3 外法

第59話 雨の笠井町

 雨。

 夏だというのに、少しひんやりとしていた。町は灰色に染まり、色とりどりの傘が往来する。


「よく降りますね」

 鳴門刑事は、コンビニで買ってきたサンドイッチを頬張りながら車の中から外を眺めていた。

「降ってもらわなければ困る」

 後藤刑事は煙草をくわえながら、ハンドルに手をかけた。

「下駄の男の話では、奴が動くのは決まって雨の日だという。奴は自分の姿をさらすことを極端に嫌う。監視カメラも雨の日は傘の死角になって『面取り』ができないからな」

「慎重な男なんですね。そのカリノシメイとかいう男」

「慎重だが大胆でもある。自分に絶対の自信を持っている。だから、下駄の男にその力を誇示しようと機会をうかがっている」

「本当に現れるんですかね?」

「さぁて、どうかな。しかしあの姉妹の件といい、権田の件といい、捜査は行き詰っている。わずかでも可能性があると思われるものにかけてみるしかないだろう?」


 江戸川南警察はここ最近、奇妙な事件に振り回されていた。後藤刑事と鳴門刑事が所属する組織犯罪対策部は、暴力団、銃器・薬物対策・外国人・国際犯罪対策を目的とする内部組織である。かつて四課と呼ばれていたその組織の通称はマル暴力。すなわちヤクザ専門の部署である。


 最近江戸川南警察管轄内で、アジア系の犯罪組織と、古くから地元に密着していた暴力団、そして新興の犯罪組織の台頭により、勢力図が著しく変わってきている。そんな中で警察がマークしている重要参考人が次々と姿を消している。一般市民の目に見えないところで、暗殺や謀殺が横行している可能性が高いと後藤刑事は考えているが、具体的な証拠がつかめず、本部の動きもいつにもまして鈍かった。


「あの男の手を借りなければならないのは、甚だ不本意ではあるがな」

 そんな中、後藤刑事は尾上弥太郎と名乗る謎の人物と出会う。一連の重要参考人の事故死には闇の力、呪詛が使われているというのである。

「最初は、そんなことあるわけないと思っていましたけどね。やはり専門家というのはどんな世界にもいるものですね」

 最初の事件も雨が関わっていた。日中晴れていて、午後に突然雨が降るような天気の日に、相次いで笠井町の暴力団組織、加賀組の三名が立て続けに交通事故で死亡した。

「もとはといえば、あの拝み屋が余計なことをしなければ、あんな事件は起きなかった」

「それはそうですが、法で裁けないような連中です。僕としては、なんというか、複雑な心境ですね」

「あの姉妹も、警察がしっかりと捜査をして権藤のしっぽをつかんでいれば、『外法』なんかに手を染めることはなかった。お前、そう言いたいのか、鳴門?」

「い、いえぇ、そこまでは……」

「俺たちの仕事はきちんとした手続きを経て、法の下で行われなければならない。そうでなければ奴らとなんら変わらんよ」


 後藤は吸っていた煙草を車の灰皿に押し付けて火を消した。鳴門刑事はフィルターのぎりぎりまで吸われた吸殻を眺めて上司の苛立ちを見て取った。

「後藤さん、フィルターのぎりぎりまで吸うのは健康に悪いですよ」

「ふん! 生意気を」

「今朝は何か食べました?」

「鳴門……、お前は俺の女房か?」

「やめてくださいよ。そういう冗談。そうじゃなくても最近変な噂が……」

 鳴門刑事は余計なことを言ってしまったと、口をつぐんだ。

「なんだよ、その変な噂っていうのは」

「いえ、単なる噂ですよ。根も葉もない」

「言ってみろよ、気持ち悪い」

「あっ、あのですね……、あっ、後藤さん、下駄の男です」


 鳴門刑事の視線の先に、大きなこうもり傘を差した一人の男が立っていた。

 

 男は下駄をはいている。男の頭部には髪の毛がない。紺色の作務衣を身にまとい、袖からすっと伸びた腕はいい色に日焼けをしている。口元は真一文字というよりは左に少し吊り上っているような印象がある。何か考え事をするときや、周りを警戒しているときに、そのような表情になるらしい。顔にはそれなりのシワがある。男の放つ雰囲気からはそれなりの年齢を重ねた威光のようなものが感じられる。50年以上の人生経験は踏んでいるだろうと誰もが思う。しかし、肌の色つや、ギラギラと光る眼付きからは20代の男子かと思うほどに活力にあふれている。


 下駄の男は車の中の二人と目が合うと、ゆっくりとうなずき、背を向けた。男は駅前のロータリーでタクシーを拾い、笠井駅の南側へ向かった。


「追うぞ」

 後藤と鳴門刑事は下駄の男が乗ったタクシーを追って車を走らせた。

「で、どんな噂なんだ」

 下駄の男が現れたことで、話が切れたことに安心した鳴門刑事だったが、しぶしぶ話を続けた。

「い、いえ、大したことじゃなんですが、ここ最近、朝から晩まで行動をともししているから、僕も後藤刑事に似てきたなとか、そんな話です」

「なんだそりゃ?」

「で、ですから『後藤の下で働いたら、命がいくつあってもたりない』なんて、一課の連中が、からかったりするものですからつい……」

「つい?」

「ぶん殴っちゃいました」


 後藤と組んだパートナーは過去3人が死んでいる。事故死、殉職、そして病死である。いつしか後藤の周りに噂が立つ。

『後藤と組むと長くはない』


「気に入らないやつをぶん殴ってもいいなんて、俺は教えてないからな」

「す、すいません」

「……ったく、お前は俺の真似をしなくてもいいんだよ」

 鳴門刑事は、同僚を殴ったこぶしを、しばらく眺めていた。




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