断髪と朝風呂と着替えと朝食 4  

『自分達はラッキーだ』

 

 先輩が昨夜の言葉に、俺は余裕がなくて素直に頷けなかった。

 でも、今ならわかる。

 

 俺達は、とても幸運だったのだと。


 そして同時に強く思った。

 何で、俺は女子になっているのだろう。

 女子になっていなかったら――

「女子になっていなかったら、もっと食べられるのに……っ!!」

「依澄君、食べないなら残りもらってもいい?」

「くっ……、どうぞ!」

 隣に座る先輩の言葉に俺は無念さを隠すことが出来ないまま答える。

 嬉しそうな声を上げて食卓の中央に置かれた籠に手を伸ばす先輩が、心底羨ましかった。


 先輩に案内された食堂でシン達が用意してくれた朝食は、異世界なのに見たことのあるようなものばかりだった。

 並べられた料理とテーブルに用意されたスプーンと箸(どっちも陶器みたいな質感で白い)を見た時、一瞬日本かと思ったぐらいだ。

 しかも、空腹を差し引いても目の前にある料理は全部ものすごく美味しかった。

 お椀みたいな白い器には、昨夜飲ませてもらった絶品スープが今回は細かく刻まれた野菜と共に。柔らかく塩気の効いた燻製肉は薄切りにされて何枚も皿に重ねられ、見た目ハム味はベーコンみたいで口に入れると濃厚な旨みと肉汁が溢れてくる。見たこともない果物は食べやすい様にカットされていて、その原型は予想もつかないけど色鮮やかなそれらはどれも瑞々しくて甘い。

 特に主食らしい手の平サイズの今まさに先輩が籠から取り上げたマドレーヌから甘さを減らしたような焼き物(モレンって名前らしい)は、口当たりの良さとほんの僅かな甘味がツボに入った。

 それ単体でも十分に美味しいけど、籠の隣に赤や緑のジャムみたいなのやクリーム色の色鮮やかなペーストが三種類小皿に用意されている。好奇心に負けて小分けにしたモレンにつけると、それぞれ甘酸っぱかったり、バジルソースっぽい味だったり、バターみたいな味がして互いを引き立て合ってうまい。ただ誤算だったのはそんなに大きくないモレンを一つ食べ終えた時点で満腹になってしまったことだ。まだ、本命の『燻製肉を間に挟んで食べてみる』を実行していないのに。

 胸が大きくなったのと反比例したかのように胃袋が小さくなっているのか、少ししか食べていないのにお腹が苦しい。

 スープ一杯と燻製肉二枚とフルーツ数種類とモレンを一つしか食べてないのに、だ。

 男の時だったらこの三倍食べても腹八分目だった。

 想定外だ。

 頭で予測していた許容量を肉体が裏切るとは。

「女子って何でこんなに小食なんだよ……」

「女子って言うか、女子になった依澄君が小食なんじゃない?

 たくさん食べるのに男も女も関係ないよ。

 個人差個人差」

 呻く俺を尻目に、先輩は俺が試そうとしていたモレンに燻製肉を挟んで食べるのを実行している。先輩は逆に相当胃が大きくなったらしい。女子だった時の倍は食べている。

「先輩、その組み合わせ美味しいですか」

「とってもとーっても美味しい!」

「くうぅ……うらやましい」

「控えめな甘さの生地と燻製肉特有の風味と塩味が混然一体となって、何個でも食べられそうです」

「食レポはいらないです」

 羨ましさを超えて恨めしく思いそうになるので先輩から視線を外し、俺はテーブルを挟んで向かい合わせに座っているシンとミアナさんに対して両手を合わせた。

「ごちそうさまでした!」

 俺の挨拶にシンとミアナさんは自分達の食事の手を止める。シンは小首を傾げて、ミアナさんはふわふわとした笑みを浮かべた。

「もういいのか?」

「遠慮しなくていいのよ~」

「ありがとうございます。でもホントにもうお腹がいっぱいなんで、大丈夫です。

 すごく美味しかったです」

 頭を下げると二人は納得したのか食事を再開する。

「もう少し待っててもらってもいいかしら?

 みんな食べ終わったら、お茶を入れるから」

「はい」

 ミアナさんの言葉に頷くと俺は手元にあるコップに手を伸ばす。

 ガラスに見えるけどかなり軽いそのコップは驚いたことに少し柔らかい。

 シリコンっぽい触り心地で透明なそのコップにはシンが水精頼んで出してくれた冷水が満たされていて、飲めば食事で火照った身体を冷やしてくれる。

 飲み干してほっと息をつきながら視線を向けると三人ともまだ食事の手を止めていなかった。

 ぼんやりとその光景を見ながら、満腹になった幸福感により緩くなった思考で今朝起きてからのことを思い返す。

 風呂や着替え、目の前に広がる料理や飲み物、それらを用意する為の食器。

 さらっと用意されていたから気付きにくかったけど、この世界って生活水準がかなり高いみたいだ。

 立派な建物に清潔な大浴場、綺麗な着心地のいい服やタオルに美味しい食事。

 しかも何か手伝うことはないか尋ねたら、やんわりと断られた。今はゆっくり休んだ方がいい、と言われ上げ膳据え膳状態だ。

 だからか、異世界に迷い込んだはずなのにリゾートにいるような錯覚に陥りそうになる。

 時折視界の端に水精がぷかぷか浮かんでいるのだけが、ここが異世界だと猛烈なアピールをしていた。

 でも何時までもシンとミアナさんに甘えっぱなしはまずい。

 そもそもこの世界がどういうところなのかも分かっていない。

 元の世界に帰れるかどうかも調べる必要もあるし、もしそれが叶わないなら自活の道を探るしかない。

 幸い、この世界について教えてくれる人達は目の前にいる。いきなり現れた俺達を助けてくれて、色々親切にしてくれた人達が。

 ……ああ、そうか。

 今更ながら、先輩の言っていた言葉の意味を理解する。


 異世界に迷い込んでしまったけど、俺達は本当に『ラッキー』だったんだな。



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