第25話 パトリエソーレ

 偃月先生からメールが来たので、オレ達はDOFにログインした。

 わんわん京は消滅した。すると有志は集って跡地に《新生ニューボーン》の祭祀リチュアルを行った。この神業テオルギアは一粒の種を蒔いて新しいエリアを創造するものだ。そのエリアがいつ入れるようになるかは不明。ただし、今回は偃月先生が内部情報を特別に教えてくれた。

 DOFの中でもここいらは緯度が低く、温暖だ。季節も夏なのでわずかに汗ばんだ。

「そこは安全なの? この前みたく襲われるんじゃ」

「新エリアではしばらくの間、悪名があってもNPC人工知能に敵意を持たれることはない」


 時間になった。霧が晴れる。

「おそらく一番乗りだ。用心していこう」

 何の情報も無い。気分は探検家。

 広葉樹林が続いていた。道なき道を進む。大森林だ。

「キョロキョロ。なんだかアマゾンみたい」

 そう、進めば進むほど森は熱帯雨林の様相を呈した。大きな川にぶつかり、それに沿って野生動物との戦闘をこなしつつ密林を踏み分けていくと、急に視界が開けた。

「お、すげー」

「なんか赤いの吐いてる」

「溶岩流のようね」

 高い山に背中を預けるようにして悪魔かなんかの石像がそびえ立ち、その口から煮えたぎる溶岩が絶えずこぼれ落ちている。そのせいなのか蒸し暑いようでオレのアバターは勝手に服を脱いでいた。戦闘能力を上げるため炭水化物を抜いてタンパク質ばかり摂っていたためすっかり痩せてオレの体はすっかり筋肉質だ。これでは自分の名前に申し訳が立たない。

「ねえ」

「ん?」

「なんか、お日様が大きい」

 見上げる。現実リアルだったら目を痛めている所だ。他の地域で見る太陽より十倍ぐらい大きく見える。

「そりゃ、暑いはずだよ」

 やがて道に合流したのでそれに沿って進んだ。まもなく、目に飛び込んできたのは青! 

「海だ……」

 そして白い砂浜。そしてNPC人工知能と思しき人々の姿が見えた。

「ちょっと! 待ってくれ。え!?」

 オレは立ち止まった。

「うわ。何これ。おっぱい丸出し」

 チサトはソプラノで笑い出した。「あ、カガミは見ちゃダメ」

「これは不思議ね。男が胸を覆って女が裸」

 ああ、やっぱりルーシーは冷静だなあ。リゾート地みたいに、往来する人々はみんな水着だ。観光客が多いのだろう。

 そしてさらにそして、オレをピンチが襲う。視線が痛いのだ。

「何あれ。丸見え」

「ぺろぺろしてえ」

「俺、食っちゃってもいいんかな」

 女性達が食い入るように、オレの胸を見ている。オレは負けずに胸を張って歩いた。しかし、どこからともなく女の子達が湧いてきてオレの胸を見ている。

「なんだってんだ……」

 オレは頭を抱えた。チサトは腹を抱えて笑っている。

 いいか。相手はNPC人工知能なんだ。別に見られたって……。

 観衆の黄色い声が歓声が、喧噪になって辺りを包んだ。息が苦しい。オレはwebカメラの設定を変更。モーションキャプチャーをオンに戻して、右手と左手を交差させて両乳首を覆った。すると皮下脂肪弁慶も同様の姿勢を取った。そうして、そそくさとその場を去る。女の子達はトップレスなのにまったく平然としている。くそくそっ。ぷよぷよ揺れやがって!

「ここはそういう文化なのね」

「ちょっと待ってくれ。これ、後で他の連中も来るんだろう? 問題になるぞ」

 と二人を振り返ると二人ともトップレスになっている。郷に入れば郷に従え、ってか。もう、これがアニメなら謎の光だらけになっているだろう。

 GM《ゲームマスター》にメールを書いて送信すると即座に返信があり、要望を検討するとあった。そしてシステムメッセージに新エリア『パトリエソーレ』の解放と進入者の年齢制限がアナウンスされた。

「対応が早すぎる」

 これはあれだ、偃月先生の仕業じゃないだろうか。オレをこんな目に遭わせようとして仕組んだのではないだろうか。まあ、コンピューターには倫理の判断が難しいらしく、パトリエソーレの設定が許容されてしまったのかもしれないが。

 オレが服を着ると女の子達はまたどこへともなく去って行った。そこを捕まえて。

「あの、そんな格好で、恥ずかしくない?」

「恥ずかしい?」

「いや、あ……胸を露わにしてさ」

「いや別に。それより君こそどうなの? 恥ずかしくなかったの?」

「だって、男だし」

「は? 逆じゃない? 男が裸ってどうなの?」

「いや、だって……女の胸は出っ張ってるじゃない」

「まな板のほうが恥ずかしいでしょ? そこの平たい胸族みたいにさ!」

 そして女の子は花散里チサトを指した。

「は!?」

 とばっちりを食らったチサトが唖然としている。女は続けた。

「出っ張ってると隠さなきゃいけないの? 誰が決めたの?」

 この質問に対する応手を用意してはいなかった。

「大体さぁ、男の乳首って……かわいすぎるんだよなあ」

 ニヤニヤしながら美乳の女が加勢する。俺の体をぐるんぐるん眺め渡す。「おいおい、少しは遠慮ってモノをだな……」と、言いながらポニーテールの女の目線は俺の乳首を捉えて放さない。「おいしそう……」と、よく日焼けした女がつぶやく。それは俺のセリフだ。俺は戸惑い、少し混乱した。

 悄然としおれてきびすを返す。

 そのままブティックに入り、水着を買った。

 オレは負けた。負けたんだ。男性用ブラなる物を装着する。

 なんだろう! また一歩、大人になった気がした。

 いや、それにしても。この環境は刺激的すぎる。

 ここを出たら十八歳になるまでここには来れない。

「とりあえず、しばらくはここで過ごそうか」

「ド変態」

  

 DOFのアカウントをつくるには個人番号カードなどの画像の提出が必要だ。厳格すぎるという意見もあったがこれは英断だった。ボイスチャットしたとき性別が逆だと萎えるからね。

 DOFのβ《ベータ》テストのときはひどいものだった。男女比が偏りすぎていた。しかしこれは時間を経るごとに改善されていった。ネズミが増えればそれを食べる肉食動物が増えるように、いや、食堂がうまいラーメンを出せばお客が群がるように……うーん、この喩えはうまくない、無理があるな。ともかく、初期は男キャラが女キャラを取り合った。逆ハーレムがそこかしこで群れをつくった。DOFのキャラクターは年を取る。子孫を残しておかないと保持するアイテムが消滅ロストする。親は子にカードの一部を相伝する。能力値も遺伝する。だから恋愛や結婚も重要な要素だ。DOFはそこから女性にも人気が出た。

 ともかく、運営にプレイヤーの年齢は把握されているわけだ。チャットは十八歳未満の男共の怨嗟の声に満ちた。ああ、おっぱいおっぱい。


 パトリエソーレの文明レベルは他地域と比較すると高水準にあった。特に水車は見事なもので脱穀、製粉はもちろん、灌漑や製糸にまで使われていた。水車は川の水を汲み上げ、小気味いいリズムを響かせる。大規模な工場にはひっきりなしに生糸が運び込まれ、男達が汗をふきふき働いていた。

「ここの人たちは変わっているわね」

「NPCが?」

「ええ」

 オレの右肩とルーシーの左肩が密着している。絶え間なく降り注ぐ性的衝動をどうしてくれよう。一方左肩にはチサトがいた。

「どうやら、ここで生まれた男は必然が使えないようなのよ」

「ここを創造したのも君たちNPC人工知能だ。色々実験的なことを考えているんだろう」

「パトリエソーレは、日本におけるわば社会的性差ジェンダーが反転しているの。女が必然フェケルティを活用して労働をこなし、男が家事を主に担う」

「殴り合いになったら……」

「女が男を殴り倒すわ」

「何それ怖ーい」チサトがわざとらしくオレにしがみつく。

 夜間はよく追いはぎに襲われた。オレが必然フェケルティを使うと彼女たちは驚いて逃げていった。

「パトリエソーレは治安がいいとは言えない。だから男は強い女を求める傾向にあるわ。過去の日本と正反対にね。日本人は遵法意識が高く、治安がいいから女は本能的に中性的な男に魅力を感じる。DVをしないような男が良かったってことね」


 パトリエソーレは太陽に愛された地域だ。機嫌がいいと太陽は大笑いをする。口からかけらを吹き飛ばす。太陽のかけらは山に力を与え、マグマを噴かせる。パトリエソーレは絶え間ない熱を太陽から賜る。

 オレ達は火成岩の洞窟を見つけると、買い物をして衣食住の用意を済ませた。


「どうやら、非常食は妊娠しているようね」

 ルーシーはそういった異変に敏感だ。

 オレはマウスから手を離し非常食を引っ掴んで裏返した。わずかに腹が膨らんでいる。乳首がピンク色になっている。

「外にも卦魂がいるのか」

 なんだか、不思議な気分だった。自分の子分みたいだと思っていた、非常食が生命を生み出そうとしている。なんだか、一気に追い抜かれたような気分だ。

 日に日に非常食の腹は膨らんでいった。身重になっても非常食は元気だった。オレはたくさん食べ物を与えた。

 そして春休みになり、ついに非常食がロフトで仔を生んだ。丸い、ピンポン球ぐらいの卦魂が八匹。足がおぼつかなく、短すぎるので転がって動く。

「あんまり見るな。非常食のストレスになる」

 チサトはよだれをどっぺり垂らして仔卦魂を眺めている。非常食は、非常食の癖に、親の仕事をしていた。普段は毎日一日の半分以上を睡眠に費やすくせに。考えてみれば凄いものだ。誰に教わったわけでもないのに、育児の術を習性で知っている。それもこれも、偃月先生が書いたプログラムだ。

 オレは偃月先生にメールを送った。

卦魂ケタマは凄いですね。あれが人工知能だとはとても思えません』

『DOFのマスコットになるような生き物を創ってみようって話になって、卦魂が生まれたの。私は犬と猫を飼っていて、混ぜたらどうなるかってのがコンセプト。人間の模倣を作るより、ずっと簡単だったわ。それだけ、人間が複雑な生き物だってことね』

 オレは非常食を撫でた。非常食は嬉しそうにしっぽを振る。

『それと、新情報。どうやら霊魂の奔流は人工知能が創造したものじゃなくて、現実で観測したものを模倣して、DOFに出現させたみたいなの』

『現実に、霊魂の奔流が、ある?』

『そうね。その力を介して、ルーシーちゃんはそっちに行けたの。感情を理解した、ルーシーちゃんだけが、可能だったの』

『あの、偃月先生、今回の件、世間に発表はしましたか?』

『いいえ』

『あの……とりあえず、公表しないように、していただけませんか?』

『傲慢ね。科学の進歩を妨げるつもり?』

『ルーシーと、一緒にいたいんです』

『わかった。ひとまず、秘匿しておくわ』

 偃月先生の笑い声が聞こえるような気がした。


 母卦魂としての振る舞いは、人間が介入してはいけないような、そんな、神聖な行為に見えた。無償の愛を仔に注いでいる。そうやって動物は十億年、命を繋いできた。まあ、卦魂はちょっと違うかもしれないが。

「これは可愛いのかしら?」

「そうだね。……ところで今ルーシーはどこで可愛いと判断したんだい?」

「主観的に見てたどたどしく弱い生き物を見ると可愛いという感情が生まれる、とデータベースにあるわ」

「データベースを作ったのは……」

「ほとんど偃月ね。残りは機械学習よ」

 唖然とする。この調子でありとあらゆるデータを常識としてNPCは必要とする。おそらく、たどたどしい、弱い、という言葉も同様に判断材料が与えられている。辞書並みの量を入力し、つ、擬似的に機能させている。

「確かに魔法だな」魔法には労苦が欠かせないのか。楽して魔法が使いたいのに。

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