第3章 不確かなもの

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「――“それ”が始まったのは、約5年前だ。…最初はおれの姉だった。突然意識が無くなり、倒れたんだ。当初は病気を疑ったが、同様の呪印が他の王族の体にも現れはじめ、そして次々と城にいた王族達が倒れていった。リズが言うには、王家にかけられた呪いだという。しかしそれ以外は何もわかっていない。おれ達は必死に呪いの根源や術者、解く方法を探した。だけど、手がかりは何ひとつ見つからなかった。そうしている間に…この城の王族がどんどん死んでいき…2年前とうとう当時の国王が亡くなった」

「……シアの…お父さん…?」

「…そうだ。当時既に、戴冠の資格を持つ他の王族は居なかった。だからおれが、王になった」


 繋いでいた手に力が篭る。シアはきっと、気付いていない。自分の頬を流れる雫に。

 きっとあたしもそれを口に出しちゃいけない。だってシアはこの国の、たったひとりの王様だから。

 自分よりも年下で、生意気で、一国の王様なんて俄かに信じられなかった。立ち振る舞いや態度やリシュカさんの様子から、偉い人なんだろうなとは思っていたけれど。

 でも本当にシアは。この国の王様なんだ。


「シア…は、その、呪いは…大丈夫なの…?」


 訊かずにはいられなかった。

 思わず自分の手にも力が入って、それに気付いたシアが柔らかく笑う。また、大人びた笑み。


「リズとリシュカのお陰で進行を遅らせる術をかけている。反作用もあったりと厄介だが、すぐには死なないさ」


 笑っていうことじゃないと叱ってやりたかったけれど、何も言葉は出てこなかった。

 その笑みはきっと。

 失った哀しみと、失っていく哀しみと…それでも諦めない強さが滲んでいた。


「…シアは、強いんだね。あたしだったらきっとすぐに投げ出してる」

「はは、根性無しなんだな、マオは。…それにそんなことはない。おれが強かったらきっと…もっと守れるものがあったはずだ」

「…そっか」

「そろそろ中に戻ろう。おれももう眠くて死にそうだ」


 言って、繋いでいた手をふと離し歩き出す。その小さな背中が何を思っているのかはわからないけれど。

 こんな幼いのに、だけど大人だなと思う。自分よりもはるかに、強いものを持っていて。羨ましいくらいだった。

 あたしはいつだって、その場任せて適当で。自分のことも周りのことも、どうでも良いことばっかりだって、そう思ってた。

 自分と自分以外のことをそんな風に背負ったこと、今まで一度だって無かったんだ。


 数歩先をいくシアが、ふと足を止めた。つられてあたしも足を止める。夜の風が僅かな隙間をすり抜けていった。

 それからシアが背中を向けたまま、どこか小さく零す。


「…マオは…年はいくつだ?」

「ふふ、なんだかヘタなナンパみたい」


 急に出てきたなんだか不釣合いなセリフに、思わず笑ってしまう。シアは顔は向けずに首を傾げる。


「…? なんだ、ナンパとは」

「口説いてるのか、ってこと」

「ふん、まぁ女性を口説くのは流儀だな。特に王族は後継を残すことも重要な義務だ。それならやはり女には優しくしとかないとな」

「…なんか急にエロガキに見えてきた」


 溜め息混じりに零した視界に、ふと光が浮かんだ。夜空の星は、遠い。


「なっ…! …っ! 言い忘れていたがこの姿は術の反作用…っ」


 勢いよく振り返るシアの姿が、ぼんやりと光に滲んでいた。

 急に視界に溢れる、白い波。


「…な、に…これ…体が…っ」

「…マオ…?!」


 いくつもの光の粒が、頬を掠めて夜の空へと昇っていく。リズさんの部屋で見た光景とそれはよく似ていて。

 ぼんやりと光を発しているのは、あたしの方だった。視界が、目の前のシアの輪郭が、滲む。

 突如自分の身に起こった異変に、あたしは為す術も無く。かざした手の向こうでシアの顔が歪んで見えた。


「リシュカ! 来いリシュカ!!」


 叫んだ声にすぐさまリシュカさんが夜のテラスへと勢いよく現れる。こちらへ駆け寄ってくるけれど、その姿はもう殆どぼやけていて。あたしにはよく見えなくて。


「シア…っ シア…!」

「マオ――――…!」


 シアが叫んで手を伸ばす。だけどあたしはその手を、とれなくて。自分の体の感覚すらも、感じられなくなって。



「…――!」



 シアが、泣いていた。

 何故だが胸が痛くなった。



―――――――…



「…――!」


 誰かが、叫んでる。

 シア…?

 違う、シアじゃない。シアの声じゃ、ない。

 誰だろう。誰だっけ、この声は。確かに聞き覚えのある――…


「…――お…っ、……真魚まお!」


 頬に痛みが走り、あたしは忘れていた呼吸を取り戻す。途端に込み上げる嗚咽と痛みで体を曲げた。


「…ッ …! げほっ、う、…っ!」


 口から吐き出したのは空気ではなく水だった。

 呼吸が苦しい。目が開けられない。頭が痛みで眩む。


「…っ、真魚…! よか…っ 真魚!」


 すぐ傍で聞こえた声が、次の瞬間にはくぐもって聞こえて。

 気が付くとあたしは、力強い腕の中に居た。強く、抱き締められていた。

 濡れた体温。聞き覚えのある声。


「………七瀬ななせ…?」


 そうだ、この声は。

 …七瀬。七瀬の声だ。


「びっくりした…! 良かった、真魚…!」


 抱き締められる体から覗く視界の端に、揺れるプールの水面。

 蝉が遠くで鳴いている。

 水を吸った体、はやる鼓動。


 ここは。この、世界は。

 さっきまで居た世界とは違う。


 あたしの、もとの世界だった。

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