第770話 商習慣の競争優位

「でも、聖職者様に贈りものをするって大変でしょ。あたし達のところで造れるかなあ」


と、サラが心配するように聖職者向けに高級品を作ると言っても、靴工房の職人達に贅沢品は作れるのか、という実現性の問題が立ちはだかる。


「あたしは凄く綺麗にできてると思うけど、司祭様とかは凄く高い品物も持ってそうだし・・・」


「そうだな。あとは贈り方の問題もあるな。庶民がただで送りつけるのも面子にかかわるだろうしな」


「そうですね。教会と利権で結びついている、と見なされるのは良くありません。販売という形が良いでしょう」


若い聖職者のアドバイスに従い、教会の敵対派閥から賄賂と見なされないよう、一応は販売するという形にする。


「そこは靴と同じだな。良い材料を使い、装飾を施して綺麗な箱に詰める。それで何とかなるだろうさ」


単なる木材のブロックの切り出しでなく、高級材を磨きこんで金銀の縁取り飾りをつけ箱に詰めたりと精一杯の付加価値をつけて高級品の販売という体裁をとる。


「ですが・・・手はかかりますよ」


高級品市場というのは厄介なもので、金払いは良いが独自の美意識や商習慣が立ちはだかる。

顧客は贅沢と尊重されることに慣れているので、品物だけ送りつければ良い、ということにはならない。


例えば相手が店に来てくれることはないので、販売員が訪問するのが普通である。

そして販売員は若く見た目が良く教育と教養が行き届いており、出自も確かで礼儀作法も弁えていないとならない。

品物の支払いをする際にも目の前で金貨をやり取りするような野暮な真似はせず、出納の担当者から後日に支払われるか、時には高価な品物で支払われることもあったりする。


迂遠な商習慣に見えるかもしれないが、理由はある。

販売員に出自や礼儀作法を求めるのは快適な購買体験を提供する理由の他に、盗難や治安といった安全上の現実的な理由がある。

支払いを後日に品物で、というのも信用なしに換金が難しい商品を介することで盗難を防ぎ、さらに美術品の市場を生み出し後援する職人や芸術家を保護する、という目的がある。


このように高級品の市場には他所からは見えにくい「参入障壁」があり、それが既得権となって市場を守っているわけだ。


「まあ、うちの職人達ならできるだろう。聖職者に限ってだが」


「教会に一括で送るのであれば問題ありませんね」


クラウディオが力強く請け負った。


そう。

実は、うちの工房では対応できるのである。

聖職者から派遣されている人間が身内にいる、ということもあるし教会を通して枢機卿へ定期的に靴を納品しているおかげで、聖職者向け高級品についてだけは、そうした暗黙の商習慣について街の一介の工房としては信じられないほどに詳細なノウハウが蓄積されている。

大手の取引先を持つと大手の取引先の商習慣に関する情報が手に入る。

これは成長したい企業にとって非常に大きな利点である。


「とはいえ、守るべき順番はあります。ニコロ司祭様に最初に贈らないと、あの方はヘソを曲げるかもしれませんね」


と、若い聖職者は釘をさした。


「そうだな。肝に命じよう。最初の贈答品はニコロ司祭に贈ることにするよ」


あの怜悧で人に無茶な仕事を振るのが生き甲斐のような高位聖職者にヘソを曲げられたら、今度はどんな無茶を押しつけられるのかわかったものじゃない。


それからは、ゴルゴゴや職人を交えて贈答用ゲームの改良点について幾つかの打ち合わせをした。

主な改良点としては、道路と下水管ブロックの厚さを薄くすること、店舗や家屋のブロックの最上階は屋根の形状になるよう傾きを加えること等の「街として出来上がったときの見栄えを良くする」点に集中した。


「それで・・・規則集はどうしますか?」


「そうじゃな。印刷をするのも良いがちと字が多くなりそうじゃな」


クラウディオの言う「規則集」とは、いわゆるルールブックのことである。

このゲームのルールは未だ固まっているとは言い難い。

というのも、全く新しい形式のゲームであることと、そもそも教育目的で作成したものなのでルールを理解できたら一段難しいルールを導入する、という段階的な方法を取り入れているため静的なルールブックが適さない、という問題がある。


これは製品としては大変な欠陥で、売った後の手離れが大変に悪いことを意味する。


想像してみて欲しい。

単価が大して高くない製品を売った後で、顧客から何度も問い合わせやサポートが要求される光景を。

しかも相手は大物で呼び出すのが当然と思っており、こちらが断るなど思いもよらないわけで。

ビジネスにとっては人件費と時間の赤字がひたすらに嵩んでいく悪夢である。


「いや、これはこのままでいく。これでいいのさ」


しかし、このゲームの販売に際しては「余計な問い合わせ」こそが手段であり、目的なのである。


それにしても、ニコロ司祭がこのゲームをプレイしてどんな感想を抱くか。

少しだけ楽しみでもある。


「それで、このゲームは何という名前にするんじゃ?」


ゴルゴゴに問われて、正式な名前を決めていないことに気づいた。

身内では単に「開発ゲーム」「ゲーム」と呼んでいて、聖靴通り開発シミュレーション、という黒板に最初に書かれた長ったらしい名前で呼んでいる人間はいない。


「聖靴通り、だな」


「えーっ!なんかもう少しないの?」


「うむ。あまりセンスは感じないの」


「そのままですね」


周囲の評判はいまいち。

そのまま、である。

しかしこのゲームの販売目的からすると、それが合理的なのである。

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