第695話 労働者を派遣しよう

出稼ぎ農民の子供たちがキリクの活躍もあり村の生活に馴染んでいく一方で、出稼ぎ農民の大人たちは別の方面で村の生産力向上に貢献していた。


すなわち、各農家の庭の開墾である。


◇ ◇ ◇ ◇


その日も、ある農家の庭は人手で埋め尽くされていた。


さして広くもない庭に、10人からの男たちが来たのだから、混み合うのも当然と言えよう。

だが男達は慣れた様子で1人1人で声を掛け合って、整然と作業を開始する。


「おうし、まず1班はでかい雑草を抜いていけ。2班は鍬と鋤で土をひっくり返すぞ。3班は石を拾っていけ」


「「おう!」」


農家の庭といっても、税が取られることを嫌い放置されてきた土地である。

虫が家に入らぬよう、周囲は多少は刈られているものの基本的には荒れ地と変わりない。


税の重さに割り当てられた小麦畑を耕すのが精一杯であった農家に、土地を美観のために整備する労力はなかったのだ。


そこを派遣された出稼ぎ農民の大勢の男達が解決する。


人海戦術というのは偉いもので、ただの荒れ地に過ぎなかった庭が、ほんの数時間で耕作可能な土地になる。

庭の隅には抜かれた雑草と、取り除けられた小石が積まれることなる。


あとは灰を撒いたり腐葉土などの土作りがあるわけだが、それは各農家の工夫の範囲であるし、それほど大量の人手が必要なわけでもない。


「それじゃあ、俺達はこれで。あとで小僧が確認に来るんで」


それだけを言い、去っていく出稼ぎ農民の男達の後ろ姿を、農民は呆けて見つめていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「領主様!確認してきました!」


駆け込んでくる連絡役の子供(クロ)の報告を元に、地図上の農家に印をつける。


「これで9軒目か。順調、かな?」


「そうね。やった分だけ報酬が増えるからやる気もあると思うのよね。子供たちが頑張ってるから大人だって負けてられない、って思ったのじゃないかしら」


キリクの指導で村の子供達は毎日が釣りやら運動やらで、日に日に元気に、逞しくなっている。

子供達が元気にしていれば、大人たちも尻を叩かれる気分になるだろう。


人間の集団というのは面白いもので、出来る人間が頑張っても組織全体の士気が上がらなかったものが、一番下と見られている人間が頑張りだすと、途端に全員の士気が向上したりする。


「あとは、農具の貸出があるのも良かったんだろうな。教会や代官の屋敷で腐らせておいても何にもならんしな」


接収した元代官の屋敷には、多くの農具もあった。

どうやら必要最小限の鉄製の農具の所有を農民に禁止し、必要な時期に貸し出すことで小銭を稼いでいたらしい。


「いじましいというか、なんというか・・・」


それを知ったときは前代官の狡さに思わず絶句したものだ。

そんなことをして領地の農業生産を減らしてまで、農民から税を絞り上げていたわけだ。


「でも全員が鉄製の農具を持ってるって凄いのよ?だからあっという間に済んでるんじゃない?」


いかに人数が揃い、報酬でやる気を喚起していたとしても、道具がなければ効率は上がらない。

逆に言うと、そこまで環境を揃えてやれば代官としては進捗を見守り、状況を確認していれば良い。


ようやく回り始めた農村の状況に、少しだけ安堵のため息を吐いた。


「代官様、農家の方が代官様に会いたい、と言ってますが・・・」


玄関脇で控えていた連絡役の子供が、執務室に入ってくる。


「またか。通してくれ」


うまく回り始めたと思えばこれだ。

事業を立ち上げる時とは別種のトラブルが持ち込まれてくる。


「それで何かな?」


渋面でペンを動かし続ける聖職者の様子に怯えたのか、おどおどとしつつも領民の男が訴えてきたのは、自分の庭の開墾の順番についてらしい。隣の家が開梱されたのに自分の家が後回しにされるのは不公平だ、ということらしい。


「お前のところは、たしか最初は人手は不要ということではなかったか?」


レンズ豆を配布した際に、開墾のための労働力派遣について質問と記録をとっている。

それによれば、この男の家では労働者の派遣を断っていたはずだ。


「いえ、ですがその・・・やっぱり助けてもらえると助かるんで」


「・・・まあ、いいだろう。そうだな。10日もすれば派遣出来るようになるだろう」


「ありがとうごぜえます!」


当初は出稼ぎ農民が信用ならない、と派遣を断っていながら、後から申し込んできたのは、これで8件目になる。


「なんというか、変わり身の早いものですね」


羊皮紙の記録を修正しながら、パペリーノがこぼす。

状況に応じてコロコロと態度を変える信念のなさは、聖職者からすると許せないものらしい。


「まあそういうものだろう?誰だって人が得をしているなら、自分だってと思うものさ」


人間というのは基本的に保守的なものであり、また欲深な存在である。

それは良い悪いという善悪の次元で判断するものでなく、生き物として自然の状態であると思うのだ。

その水が高きから低きに流れるが如き自然な性質を曲げようというのは偉大な宗教指導者や聖職者の仕事であって、代官の仕事ではない。


「心情はどうでも、全員が受け入れてくれれば開墾も進む。結果が出ればなんだっていい」


「ケンジは、こうなるって思ってたんでしょ?」


「多少はな。確実ではなかったが」


人の集団を動かそうと思えば、声を枯らすのではなく誰かが得をしている様子を見せることだ。

100の言葉より1の利益。遠くの英雄より近くの隣人の成功を見せる。

そうすれば「俺だってやれる」とやる気になる。


「とにかく、全員がやる気になれる仕掛けを考えるのが代官の仕事だ。あとは皆が頑張ってくれる」


「あたし、税を集めるのが代官様の仕事だと思ってたわ」


「今の領地に複雑な税は要らないさ。製粉所を建てれば、また別だがな」


「すると代官様は、将来の税体系についても検討されるということですか」


パペリーノの指摘に、頭を抱えたくなった。

また自分で仕事を増やしてしまった気がする。

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