第23話 ルーシーの ③

 ルーシーは、どうやってオレのところに来たのだろう。

 ああ、そうか。

 ルーシーがオレのところに来たんじゃない。

 オレがルーシーに引きつけられているんだ。

 そうだ!

 だってほら、今も。

 立ち上がる。

 傾いてる。


「どこ行くの?」

 オレは応えずに外に出た。人通りのない夜の街を走り出す。

 大した距離じゃなかった。スーパーの前に、ルーシーはいた。

「偃月先生と話は終わったよ。帰ろう」

 手を握る。

 突然、轟音がオレの耳に飛び込んできた。振り返る。自動車がアパートに激突し、横転していた。タイヤが乾いた音を立てて回っている。

 コンピュータの不調か?

 運転事故なんて近年ではごくまれ。ほとんど自動運転に任せてしまうからだ。ここから見る限り運転席に人影はない。

 嫌な予感がした。いや、違うな。偃月先生なら、『予感も勘の一種だ』と仰るはずだ。つまり、何かオレの潜在意識で情報を分析している。

「やっぱりか。やっぱり、そうなのか」オレの声は、か細い。

 

 ルーシーの手を引いて、歩き出す。

「ルーシー」怖かった。「君は人間じゃない。人工知能だ」

「ええ、そうね」

「そして、バグがある」

「そうね」

「そのバグが……様々な電子機器に干渉している」オレの声は、か細い。

「そうね」

 味のないラーメンをんでいる。どこか遠い世界の。

 信号機があべこべに不規則に光を放つ。その隣に見覚えのあるものがのっそり立っていた。

「ゲート……!」

 オレはルーシーの手を引いて駆け出した。DOFに存在するものが、こんなに堂々と、こちらに来てしまった。

「オレは君にキスをした。君は泣いた。オレが無理矢理キスをして悲しかったからだ」

「違うわ。テレビドラマで、想い合う二人が、唇を重ねていたわ。わたくしは、自分が同じ体験をして、嬉しかったのよ」

 立ち止まった。

 ルーシーは顔を背けなかった。人間とは違うんだ。恥ずかしいという感覚が、ない。オレはまた前を向いた。

 人間は、いろいろと面倒くさい。

 オレは、ルーシーがずっとオレを憎んでいると思い込んでいた。

 たくさん、たくさん、思い違いをしていた。

 ルーシーは。ルーシーは。


 よかった。家は無事だ。チャイムを鳴らすとチサトが開けてくれた。

「あっ……ゴメン」

 手を離してようやく気付いた。ルーシーの手は真っ青だ。オレはここに来るまできつくきつく握り締めていた。

「痛いかい? 治療は必要かい?」

「疑似痛覚はあるけれどわたくしを阻害するものではないわ。問題ない。すぐに治るわ」

 頭がぼおっとする。脳疲労がひどい。オレはロフトに上がると布団に横になった。

 非常食がオレの側まで来て、そして腹に乗った。

 整理しよう。

 DOFのものが、現実こっちに出現している。

 そうだ。思えばあの棒はなんだ? あ、ルーシーがロボットを《誅罰の雷霆ライトニングジャベリン》とやらでやっつけたこともあったっけ。思えば最近、色々と変なことが起こり過ぎている。目を瞑った。非常食を撫でる。

 ああ。全身の力が抜ける。

 そうか。お前もか。

 よく考えてみてくれ。卦魂ケタマなんて生き物は、どんな図鑑を探しても載ってない。


 オレは立ち上がってはしごを下りる。いったん、目を思いっきりつぶる。そしてもう一度目を開いた。やっぱり、ある。

 何か妙なものが床にある。金属製の取っ手のついた板が窓際の床に埋まっていた。取っ手に手を掛け、持ち上げる。窓の下が大きな蝶番(ちょうつがい)になっており、板はとても軽く簡単に上がった。

「何これ! しんしん!」

 扉の下は、見たこともないような床材で造られた階段が視界の彼方まで続いていた。

「チサト喜べ。念願叶って家が広くなったぞ」

「何がどうなってるの?」

 説明するのが面倒。だから答えない。まあ、オレも全く何も解ってないのだが。

「いやあ、今の時代あれだね。一家に一台、ダンジョンがなくっちゃね」

 ちょっと気張ったボケはルーシーの真顔で報われることになった。

「ルーシー。君のバグを止める方法はないかい?」

 床の扉を閉める。時計を見ると日付が変わっていた。

「カガミに存在を、わたくしは安定するわ」

「オレの存在? ……オレがどうすればいいの?」

「ええと、恥ずかしいのだけれどあって、カガミが体とわたくしの体を触れあっているとわたくしは安定するわ」

「は!?」チサトが勝手にキレている。

 オレの体に火が点いた。

「なら……仕方ない……な」

 オレはルーシーの左手を握った。

「あの、もっとくっついてもいいかしら」ルーシーの声は堂々としていた。自然な抑揚。

「何それ……」

 チサトの額がピクピクしてる。

「いいか。こうしないと、お前のパソコンやスマホが今度こそいかれちまうかもしれないんだぞ」

 オレは言い含めるようにチサトに伝えた。そして! こんなん初めてなんですけど。ルーシーの肩に手を伸ばし、引き寄せた。

「そこじゃなくて、ここを」

 ルーシーの手がオレの右手をルーシーのウエストへといざなった。

「失礼するわね」

 ルーシーがオレの体に転がり込むように身を預けた。顔を胸に寄せる。

「な……」

 チサトはぐらぐらと沸騰した。もう何人前だろうと茹でられるだろう。

「ド変態!」チサトは鼻息荒く、オレに体をぶつけた。肘がみぞおちに入り、オレは余りの痛みにルーシーにすがりつく。

「……あのな。ルーシーは仕方ないんだよ」

 チサトがスマホを取り出すとフラッシュが焚かれた。

「撮った」

 チサトは口角を上げた。そしてそのままオレにしがみつく。「また脅迫のネタが増えたよ」とオレを見つめる目がかしましい。

「いいじゃんいいじゃん減るもんじゃないし。ああ~。カガミってあったかいね」

 何も減らないわけじゃない。ああ、暖かい。猫になった気分だ。


 今日は目まぐるしい一日だった。偃月先生とお話ができるなんて。

 そうして、目を瞑ってゆっくりと交わした言葉を回想した。

「ルーシー、美とは何だ?」

「美とは生物を導く因子」

 あれか。花を追い求めるミツバチと一緒か。

 美しいものを追い求めていれば、正しい方向に歩けるのだろうか。でも、例えば美味しい物ばかり、糖と油ばかり摂っていたら体に悪いだろう。あ、でもオレが太るってことはデブが嫌いな人からは美しくないってことで、それはやめなさいという論理にもつながるな。ううむ。

 偃月先生の一言一言から、名店の香りがした。

 目を開ける。小さく息をついた。

 オレは、何を言ってるんだ?

『偃月先生はいいですよね。好きなことをやっていられて』

 オレは何を言ってるんだ。オレは何様だよ。

 一人だったら、叫んでる。

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