尾がぱたり、と力無く投げ出される。それを確認して青年は、軽く剣を振って血を払うと鞘に収めた。

 青年の行動を合図に、彼と獣の戦いを遠巻きに見つめていた村人たちがあちこちの物陰から顔を覗かせた。その中でも青年をずっと視線で追っていた黒髪の幼い少女は、獣の死骸を気にすることもなく駆け出す。


「やったあ! お兄ちゃん、やっぱりすごーい!」


 少女の張り上げた声が契機となり、少女と同じ濃い色の髪を持つ村人たちもほっとしたような顔をして、青年と獣の死体を遠巻きにするように歩み出てくる。さすがに人間の一・五倍はあろうかという体長を誇っていた獣には、死体でも近寄りたくないようだ。

 都から馬車で二桁の日数を必要とするほどに辺境であり、また都近辺とは住まう人種も異なるこの村は、山林に近いこともあり獣に襲われることは多い。

 ある程度の獣ならば獣避けの結界を張ることにより回避できるのだが、大型獣の中にはその結界を突破してくるという怪物も存在する。

 もっとも、大型になればなるほど人の目につく場所に出てくることが少なくなる傾向にあるのだが。

 たった今青年が倒した獣は、結界を突破できる怪物の一種だった。

 近辺に棲むことが知られている中では一番の大型で、めったに山を降りてこない肉食獣である。しかも人間を襲えるレベルには成長しているがサイズとしては小さな獣、恐らくは自らの子供を従えての襲撃。

 これは、過去に例がほとんどなかった。このサイズの肉食獣が獲物としているのは山の奥深くに群れをなして棲む中型の草食獣であり、わざわざ人里に降りてくる方が珍しいのだ。


「まあ、よくやれたもんだなあ」

「そりゃ、上総かずささんとこの剣だしな」


 転がっている獣の身体のそばで、濃い色の髪を持つ村人たちがぼそぼそと言葉をかわす。ちらり、と銀髪の青年に向けられる目に、温かみはほとんどない。

 少女は、青年と獣の戦いであちらこちらにがれきが散らばったその間をどうにか走り抜けた。そうして青年の元までたどり着くと、その勢いのままにしがみつく。


「やっぱり、誠哉せいやお兄ちゃん強い! ゆみき、お兄ちゃん、だーいすきっ!」

「あ、こら弓姫ゆみき、大好きは嬉しいけど血、血で汚れるからっ!」


 誠哉と呼ばれた青年は、一瞬身を引きながらも自分が弓姫と呼んだ少女を受け止めた。魔獣の返り血がつかないように気をつけながら、そっと抱き上げる。その反動でだろうか、青年の銀色の髪がさらりとなびいた。


「平気! 汚れたら洗えばいいもん!」


 少女は自分の服が汚れるのには全くお構いなしに、誠哉にしっかりとしがみつく。誠哉の方はというと、「まったくしょうがないな」と困った顔をしながらあきらめたように弓姫の身体を抱え直して肩の上に乗せた。


「こらあ、弓姫! 洗うのは弓姫じゃなくて母さんだろ!」


 少年の声が、弓姫の名を呼んだ。途端、それまで機嫌の良かった弓姫の頬がぷうとふくれる。ぎゅっと銀の髪を掴み、ふーんだと顔をくしゃくしゃに歪めた。


「いーじゃない! 疾風はやてお兄ちゃんが洗うんでもないし!」


 苦笑する誠哉の肩の上から反論する弓姫を見上げ、疾風と呼ばれた少年は「なんだとー!」と怒りながらこちらは誠哉の腰にしがみついた。

 二人はどこか似た容貌と、誠哉とは違う艶やかな黒髪を持っている。それは当然だろう。弓姫と疾風は、上総という同じ姓を持つ実の兄妹なのだから。

 二人に懐かれている青年、天祢あまね誠哉は弓姫が物心つく頃に彼らの両親に引き取られて同居している。疾風にとっては八歳、弓姫にとっては十歳年上の義理の兄にあたる存在だ。




 この村を構成する東方人と呼ばれる人種は、基本的に黒や茶といった濃い色の髪を持っている。その中にあって珍しい銀の髪を持つ青年は、村でも有数の剣の使い手だ。

 上総兄妹だけでなく他の村人とも異なる誠哉の銀髪は、この小さな村の中にあってはとても目立つ。周囲と接触の少ない田舎の村は妙に閉鎖的な部分があり、髪の色が異なるというだけで誠哉に対する扱いは腫れ物に触るようなものだ。

 そのせいかこの国での成人に当たる十八歳を二年超え、同年代の村人たちが恋人の存在をほのめかしたり所帯を持ったりする中にあって、この青年は嫁の来手もなく独り身のまま上総の家に同居している。

 誠哉が村で普通に暮らしていられるのはひとえに、たった今村人たちの前で見せた剣の腕前によるものだ。疾風と弓姫の父は近郊ではそれなりに知られた剣士であり、養父となった彼に弟子入りしたことで誠哉の腕は格段に成長した。

 そうして今のように時折来襲する獣を退け、時には山賊の類を打ち払うことで誠哉はこの村に住まう意味を得ている。集団や今回のように大型獣を相手にする場合は援護をもらえることもあるが、そうでない場合は誠哉一人が立ち向かうことがほとんどだ。

 だが誠哉自身それが己の仕事だと割りきっている部分もあり、また生まれ持っての優しい性格からか自分以外に犠牲を出したがらないために一人での戦いを受け入れている。

 もっとも、そういったつまらない大人の事情を、彼の性格もあって懐いている子供たちはさほど理解してはいなかった。疾風などは既に現役を退いている父ではなく誠哉に剣を教えてもらおうと躍起になっており、弓姫はこの歳の離れた義兄をとても気に入っている。


「疾風、何だよってうわ、こら、危ない」


 誠哉の腰にしがみついていた疾風が、不意に離れるとぽかぽかとその脇腹を小さな拳で叩き始めた。一瞬バランスを崩しかけた誠哉だったが、とっさに弓姫の身体をしっかり固定すると僅かに腰を落として態勢を立て直す。


「このやろこのやろ! あいつ、今度来たら俺が倒すって、前に誠哉兄ちゃんが倒したときに言ったじゃねえかー! 何でまた兄ちゃんが倒しちゃうんだよう!」

「え、そうだったね。あはは、ごめん」


 幼い少年の主張に、誠哉は困ったように眉尻を下げる。血に濡れなかった手のひらがやや乱暴に黒い髪をなでると、疾風は不満気ながらも悪戯っ子の笑みを浮かべた。

 青年の弟子になりたがっている少年だが、どうやら妹ばかりでなく自分も年齢の離れた義兄に構って欲しかったのだろう。


「ま、いいや。今回は村のピンチだったんだもんな。俺はあのマジュウよりもっと強い奴を倒して、誠哉兄ちゃんよりすごい剣士なんだって認めてもらうからな!」


 と、少年は偉そうに腰に手を当てて宣言した。誠哉よりすごい剣士、つまりこの村で一番強い剣士になるのだと疾風は言っているわけだ。

 大人からしてみれば小さな村で一番の剣士、などという称号は大したものではないのだが、村というこじんまりした世界しか知らない子供にしてみればそれは、世界で一番を目指すということにほかならない。

 成長して村の外を知る機会が来た時、少年の目標はどう変わるのだろうか。それが誠哉を初めとする大人たちには、楽しみであり不安でもある。



 翌朝、夜も明けきらぬ頃。

 村外れの広場には、武装した若い村人が数名集まっていた。皆その手に武器や農具を持ち、革鎧をきっちり着込んでいる。


「よし。みんな、準備はいいですか?」

「はい、いつでもいいですよ」

「さっさと行って用事片付けてこようぜ、誠哉さん」


 誠哉の問いに若者たち、と言っても誠哉よりは少し年長の彼らは自信満々の笑みを浮かべて頷いた。相手が年長だと分かっているせいか、誠哉の言葉遣いも丁寧なものだ。

 ここに集まっている若い衆は、誠哉と同じように村を守るために剣を学んでいる者たちだ。日頃の付き合いのせいか他の村人よりは誠哉への当たりが柔らかい。

 どうしても外見の違いで引いてしまう部分はあるのだが、付き合っていくうちに誠哉の人格そのものにほだされてしまうのだろう。


「じゃあ、行きましょうか」


 広場の出入口はそのまま、目的地である裏山に続く道につながっている。そちらへ進みかけた誠哉の足が、若者の「おい、誠哉さん。あれ」という言葉でピタリと止まった。


「誠哉」

「お兄ちゃん!」


 名を呼ばれ、誠哉は振り返る。視線の先に立っていたのは、弓姫を連れた義父高雄たかおだった。高雄はともかく、無理矢理に起きてきたのか弓姫は眠い目をこすっているようだ。


「父さん。弓姫も」

「ま、一応見送りにな。誠哉見送りに行くつったら弓姫は飛び起きたんだが、疾風は起きなくてなあ」

「疾風おにーちゃん、ねぼすけだもん」


 苦笑を浮かべた高雄の普段通りの態度に対し、弓姫はどこか不機嫌だ。幼い子どもが慣れない早朝に叩き起こされては、仕方のないことだろうが。それとも、疾風が起きて来なかったことに対してだろうか。


「父さん、行ってきます。すぐ戻るつもりだけど、後はお願いします」

「ああ、分かってる。行ってこい」


 高雄と誠哉は言葉少なに挨拶を交わした。弓姫はそんな二人を交互に見比べながら、どちらかと言えば義兄の革鎧に剣をはいた姿に見とれている。

 と、誠哉が地面に膝をついた。弓姫と視線の高さを合わせ、にっこりと笑う。普段通りの笑顔は、少女の表情をほろりとほころばせた。


「じゃあ弓姫、行ってくるね。ねぼすけの疾風にもよろしく」

「うん。行ってらっしゃい、誠哉お兄ちゃん」


 上機嫌の弓姫の頭をなでて、誠哉は頷くとすっと立ち上がる。弓姫が下から見上げたその顔は、既に戦に挑む剣士の顔へと変貌していた。

 若者たちを引き連れて裏山へ続く道を登っていくその姿が、十年後まで上総弓姫が覚えている天祢誠哉の最後の姿だった。

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