第714話 引き継ぎの問題

ニコロ司祭が街に戻れという。


街での印刷業に関する利権調整が終わったということか。

全員に関係することなので、執務室に呼び集めて意見を聞くことにする。


「他にも、いろいろと報告を求められると思いますよ」


などとパペリーノが不吉なことを言う。


「それにしても、すぐに戻るというわけにはいかないな」


「その点は同意します」


「ねえ、ひょっとして鶏は置いてかないとダメなの?」


「そうだな。街で飼う場所はないな」


置いていくように言うと、サラがあからさまにシュンとする。


そもそも、あの鶏は領地を製粉業で振興する際に出る、ふすまを餌にして養鶏業を興すための種なのだ。

街に持ち帰るのは、そもそもの目的に反する。

しかし、あの産みたての卵に魅力を感じるのはわかる。


「まあ、1番(つがい)ぐらいなら持ち帰ってもいいか」


「ほんと!?あたし、ちゃんと世話をするから!」


サラが飛び上がって喜ぶのだから、多少の糞と羽ゴミぐらいは我慢しよう。

街でも2羽ぐらいなら工房の中庭で何とか飼えるだろう。


「とりあえず人員だな。街に戻る、となると自分とゴルゴゴは必ず戻る必要がある」


「あたしはケンジと行くわよ!」


「自分は団長の命に従いますが、護衛は続けたいと思います」


サラとキリクはついてくる、という。


「となれば、自分は残らざるを得ないでしょうね」


パペリーノが残留を申し出る。


「すまんな」


この領地で文書の管理を実質的に担当していたのはパペリーノだ。

入れ替えで後任を誰を寄越すにせよ、彼がいなければ引き継ぎが行えないのは明白だ。


「街からは・・・そうなだ。リュックとロドルフを寄越すか」


事務所に残してきた剣牙の兵団からの出向組である2人は、商人と貴族の出身だ。

領地の振興と切り盛りは良い経験になるだろうし、ある程度の武力もある。

キリクが抜けることで低下する防衛力の補填にもなるだろう。


「キリクは、ここに残ると思ってたわ。子供たちと、すごく楽しそうに釣りをしてたじゃない」


「あいつらも可愛いんですがね、街に馴染みの女がいるんで、そろそろ顔を見せとこうかと」


初耳だ。いや、思えば街にいるときも夜になると、そそくさと事務所を後にすることがあった。

あれがそうだったのか。


「まさかとは思うが、この領地で女の問題は起こしていないだろうな。後から父親を探す農婦が出てきたら、責任は取らせるからな」


「よして下さいや、そんなヘマはしませんよ」


キリクについて言うなら素性はハッキリしているし、剣牙の兵団の一員として十分に甲斐性もある。

だが、今後の領地開発で不特定多数の作業員や技術者、船員などが出入りするようになると、この種の問題が出てくるかもしれない。

当人同士の問題と片付けることはできるかもしれないが、代官としては弱者である村人を守らなければならない。


「・・・まあいい」


とりあえず人事については片付いた。


だが、本当の問題は、ここまで進んだ村の改革事業をどのように継続、管理するか、だ。


街と領地の距離はせいぜい数日の距離だが、怪物の脅威があるため街間商人に同行する形でなければ移動できないし、直接の状況を目で確認できないのは統治の難易度が上昇する。


「靴工房と同じようにはできないんですか」


「あちらは軌道に乗っているからな。こちらとは状況が違う」


靴工房の状況については、管理すべき項目は少ない。

靴の製造数と不良率、原価と販売価格を見ていれば大体の状況がわかる。

あとは従業員の勤怠率か。


もっとも、細かい不満は掬い取れないものだから、街に戻ったら全員の話を聞いてまわる必要がはある。


「だが、ここの統治を街から管理するのは、相当に難しいと思う」


領地には幾つもの解決すべき課題がある。


出稼ぎ農民の生活向上と再建、元の村人の栄養状態改善と豆畑の支援、双方の住民の融和と利権の分配、村人たちを来るべき製粉業振興に向けての教育と貨幣経済の習慣の導入、出身冒険者の呼び戻しと伐採支援等々、数値で管理できない問題ばかりだ。


「少し、時間が欲しいな。2、3日しっかり考える必要がある」


こちらの提案にジルボアは「それくらいならよかろう」と頷いてくれた。


「戦わなかったとはいえ、かなりの強行軍だったからな。団員達も少しは休ませる必要がある」


ふと気になって尋ねる。


「ところで、どこに滞在するつもりなんだ。屋敷か元村長の家もあるし、各家に分宿してもらってもいいが。食事は小麦と豆しかないが、それで良ければ支給しよう」


剣牙の兵団の連中は、肉体を維持するために大量の食事を必要とする。

街にいるときには団員達は贅沢に肉を食らっていたが、この貧乏領地ではそれだけの食材を物理的に用意できない。


「それなら、心配は無用だ。もう少ししたら輜重隊が来る」


輜重隊。つまり輸送のための兵だ。


「そんな連中までいるのか」


それはもう、軍隊ではないのか。


「最近は遠征も増えたからな。武器は消耗するし団員達は大飯ぐらいだ。必要にかられて、さ」


何でもない思いつきのように軽く肩をすくめてみせるジルボアに、この男にできないことなどないのでは、と思えてくる。

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