3


 人だかりから少し外れた狭い路地で、あたしの視界は一瞬で変わった。なんとなく、魔法を使ったのだと理解する。先ほどまでの祭りのような喧噪はそこにはなく、どこかの部屋の中のようだった。

 暗がりの部屋で、だけど広い。昼間なのにカーテンが半分ひかれている。

 大きな窓際の椅子に、人が座っていた。その背には黒い影が控えていて、影だと思ったのは全身が黒いフードローブで覆われたいたからだ。

 船上での襲撃が脳裏に甦り、思わず身構える。

 まさかまた、アズールの――


「――――ご苦労」


 だけどあたしの耳に聞こえてきたのは、聞き覚えのある声に似ていた。一瞬耳を疑い、その声の方を凝視する。声は窓際の椅子に座る人物から聞こえてきた。


「すまないな、クオン。人攫いのような真似をさせて」

「いえ。ご命令あればなんなりと」


 その声が向けられたのは、おそらくあたしの後ろにいる人物に。いきなりあたしをここまで連れ去ってきた人物だ。

 顔は見えないけれど、随分長身で容赦がない。ずっと握られたままの両手首と押さえつけられた口元が痛かった。


「ひとまず外の見張りを頼む」


 言われてクオンと呼ばれた人物は、ようやくあたしの体を解放する。それから声の主に一礼して、部屋から出て行ってしまった。

 あたしは呼吸を整えながら、窓際の人物を見る。逆光でその顔はよく見えない。

 だけどその声や、彼の放つ雰囲気やその物言い。とても覚えのあるものに感じる。

 あたしの視線を受けて応えるように、その人物がゆっくりと椅子から立ち上がる。すらりと伸びた足が、一歩ずつあたしとの距離を縮める。

 そして数歩先で止まりあたしを見下ろしながら、その人物は綺麗に微笑んだ。


「顔を見て話すのは久しぶりだな、マオ。無事に会えて何よりだ」

「……まさか…シア?」

「なんだ、もう顔を忘れたのか? 相変わらず物覚えが悪いな」


 言って呆れたように細められる青い瞳。

 翡翠色の髪が絹のように流れ日の光に反射して輝いている。

 おそろしいくらいに、まるで作り物みたいに綺麗だと思った。微笑むその表情さえ何か特別な空気を放っているみたいだ。

 それは確かにシアだったのだけれど、あたしにとっては初対面のシアで。

 何の言葉も返せないあたしをどう解釈したのか、シアがどこか得意げに口の端を持ち上げた。


「…そうか、こちらの姿では初めてか。今日ばかりはあっちの姿で国民の前に出るわけには行かないからな。術を一時解いている。だけどおれ自身もあっちの姿の方が長すぎて、自分の本当の姿なのに少し違和感があるな。どうだ、マオ。もう子どもとは言わせないぞ」

「…どう、って言われても…」


 あたしはずっと…レイズから聞くまでずっと、シアは自分より年下の子どもだと思っていた。

 だけど今目の前にいるのが本来の…17さいの、シアで。

 頭では分かっていたけれど、こうして目の前に突然現れられると認識が追い付かない。

 それよりもっと単純な疑問が、口をつく。


「ど、どうしてここに…? シアがここに居るってことは、ここってお城の中なの?」

「いや、イベルグの港町だ。ここは急場の隠れ家みたいなものだな。流石に城からイベルグまでそんなすぐには移動できない」

「でも、式典は? 王都でやってるって…」

「なんだ、知っていたのか。おれの出番は既に終わった。中継魔法には時差はつきものだ。久しぶりにもとの姿に戻ったから、マオにも見せてやろうと思ってな」


 そう言うシアは、どこか無邪気な笑みであたしを見つめる。

 当たり前だけれど中身までは変わらないわけで。口調や仕草や、面差しは初めて出会った時のまま。見た目はどんなに大人に近くなっても、やっぱりシアはシアなんだなと思う。

 そう思ったら、何故だか無性にほっとした。


「わざわざ、来てくれたの…?」

「…別に、その為だけでは無いぞ。イベルグは一番王都に近い港だ。状況が気になったから、直に来る必要があると判断したんだ」


 言ったシアはふいと顔をあたしから背ける。照れている様子が見てとれて、思わず口元が緩んだ。

 それがどれくらいの本心だろうと建前だろうと。こんな大変な状況で、大事な時に。

 会いに来てくれた。それが、嬉しかった。

 実際シアに会うまで躊躇する心もあった。だけどこうして顔を見て目を合わせて答えてくれる。

 そんな距離に心の底から安堵する自分が居た。

 またこうして会えて、嬉しい。それは紛れもない本心だった。


「とにかく、手荒な真似をしてすまなかったな。時間が限られている。本題に入ろう」


 向き直ったシアが表情を戻して言い、先ほどまで座っていた椅子へと足を向ける。「マオも座れ」と命令口調で言われその背に続いた。

 シアの座った椅子の向かいに椅子があり、そこに促される。こうして小さなテーブルを挟んで向かい合って座ると、初めてシアと会った日を思い出す。月明かりの下の小さなお茶会だった。


「結論から言うとだな。もはや戦争は避けられない事態にまで来てしまった。現状で明示された開戦宣言は無いが、シエルのあの様子だとそう時間はかからないだろう。本当にシエルがアズールフェルの王となるのならその関係で多少の時間は要するかもしれんが、準備が整い次第シェルスフィアとアズールフェルの戦争は開示される。開戦宣言なんて所詮一方的なものだ。避けられないならいっそ、こちらから仕掛ける手もあった。少し前までは。だが、状況が変わった。シエルは既に神の力は少なくともひとつは手にしている。しかし現状でシェルスフィアは、それが無い」


 その青い瞳をあたしに向けたまま、シアは目を逸らそうとしない。

 先に逸らしたのはあたしだった。俯いてぎゅっと膝の上で拳を握る。


「リズは結界以外の力を使えない。時間稼ぎにと偽の加護の柱を作らせたりしたが、カタチだけのまやかしだしな。それも今日、解かせた。この国にもう加護の神がいないことを、国民は知っただろう」

「え…どうして…」

「もはや無駄だからだ。その分をこの国の結界にまわしてもらう方が今は何倍も良い。現状この国は、リズの結界しか守りが無い」


 シェルスフィアの海に、7本あった光の柱。6人の神さまの加護の証。

 ――永くこの国を支えた古の約束。


「…トリティアは…“約束を違えた”って。そう言ってた」

「…なに?」

「“王の末裔は約束を違えた”。そう、言ったの。だからもう放たれた5人の神さまは、人に従ったりはしない」


 あたしの零す呟きに、目の前のシアの表情が変わっていくのが分かる。その視線が痛かった。だけどこれは、伝えなければいけないことだと思った。


「トリティアがあたしを選んだのも、トリティア自身の望みの為だった。だから、シア。あたしは結果的にトリティアと契約を交わしてしまったけど…あたしはシアの、力になれない。あたしにこの国は、救えない」


 シアはあたしとトリティアが契約を交わしたことを知っていたはずだ。あの場にずっと居て、見ていたのだから。

 だけどシアはあたしに、戦えとは言わなかった。求める言葉をシアはもう、あたしに向けることはしなかった。

 あたしは制服のポケットから、シアからもらった短剣を取り出しテーブルの上に置く。シアは何も言わずその視線をあたしに向けたまま。


「お守りを返してほしい。あたしは、もとの世界に帰る」


 もしも、シアが。

 初めて会った時のように、あたしを自分のものとし“戦え”と命令したなら、あたしはトリティアからもらった情報を身代わりに差し出す気だった。

 あたしの、トリティアの代わりを、見つけて欲しいと。それがどれくらい勝算のあることなのかも分からずに。

 だけどシアはそれを言わなかった。


「……方法は? あるのか?」 

「なんとなくだけど、目星があるの。多分、帰れると思う」

「…現状、おれとマオの関係はもはや無関係だ。もうおれがどんなに呼んでも、お前は応えないと。そういうわけだな」


 こわいくらい冷静で落ち着いた、シアの声。心臓がやけに騒いで、無意識にごくりと生唾を呑む。


「…うん」


 シアの顔を見れないのは。自分が不誠実なことをしていると、解っているからだ。

 最初はシアの都合でこの世界に喚び出された。だけどそれでもシアは、あたしに誠意を見せてくれていた。あたしのことを心から心配して、思いを砕いてくれた。例えそのすべてがあたし自身に向いたものではなかったとしても。

 それでもシアのその心は、紛れも無く本心だとあたしは知っている。遠くに居ても離れていても、守ろうとしてくれた。

 こんな場所まで会いに来てくれた。

 シアはの真摯な優しさを、あたしは知っている。知っているからこそ、余計に。

 最後まで報いることのできなかった自分が、情けなかった。

 だけどそれでも、やっぱり。

 この世界で死ぬということが、あたしにはこわくて仕方なかった。あたしにとってはきっと、それがもとの世界に戻りたい一番の理由で。

 それだけで十分だった。


「……そうか」


 少しの間を置いてシアの口から零れたのはその一言だけだった。あたしは反射的に顔を上げる。瞬間、視線が合う。

 シアは何故かわからないけれど、優しい瞳をしていた。


「…それだけ…? 責めないの? あたし、シアを見捨てるって言ってるんだよ」

「お前を責める権利などおれには無いさ。もともとマオは、理不尽に巻き込まれただけなのだからな、おれに。むしろ責めるべきはおれだ。この世界にもこの国にも、ましてや魔法や戦争なんてものと無関係に生きてきたお前に、こわい思いをさせた」

「…シア…」

「マオが根性なしなのは知っているかなら。今マオがここで逃げ出したって、それはお前が責任を感じるようなことは何ひとつ無いし、誰もお前を責めない。おれがそんなことはさせない」


 シアのその口調はひどく優しげで、あたしを責める様子は微塵も感じなかった。あたしはそれが余計に心苦しかった。


「案ずるな、マオ。おれはこの国の王だ。この国は、おれが守る」


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