硬そうで柔らかい人との出会い
「気が付いたらここにいて、多分違う世界から迷い込んできちゃったみたいなんですけど、どうにか助けてもらえませんか?」
言ってから自分の失敗に気付いた。
会ったばかりの人間にいきなりこんな事言われたら、普通『危ないヤツだ』って警戒するよな。俺が逆の立場ならそうする。
普通に道に迷ったふりをして人のいる場所を聞くだけに留めればよかった。ここが道に迷って辿り着くような場所には思えないけど、それで押し通すべきだった。
いくら現地(?)の人に会えたからって、後先を考えなさ過ぎた。
そう悔みながら慌ててさっきの発言を取り消そうと口を開く。
けどその前に、
「――そうか、わかった。なら、まずはここから出るのを手助けすればいいのか?」
あっさりと救助要請が受諾され、俺は「へっ?」と間抜けな声を漏らしてしまった。
あまりにも滑らかな話の進み具合に、思わず相手の事を凝視してしまう。
身長は、男だった俺よりちょっと低くて男になった先輩より少し高いくらい。今の俺だと男の顎に頭突きをかましやすい身長差になっている。
さっきはパッと見でズボンや髪が黒だと思ったけど、今この空間の光源はかなり減っているからもしかしたら違う色なのかもしれない。ここの光源は青みがかっているし。
顔は、先輩が華やかなイケメンなら男は密やかなイケメンって感じだ。自分でもよくわからない表現の仕方だけど、顔面偏差値が高い事に変わりはない。
……なんで生きるか死ぬかの瀬戸際かもしれないのに相手の外見を観察しているんだ、俺。
そんなツッコミを脳内で入れていると、
「ん? ここから出たいのかと思ったんだが違ったか?」
「いえ、違いませんっ」
首を傾げた男に俺はぶんぶんと首を左右に振る。ここから出たいのは確かだし、上にしか出口がないのならこの人の助力が必要だとは思う。
男がただ上から落ちてきただけじゃなくて、戻る方法を持っているのはその言動から察することはできた。
でも、すんなり行き過ぎじゃないか?
「あの、さっきの俺の言葉信じてくれたんですか?」
違う世界から迷い込んできたって、確かに言っちゃったよな。それまで信じてくれたのか?
すると男は当たり前の様に頷いた。
「
『渡界人落ちてきた』って」
「アクエラ? とかいびと?」
聞きなれない言葉を何時の間にか隣に立っていた先輩が、疑問符をつけて繰り返す。
その瞬間、男の顔が「あ、やっぱり」って言っている様に見えた。
きっと水精や渡界人いうのはそれだけこの世界での常識なんだろう。それらを知らない俺と先輩のことを「やっぱり異世界人なんだ」と判断させるほどに。
気を取り直す為か、男は一度咳払いをして表情を改めると口を開きかけ――ては閉じるを繰り返した。何度目かで漸く言葉が紡がれる。
「渡界人は二人のような違う世界の人間を意味する。
水精は――、その、水精だ。すまない、上手く説明できない」
「大丈夫です大丈夫です。何となくわかりましたから」
眉を下げた男に先輩が両手を振りながら明るく応える。というか、先輩今ので本当に分かったのか? 俺は分からないけど。
そんな俺に男が「もう既に見たと思うけどな」と言いながら辺りを見回した。
「ここは水精の生まれる地だから」
男の説明に、ようやくピンとくるものがあった。というか他になかった。
「――あっ、もしかして青く光ってた玉のことですか?」
「そうだ」
俺の言葉に男が頷き、すっと背後を指さす。
つられて俺と先輩が後ろを振り向くと、目を覚ました直後みたいに床からまた大小様々な光球が次々と浮かんで――生まれていた。
すぐにこちらに近づき、また笑い声みたいな音を発しだす。
すると男が光球――水精たちにつられる様に薄く笑みを浮かべた。
「たまたま自分が一番近くにいたからここまで引っ張られてきたんだが、すごかったぞ。
『迷子みたい』『泣いちゃった』『出口探してる』『人探してる』『助け求めてる』と大騒ぎしながらこっちのことはおかまいなしに、ここに投げ込まれた」
「そっそれは何と言うか……」
話の流れから察するに、さっき天に向かっていった水精たちが男をここまで強引に連れてきたらしい。
しかも、俺の言動が原因っぽくて非常にいたたまれない。
反射的に頭を下げる。ほぼ同時に、隣で先輩も深々と礼をしているのがわかった。
「ご迷惑おかけしてすみません」
「でもありがとうございます。来てくれて本当に助かりました」
聞きたいことは山ほどあるが、まずは謝罪と御礼が先だろう。
示し合わせたかのように俺が謝罪を、先輩が感謝を口にした。
そのまま数秒その姿勢を維持し、先輩と同時に頭を上げる。
するとそこには、
「あ、いや。別に大して迷惑でもないし、そっちの方が大変だろうし、礼を言われるほどの助力が出来るか分からないからその、そんなに頭を下げられても……。
――と、とりあえずここから出よう。
詳しい話はそれからでも構わないか?」
さっきまでの落ち着いた様子から一変して赤くなっておろおろしている男の姿があった。
あ、この人いい人だ。
直感だけど、多分間違っていない。
最初は武器を持っていたから警戒してしまったが、「異世界から来た」なんて怪しさ満点の俺と先輩に対して当たり前の様に手を差し伸べてくれる。
硬い口調に反して、中身はかなり柔らかくて優しい人みたいだ。
仮にこれが演技で、俺たちは騙されていて、ここから出たら酷い目に合う――という可能性も恐らくは皆無だろう。
だって、水精たちが笑いながら男にまとわりついている。
泣いた俺を心配したり、思わず零した「助けてくれる人に会いたい」という願いを叶えてくれたりしたあの青い玉を俺は信じたい。
「はい、お任せします」
男の言葉に、俺は頷いた。隣でも先輩が頷いている。
「なら上に戻る為の準備をするから、少し待っていてくれ」
そう言うと男は俺たちから少し離れた。そこにたくさんの光球が集まっていく。
その光景を眺めながら、俺は少しだけ肩から力が抜けるのを実感した。
異常事態の連続で、正直そのほとんどが継続中だけど、その解決への一歩を踏み出せたと思いたい。
「先輩、ちょっと希望が見えてきましたね」
隣にいる先輩を見上げて笑いかける。と、何故か意地悪な笑みを返された。
「あれ、もう先輩呼びに戻っちゃうの?」
残念だなぁ、と続いた先輩の言葉に顔が熱くなる。
「さ、さっきは緊急事態だったからですよ!」
中学に入ったばかりの頃「なぎさちゃん」と呼んだらしばらく周囲にからかわれてしまった経験から、よっぽどのことがない限り俺は彼女を『先輩』と呼ぶと決めているのだ。
「今も緊急事態な気がするけど」
「それはそれ、これはこれです」
「じゃあ、せめてここにいる間だけでも敬語はとらない?」
「無理です。部活の時の話し方が染みついてますから」
「ケチ」
「不器用ですから」
所属している演劇部は意外と上下関係に厳しい。演技の中では先輩後輩なんてないからその反動だと思うけど、普段は体育会系の部活並みの厳しさだ。
確かにこんな状況で呼び方や話し方にこだわる必要性はないかもしれないけど、いつ元の世界に戻れるかわからないんだから油断しない方がいいに決まっている。
そんな俺の考えを読んだのかの様に、先輩は「それなら仕方がない」と肩をすくめた。
「案外すぐに帰れるかもしれないしね」
「えっ?」
あまりに楽観的な先輩の言葉に、俺は驚いて続きを促す。
「何を根拠にそう思うんですか?」
「ん? さっき彼が言ってたよね。
水精が『渡界人落ちてきた』と知らせてきた、って」
「そういえば、そんなことを言ってましたね」
同意すると先輩が嬉しそうに微笑む。
「そんな『渡界人』なんて固有名詞ができるほどここの世界は異世界からの来訪者がきているみたいだからさ。
それだけ異世界関係に慣れてるなら、もしかしたら元の世界に戻る方法も確立されているかもしれないって思ったんだけど」
「…………」
いや、さすがにそれは希望的観測が過ぎる気が……。でも、少しは期待してもいいかもしれない。
一度は詰んだと思った状況から脱することが出来たんだ。
今はその波に乗っても罰はあたらないだろう。
「先輩に言われたらそんな気がしてきました」
「でしょ?」
俺もまた口元を緩めて先輩を見上げる。そんな俺を見下ろす様に、先輩から大抵の女子が惚れそうなイケメンスマイルを返された。
「って、元の世界に戻れても男に戻れなかったらどうしよう!」
その笑顔が今の自分と先輩の性別を思い出させて、俺は深くうなだれた。
ほんのわずかな間だけど、性別が逆転していたことに対する違和感を忘れていた自分が嫌だ。
「原因がわからないからね」
「本当に、どうしてこうなったんですかね」
「まぁまぁ。
これも何とかなるよ、きっと」
「……そうだといいですけどね」
性別が変わったことに関しては根拠のない、けど前向きな先輩の言葉につられて顔を上げる。と、丁度準備が出来たのか水精たちが左右に分かれて道をつくり、その奥で男が右手を上げていた。
「あっ」
そこで漸く俺は男に会ってから失念していたことに気付いた。
「あのっ、そう言えば自己紹介とかまだでしたよね」
男に近づきながら互いに名乗らないまま話を進めていたことを告げると、向こうも「そうだった」みたいな表情をする。
ちょっとタイミングがおかしいかもしれないが、俺たちは今のうちに名乗り合うことにした。
「俺は神井間依澄っていいます。名字がカミイマで名前がイズミです」
「私は星川なぎさです。こっちでは名前が先ならナギサ・ホシカワになりますね」
俺と先輩の自己紹介に頷きを返し、自分の番になった男はすっと背筋を伸ばした。
そして、
「シン・エラン。この上にある水精の社で護持を務めている。
シンと呼んでくれ」
男――シンはエランが家名だと教えてくれた。
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