第28話 ついに、下駄の男と出会う
秋の東京の夕暮れ時というのは、こんなにも美しいものなのか。
僕がこれまで見てきた、いや、実際に見たわけではないテレビや雑誌などで見た『絶景』といわれるどんな風景よりも、それは美しく見えた。
何かに対して『美しい』とか『きれい』とか『雄大な』とかそんな気持ちになれたのは、果たしてどれくらいぶりなのか、あるいは、それこそ初めてなのかもしれない。
東京を流れる荒川
そこから見える夕暮れに解けていく町の風景は、幻想的というよりはよくできた砂時計を見ているようで、刻々と姿を変えていきながら、時の移ろいを凝縮したような、それでいて壮大なパノラマが展開されている。
こんなことが毎日この場所で繰り返されていたというのに、僕は5年以上この町に住んでいるというのに、”本当にここに住んでいたのか”と疑問を持つほど新鮮な風景だ。
『住むって、そうか。そういうことだよな』
それだけでも今日は充分な気持ちになった。
これで団十郎という男前な猫や、拝み屋などという怪しげな男と会えなくてもいいと思った。しかし、会えなくてもいいと思うと同時に、こんな日ならやはり、出会えても良いのではという気持ちになった。なりかけた。
カラン、コロン、カラン、コロン
それは文字通りどこからともなく、不意に、まるで妖怪のように現れた。
「ほぉ、これは、これは」
その男は上下を紺色の作務衣で身を包み、下駄を履いて歩いていた。
間違いない――おばさんが言っていた拝み屋だ
頭は見事に剃り上げられている。それもあってぱっと見た目には老人に見える。しかし、大きな歩幅、しっかりとした足取り。肌の色艶がよく、健康的に焼けている。目はぎらぎらとして生気にあふれている。二十代というのはオーバーでも三十代半ばに見えるというのは大げさではない。
「見ない顔じゃな。いや、見慣れない顔じゃな」
「は、はじめまして」
よく通る声である。しかし僕が知る人の声とは何かが違うように思えた。
それは重みであるのかもしれないし、威厳であるのかもしれない。
あるいは科学的にこの男の声は特殊な波長であるのかもしれない。
ともかく、腹に響き、耳に残る。
「暇かよ」
「ええ。団十郎という猫に会えたら帰ろうかなぁと思っていたのですが」
「団十郎か。奴ならじきに現れるじゃろう」
「わかるのですか?」
「わかるというよりも、まぁ、そういうものだということだな」
「そういうものですか」
「ああ。そういうものじゃ。お主とワシが今、ここで出会った。今夜はいい月が出る。そして団十郎も来る。それだけのことじゃ」
説得力というには理にかけている。
しかし大丈夫だと言われてそこに何の根拠がなかったとしても人はその言葉で安心をする。
この男は、そういう言葉に宿る力を、ほかの誰よりも引き出す能力に長けているのかもしれない。
「初めてではないのですが、ここから見える景色がこんなにきれいだとは知りませんでした」
夕陽は更に赤みを増していた。
「ほう。わかるか」
「はい。わかるというか、わかるようになったというか」
見ず知らずの人と、これほど落ち着いて話せる自分が、少しだけ誇らしかった。
「ふむ、ここはよき場所でもあり、また悪しき場所でもある」
「悪しき場所?」
「悪い波動が強いときには、人はその誘惑に破れ、この川に身を投げる。逆に良い波動が強いときには、そういう弱った人の心を癒したり、勇気付けたりしてくれる。水の流れる場所というのはそういうものじゃ」
僕は思い切って初めてここに訪れたとき体験したことをこの男に話してみた。
「あれは、いったいなんだったのでしょうか?」
「獣は、人に見えぬモノを見たり、感じたりすることがある。お主の言うように赤ん坊があらぬ方向を見て笑ったり、それに怯えて泣いたりするのも同じことじゃ」
下駄の男の影がまた一段と大きくなる。
「つまり、幽霊がそこにいるということですか?」
「ユウレイ、ふむ。人の目に見えないものを「幽霊」というのであればそうであろうか。しかし、この世には人の目に見えないものであふれている。お主には、空気は見えるか?」
拝み屋と呼ばれたその男の目は、ひどくいたずらっぽく、僕がどんな答えを言うのか待ち切れないという表情がなんともいやらしかった。
そしてかわいらしかった。
「肉眼では見えないでしょうね」
「ふむ、いかにも。どうかな。空気という概念と魂や幽霊という概念。どっちのほうが古いかのう?」
「魂のほうが古いように思いますけど……、僕にはよくわかりません」
「わずかな酸素と二酸化炭素、それに窒素が構成する”空気”などという存在は、ごくごく最近、人間が勝手に決めたことじゃ。しかし、息を止めると苦しい。何かを吸わないと生きていられないということを、人は生まれ時には知っていることじゃ。そして魚は水の中で生きられても人は生きられないということも知っている。その逆もしかりじゃ」
拝み屋は、レジ袋の中からごそごそと何かを取り出した。
「嫌いじゃなければ、一杯付き合うか? それ以上はやれん。ワシが飲む分がなくなってしまう」
拝み屋は、ウイスキーの小瓶を取り出し、キャップをあけるとその仲になみなみとウイスキーを注ぎ込み僕に渡してくれた。僕はぐいっと、一気に飲み干す。アルコールがのどを通るとき、かーっと熱くなる。まるで火の玉を飲み込んだように、それは胃にまで到達する。
「いい飲みっぷりじゃ」
僕らはベンチに腰をかけた。
「別の世界、つまり水の中に飛び込んで人は空気の存在に気づき、目に見えないがそこに何かがあるということを知る。空気をしれば、他にも目に見えないものが、あるかもしれない。あってもおかしくない。あってもいいのだと考えるようになる。この世に存在するものとは、すべてが人の認識の上に成り立っておる。そう思えばそうあるし、そう思わなければ、それは存在しないということになる」
下駄の男の話は難しくもあり、面白くもあった。だから僕はもっと話がしたくなり、自分の思っていること、疑問に感じたことを素直に口に出した。
「でも、そう思わなくても、存在するものはあるのでは?」
「そうじゃ。ここが、面白い。思わないということを思ってしまっては、存在を消すことはできない」
「思わないということを? 思うということは、えーっと」
「思わないということを思わないというところまで行かなければ、存在を消すことはできないということじゃな」
「難しいですね」
「あぁ、難しいとも。そのことに気づくまで、人は何年もかけて考え込んだり修行をしたりするのだから、簡単なわけがはない。だかしかし、それはあくまでも己の内側でのことよ。この世界には内と外があり、またその間も存在する」
「内と外はなんとなくわかりますが、間とはなんですか?」
「ふむ。たとえばほれ、これはどうじゃ」
拝み屋は、両手を前に出してパン! と一度叩いて見せた。
その音は荒川の対岸までしっかりと届いたように思えた。
「今の音は、右手の音か、左手の音か」
「それは、えーっと、どこかで聞いたような話ですね」
子供の頃、公共放送の連続ドラマで見た記憶がある。
「ケチをつけるな。年寄りの話はもっとありがたく聞くものじゃぞ」
「つまり、両方なければ音は出ない。内側と外側の合わさった結果としての現象が間ということですか」
「賢いのう。まぁ、そういうことじゃな。で、幽霊だったり、お前さんが体験したりしたそれは、その間ということになる」
「僕の心の問題ということですか?」
「間は真でもあり、また魔でもある」
拝み屋は指で宙に字を書いて見せた。驚いたことに僕にはその文字が宙の中に見えた。読めた。
「間(あいだ)、真(まこと)、魔羅(マーラ)」
僕の中で何かがはじけた。それを閃きといえばそうなのかもしれないが、神経組織の決定的に切断されていた回路のひとつがつながった感覚だ。
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