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 ふと目が覚めて、軋む体をおさえながらぎこちなく体を起こしたのとほぼ同時に部屋のドアが開いた。

 そこに居たのは水桶を持ったジャスパーだった。


「――マオ! 良かった、目を覚ましたんですね!」


 あたしの顔を見た途端その顔が綻び、勢いよくベッドに飛び込んでくる。なんとかその衝撃を受け止めながらジャスパーの体を受け止めた。


「…ジャスパー、ごめんね心配かけて」

「まったくです! ほぼ丸一日眠っていたんですよ!」

「そんなに? どうりで体が痛いわけだ…」

「みんな心配してたんです、マオが襲撃者を追い払ってくれたって聞きました」


 腕の中から見上げるジャスパーの顔は純粋にあたしを心配してくれたもので。それが分かるから余計に、胸が痛んだ。

 この船が襲われた原因は、多分あたしにある。


「レイを呼んできます、あ、それとも何か食べますか? 先にお風呂に入ります?」


 今はまだなんとなく、レイズの顔を見るのは気まずかった。やっぱりこれも、逃げに過ぎないのだろうけど。


「…お風呂に、入りたい。汗もかいてて気持ち悪いし」

「わかりました、すぐに準備しますね。レイ達にもマオが目を覚ましたこと言ってきます」


 ジャスパーは屈託なくそう言って、部屋からバタバタと出ていく。あたしもようやくベッドから這い出てふと窓枠に目をやると、そこに白いカラスの姿はなかった。


―――――――…


「あと1時間ほどで港に着く。おまえはその後どうするんだ」


 お風呂を出て呼び出されたブリッジには、レイズだけが居た。

 腕を組み壁に背を預けたままだったレイズが、あたしの顔を見て一番にそう口にする。

 あたしは最初なんのことだか分からず、返事に戸惑うことしかできなかった。

 どうする、というのはどういう意味なのだろう。


「…えっと、昨日も言った通り、船を降りて…」

「わかってるよ。そこから先の話だ。おまえ、もとの場所ってどこから来たんだよ」


 唐突に訊かれぎくりと身構える。どこ、というのはつまり。地名とか、そういうことだろうか。流石にそれは答えられない。あたしが来たのは、この世界ではないのだから。

 返答に詰まっていたあたしの顔を見たレイズが、少し眉間に皺を寄せる。


「…別に今さらここに残れとか言うワケじゃねぇ。昨日の一件、あれはおまえを狙っていた。故郷に戻るにしろ何にしろ、ひとりで大丈夫かってことだ」


 そこまで言われてようやくレイズの質問の意味に気付いた。つまりあたしを、心配してくれているんだ。


「港に着いたら次の航海まではしばらく時間を要する。その上この状況だから、ヘタしたら海に出られるかどうかも怪しいしな。そう遠くない場所なら、いくらか護衛に人を貸してやってもいい。つっても昨日みたいな魔導師相手だと俺たちにすべ無ぇから生身の人間相手だけどな。そうでなくてもこの国は今だいぶ不安定な情勢だ。王都傍とはいえ治安が良いとは言えないし、女のひとり旅よりはマシだろ」


 レイズのその厚意は、純粋に嬉しかった。

 昨日のことを深くは追求せず、あたしの身を案じてくれている。もしかしたらあたしのせいでもっと大変なことになっていたかもしれないのに。レイズに助けられて…この船に拾われて幸運だったのは、きっとあたしの方だ。


「ありがとう、レイズ。気持ちだけ受け取っておく。だけど、カンタンに行ける場所じゃないし、すごく、遠いから…それに来る時もひとりで来たし、大丈夫。昨日のひと達には充分に用心するし、無事帰れたら…ぜんぶ、終わるから…」


 語尾が少しだけ重たさを孕む。この先の進路には、まだ少し迷いがあった。

 なんにせよシアと話さなければいけない。


「それに、たぶん港に迎えが来てるはずだから…だから、大丈夫、心配しないで」


 なるべく安心させられるよう、笑顔で答える。

 ずっと脳裏にちらつくのは、戦争の文字。戦争が始まったらレイズ達はどうなるんだろう。戦場に出るのだろうか。

 それはやはり、王国の兵士の役目なのだろう。だけど国境が海である以上、戦場は海だ。そうなるとレイズ達海賊も駆り出されたりするのかな。それに従う義務があるのか、あたしには分からないけれど。

 だけどせめて、無事で居てくれたらいいと思う。これ以上この船の人たちが巻き込まれないよう。


「…本当か?」


 真っ直ぐ、見据えるレイズの藍色の瞳。

 レイズの目はいつもまっすぐ過ぎて、あたしには痛いくらいだ。


「うん」

「なら、いい。だけど忘れるな、マオ。この船のヤツらはもうおまえの家族だ。俺たちの力が必要だったら遠慮はするな。我慢もするな。約束しろ」


 レイズの真摯な言葉に、思わず自分の手首を握る。ジャスパーに借りたままのブレスレットがじゃらりと鳴った。

 これも、返さなくちゃ。だけど寂しいのも事実だ。


「わかった。約束する」


 それに納得したように、レイズも少しだけ笑った。その笑顔が少し胸に沁みる。

 あたしはあたし以外のひとがそうしてくれるように、誰かを真摯に守りたいと、そう思えるだろうか。その時ちゃんとそのひとを、守れるのだろうか。

 多分それは世界が違えど同じことなのだと思う。

 どんな場所に居ようと、何か特別な力を手に入れようと。あたしにその気がない限り、あたしに守れるものなどひとつもないのだ。



 1時間後、船は無事イベルグ港に着いた。

 そこであたしは予想よりずっとはやく、シアと再会することになった。


―――――――…


「イベルグは一番王都に近い港ですから、一番栄えているんです。人の出入りも一番多いし、珍しいものも一番ここに集まります」


 船を降りた目の前に広がるのは、とにかく人の波。それから様々な音の群れ。

 視界はあっという間にいろんな情報で埋め尽くされる。港をあげてのお祭りみたいに、あちこちで賑やかに騒いでいる。


「式典の影響もあるんでしょうね、今はこうやって騒いで気を紛らわせないと。皆不安なんです」


 思わずよろめくあたしの手を、ジャスパーが「こっちですよ」とひいてくれた。あたしはその手を離さないよう必死に人波をかき分けながら、ジャスパーの背中を追う。

 港に着いて一番に、レイズにお使いを頼まれたのだ。そう時間はかからないと言われ、アクアマリー号の船員として最後の仕事だと思い引き受けた。

 ジャスパーと共に向かっているのは、王国が統治する海上船団管理局という場所らしい。


「港に着いた船は、寄港報告をする義務があるんです。それから航海した経路の海上状況報告も。すべての船は等しく一応、王国の所属になっているので」

「…なんか、意外。海賊船って、そういうのに縛られないイメージがあったから…」

「そうですね、実際レイも面倒がってます。だから本人は行かないんですが…でも届出を怠ると、魔導師の斡旋をしてもらえないんです。この国のほとんどの魔導師や神官は王国所属ですから、自分たちで無所属の魔導師を探すのはとても難しいんですよ。その中でも王国直属船は最優先されますから、一般の商船やぼくらみたいな海賊船は高いお金を出して雇うしかないんです。それでも、魔導師なしで海に出るのは命取りですから。この国は海に囲まれていて陸よりも海の領土の方が何倍も多い。王国の船団だけでは海上の監視や治安は追い付きません。実質今、国の船より一般の船の数の方が圧倒的に多いですしね。だから無難なカタチで双方手を打って、後は不干渉がルールなんです。それに殆どの海賊が相手にするのは、国外からの侵略船です。皆シェルスフィアの海でしかとれない貴石を狙ってるんですよ」

「…そうなんだ…」


 そうか、シアが言っていたこの国で海賊の立ち位置が複雑だと言っていたのは、そういうことなのか。

 一応名目上は国が管理はしている。だけど略奪行為に関して容認しているのは、それは国外の略奪者に対してが殆どだから。海域の広さと数的に、彼らに頼わざるをえない。

 だから現状、この国の“海賊”は犯罪者とはいえないのだろう。


「局はすぐ近くなんで、帰り少し出店を見ていきましょう」

「え、でもすぐ戻らないと怒られるんじゃ…」

「大丈夫ですよ、船長命令ですから」

「えっ」


 思わず声をあげたあたしに、ジャスパーは振り返って楽しそうに笑う。年相応の無邪気な笑み。久しぶりの港とこのお祭りのような雰囲気に、はしゃぐ心がこちらにまで伝染してしまうようだった。


「ぼくの今日の役目は、マオを守ることと楽しませることなんです。ほら、こっちです!」



 寄港報告はすぐ終わった。いつもジャスパーがやっているというだけあって手際も良く、あたしは見ているだけだった。だけど王国が管理しているというだけあり局内はどこか張りつめた空気を感じた。

 海上船団管理局を出た後あたしは、ジャスパーに手をひかれながらお祭りの中心へと足を踏み入れる。様々な楽器の音と人の声。色とりどりの旗が頭上をはためき、すれ違う人々には笑顔で何やらいろんな物を手渡される。

 焼き菓子やキャンディ、シーグラスの土産物にチラシのような紙。あたしはこの世界の文字が読めないのでなんて書いてあるのかは分からないけれど、お店の広告だろう。抱えた腕から零しながら、ふたりで出店を見て回った。

 こういう場所で、こういう空気で。楽しまないのは損だ。勿体ない。

 知らず笑みは零れるし、隣りのジャスパーの笑顔にも余計につられた。

 レイズの気遣いとジャスパーの存在に、気持ちが救われるのを感じた。


「中央の噴水広場が、一番混雑してるみたいですね。式典の映像が一番大きく流れるんです。実際の式典会場は王都と王城ですから」

「映像が流れるの? ここまで?」


 この世界にテレビやパソコンなんてない。遠い場所でやっている式典の映像を、どうやって流すのだろう。

 思わず訊いたあたしに、ジャスパーは笑って答える。


「そこは魔導師の出番です。この国の魔導師は水系の魔法に特化してますから。いくつかの魔法を組み合わせて水をスクリーン代わりにするそうですよ。ぼくは魔法に疎いのでよくわからないのですが。王国所属の魔導師達は術の共有で水を媒介にその映像を中継できるそうなので、広場まで行かなくても見れるみたいですけどね」

「そっか、意外と便利なんだね、魔法…」

「マオがそれを言いますか。見に行きますか? 戻ってくるのも大変ですけど…国王陛下のお姿を拝見できますよ」


 そうか…すっかり忘れてしまっていたけれど、今日はシアの誕生日なんだ。シアは今まだ城に居るはず。そうすぐには、会えないのかもしれない。


「…ううん、いい。みんな待ってるし」

「…そうですか。じゃあおみやげ買って戻りましょうか」


 シアの姿を一目見たい気持ちはあった。だけどなんとなく、見たくない気持ちもあった。自分の心の在り処を自分が一番良く分からなかった。


 船で待っている船員達のリクエストの品と、おみやげにドーナツのような揚げ菓子を買う。水や食料等の航海に必要なものは次の出航前にまとめて買い出すとのことで、今回の買い出しは個人的なお酒や肉や果物が多い。船に長くは置いておけないものなので、港でしか味わえないのかもしれない。


「分船のメンバーとも今日合流する予定なんで、きっとあとでレイから紹介が」


 そう振り返ったジャスパーの顔をあたしはもう。

 確認することは、できなかった。


「…マオ…?」


 その姿が、人波に消えていく。

 あたしは口も自由も封じられて、それを見送ることしかできなかった。


「マオ?!」


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