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―――――――…


 窓の外には丸い月が浮かんでいた。大きな窓の一番真上に浮かぶ白い月。だけど果たしてあれが本当に“月”なのかは、あたしにはわからない。そう見えるから、そう捕らえるだけ。

 本当のことは、あたしにはきっとわからない。

 世界が違うって、どういうことなのかも。



「シェルスフィアは古より多くの神や精霊、魔を持つ者と契約し従えることによって、他国の侵略や自然災厄による亡国を凌いできた」

「…自然災厄って、災害ってこと…? 津波とか、竜巻とか…」

「まぁソレに近い。だけどそれらはすべて神や精霊によっておれ達人間へともたらされる。お前の世界ではどうがかわからんが、この世界では人間による災厄と同じくらい、神々からの災厄も多いんだ。人間同士では戦争になるが、相手が神や精霊となると、おれ達に勝ち目は無い。国は滅びる。そうしていくつもの国が名も残さずに亡ほろんできた。そんな長い歴史の中でおれ達が身に着けてきた武器が、“契約”だ。生まれつき魔力を持つ者と、神や精霊の声を聴ける者はこの世界でも限られている。条件を満たした者のみが、神や精霊を従えることができ、それは国を守る盾と、そして矛となった。

シェルスフィアはそうして生き抜いてきた数多の神を従える気高き王国だ」


 シアがそこまで吐き出して、それから次いで長い溜め息を吐く。目の前に置かれていたカップの湯気が吹かれて大きく揺らいだ。

 なんとなく視界の端でそれを見つめながら、あたしは遠慮がちに口を開く。

 口を出していいのかわからなかったし、シアはとても疲れているようだったけれど、あたしもあたし自身の為に確かめなければならないことはたくさんあった。


「…今回、その…契約しようとしてたのには…何か理由が、あるの…?」


 あたしの目の前にも、湯気の立ち昇るカップが置かれている。リシュカさんが淹れてくれたもので、おそらく紅茶だ。シアが角砂糖とミルクをたくさんいれていた。

 窓際の丸いテーブルにあたし達は向かい合うように座っていてリシュカさんはシアの後方に控えたまま薄闇に溶け込んでいる。

 大きな窓から降り注ぐ月明かりだけのティータイム。

 一応客人扱いしてもらえたことにはホッとしている。事態が好転したわけでは、ないけれど。


「…契約とは、命を削る行為に近い。相応の対価が必要だからだ。勿論契約する相手によって対価は様々だが、大抵は身か心を削られる」


 シアはそれだけをぽつりと零して、角砂糖に手を伸ばす。それから砂糖の塊を2つほど行儀悪く指でつまんで、ティーカップの中に落とした。


「ちょ…っ、さっきもいれてなかった…?!」

「…エネルギー補給だ」


 気だるげに言ってティーカップを取り口付ける。まるで遊びつかれた子どものように、瞼が閉じそうになるのを必死に堪えながら。

 そういえばシアはいくつなのだろう。あたしから見れば十分“子ども”だけれど。


「まぁつまりは、理由があり必要だから、召喚の儀式を開いたわけだ。それ相応の代償を覚悟して。お前がトリティアでもイディアでも無いことは認めよう。だがお前の中に“居る”のならば、話は別だ。ほいほいと帰すわけにも、逃すわけにもいかない。もう一度言う。今のおれには、武器が、神の力が。マオ、お前が――必要なんだ」


 そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。そんなにも必要とされたのは。そしてそれを、言葉で示されるのは。

 だからこれは、仕方ない。

 不覚にも少しだけ心が揺れたとしても。


「…でも、あたしは、…ただの、人間だから…そうだ、また術か何かで、そのナントカって神様をあたしの中から取り出せないの?」

「…人間の中に神が入り込むなんて聞いたことが無いからな…術のリワインドなんておれはやったことが無い。リシュカ、お前は?」


 シアの少しだけ傾げた頭の奥で、相変わらずフードと薄闇に紛れたリシュカさんが少しだけ月明かりの下に姿を晒す。


「私もありません。ただそういった内容の文献を読んだことはありますが…確証はありません。対象が異なります」

「どの道後が無いんだ、やってみよう。ではマオには方法が分かるまで協力してもらおう」

「ねぇ、だったら…! 他の神様や武器じゃ、ダメなの…? わたしじゃなくて…っ」


 あたしの中に何かが居るとしても、今の所実害は感じられない。実感も沸かないし、まだ半信半疑なのだ。

 いっそもう諦めてくれないだろうか、あたしごと。神さまの力をあたしが使えるとも思えないし。


「…おれはもう、一度言ってる」

「…え…」


 まっすぐ、目の前でシアがあたしを見つめる。子どもらしくない頬杖をついて、大人みたいな声音で。


「おまえじゃないとダメだ」


 シアは決して、視線を逸らさない。


「さっきも話した通り、我が国は代々神や精霊を従えることによって国を守り築いてきた。それは建国王がこの国を築いた証であり、永く王族の血に刻まれた契約だ。おれが召喚し契約できる対象は、この血によって決められている」

「…どんな神様も、ってわけじゃ…無いんだ…」

「元々神々はおれ達人間と争っていたぐらいだからな。しかし中には気まぐれで気分屋でモノズキな神も居る。なぜかおれ達人間に、手を貸すものも。だけど誰でも、ってわけじゃない。魔法や術や儀式には必ずルールがあり、素質と資格が要る。この国で神々の召喚と契約ができるのは、王族だけだ」


 そう話すシアは、伏せ目がちに窓の外を見つめた。その理由を、その哀しげな理由を、あたしは知らないけれど。

 その青い瞳が僅かに揺れていた気がして何故だが胸がちくりと痛んだ。

 言いたくないことを、言わせた気分だ。


「契約は…今じゃないと、ダメなの…?」


 訊いたあたしにシアが視線を向ける。月明かりに濡れた目にあたしをしっかりと映して。

 いつの間にかリシュカさんはまた後ろへと下がり暗がりの中気配を消していて、まるで世界にふたりきりのような不思議な錯覚がした。月明かりの下の切り取られた世界にふたり。

 シアが少しだけ笑った。泣き笑いみたいなへたくそな笑みで。



「戦争が起こる。この国で」

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