第696話 街工房の暗闘
3等街区の夜は暗い。
明かりを灯すには油が必要であって、一般の家庭には高価なものである。
そのため庶民や貧乏人の住居が集中する三等街区は、衛兵が警備する街区を隔てる門や夜中まで営業している酒場をのぞくと全くの闇が広がっている。
そうした暗闇の3等街区の中でもハズレにあたる地区へと近づいていく少数の集団があった。
奇妙な集団である。
格好こそ職人のようであるが、鼻をつままれてもわからない闇の中を声や足音を立てるわけでもなく、苦もなく一定の距離を保ちつつ前の人間に続いていくのだ。
そうして男達は足をとめる。
「情報どおりだ」
低い声で先頭の男が囁いた。
普段は屈強な傭兵団が警備についているはずの通りの門に人が見当たらない。
上の方で宴席をもうけて警備の人間を引き剥がす、という策はうまくいったらしい。
一流クランだ、英雄だ、などと言っても所詮は身分の賤しい傭兵に過ぎないことがわかる。
男達は頷き合うと奥まった通りの中でも、一際大きな建物の外壁に忍び寄る。
正面玄関は流石に厳重に施錠されているが侵入口については見当をつけてある。
1人の男が壁に手をついて立つ。
次の男が飛び上がり、男の肩に立つ。
そうして出来上がった即席の階段を伝い、天井近くの明かりとり用のごく細い窓から目当ての工房の中へと抜群の柔軟性を生かして滑り込むように男達は侵入を果たした。
身長の倍近くの高さから固い床に飛び降りたというのに、誰一人足音も立てない。
それが男達の異常な練度を示している。
ときに政敵や貴族の屋敷への侵入も任される男達にとって、たかが街工房への侵入など容易いものだ。
依頼のものを捜索するべく男達は真っ暗な工房の各所へと散っていく。
仕上げに火をかけてしまえば、何が起こったのか知ることのできるものはいなくなる。
3等街区とはいえ、あまり派手に延焼させると問題になるから、部下達には、ほどほどに手加減しろ、と伝えておかねば。
奥を捜索している部下達が派手に引き出しをひっくり返す音が響き、男は眉を顰める。
どうせ焼き払うにしても、もう少し慎重を期して音を抑えるべきだ。
そうでなければ、どこかで致命的なミスをすることになる。
戻ったら再訓練が必要だ。
その瞬間。
男は飛び退(すさ)った。
考えての動きではない。繰り返した訓練と直感と反射神経が、男の命を救った。
ほんの数瞬前まで男がいたはずの空間を、何か質量のある物体が過ぎ去ったことを風圧で知る。
「ほう」
誰もいなかったはずの場所に、長身の男が立っていた。
「鼠にしては、なかなかの腕だ。それともどこかの蛇か?」
待ち伏せされていた!
男は無言で腰の短剣を抜く。
目の前の男からは尋常でない圧力が吹きつけてくる。
まともに戦えば勝機はない。
だが、目の前の男の得物は両手剣だ。
切っ先を引いた構え方を見るに、斬りつけるよりは突きを得意としているのだろう。
あれだけの得物を振り回せば工房の壁や作業机などが邪魔になる。
合理的な剣術であり、合理的な判断だと言える。
そして、この際はその合理的な判断につけ込む隙がある。
最初の突きを躱して肉薄すれば長いリーチは逆に枷になる。
避ければ、生き残れる。
初撃の回避に全力を注ぐため、男はわずかに腰を落とす。
すると、長身の男の構えが変わった。
剣を抜かず鞘にいれたままで握り幅を広くとり、右手を剣の柄に、左手は鞘の半ばを握る形にして、剣を体と平行にこちらへ突き出した。
「・・・なんのつもりだ」
まるで杖術の構えである。あれでは咄嗟の際に剣を抜いて斬りつけることもできないだろう。
時間稼ぎ、という言葉が男の頭に浮かぶ。
待ち伏せをされた以上、今日の侵入は読まれていたことになる。
長身の男の仲間たちが駆けつけてくるのか。
そういえば散ったはずの部下達も戻ってこない。
「なに、ここは知人の家なのでな。蛇の血で汚すわけにもいくまい?」
人を喰ったような男の言葉に頭に血が上りかけるのを自制し、懸命に活路を数瞬検討して結論を出す。
この男を倒す。そして奪った剣を壁際で足場にして進入路の窓から逃げる。それしかない。
狙いは"指"だ。
得物のリーチに差があるので体を狙うことはできない。まずは剣を握る指を攻撃する。
怯んだところを首筋を狙ってもいいし、反対側の手首の内側を切り裂くのもいい。
「いい構えだ」
長身の男の言葉が、やや上から降ってくる。
そうして余裕を持っていられるのも、血が吹き出すまでの間だ。
首筋から吹き出す血を懸命に手で抑える人間の、死を前にした絶望的な目を、男は何度も目にしてきた。
短剣には毒も塗ってある。
低い姿勢から目を狙って飛び込み、反射的に顔を庇ったところの指を狙う。
背後で、かたん、と音がして長身の男の目が一瞬逸れる。
もらった!
体で飛び込みながら短剣の切っ先を高速で動かし、目から指へと斬りつける!
男の意識は、そこで衝撃と共に闇に消える。
最後に男が感じたのは、確かに相手をとらえたはずの短剣に手応えが一切感じられないことへの疑問だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うわっ。副団長、これまた派手にやりましたね」
近づいてきた剣牙の兵団の団員が、壁に叩きつけられた男に目をやって顰(しか)め面をする。
即死でこそないものの、顔面から胸骨にかけて広範囲の内出血と、一部は陥没骨折も起こしているように見える。
早急に手当をしなければ死ぬだろう。
「逃げに回られると面倒そうな相手だったんでな。罠をしかけてカウンターをしたら、綺麗に入りすぎたか」
スイベリーは、構えた瞬間に相手の狙いがこちらの指にあることがわかった。
リーチに差がある場合、そもそも攻め方にバリエーションは少ない。
だから敵が狙いやすいよう、防御に回るふりをして相手の前に手を出した。
相手が手を狙ってきた。それを叩き返した。それだけだ。
「それにしても、普通にやったんじゃこうはならんでしょう?何をしたんです?」
「ちょっとぶちかましただけだ」
「あー・・・副団長のブチかましって、ホブゴブリンをひっくり返すやつでしょう?人間に使う技じゃないですよ」
ブチかましという体当たりの技は、格闘技で最も衝撃力のある技の1つである。
長身からくる素早さと十分な体重の載せられた踏み込みと同時に、スイベリーの鍛えた腕力で平行に突き出された剣の衝撃力は、2メートルを超える体躯の怪物(ホブゴブリン)をひっくり返すだけの威力がある。
それを普通の人間が、しかもカウンターでくらったらどうなることか。
壁に叩きつけられた男の全身の状態が、その結果を物語っている。
「手加減はした。だから生きているだろう?これから連中には背後関係を吐いてもらう必要があるからな。お前らも殺してないだろうな?」
スイベリーが鋭い視線を向けると、団員は慌てて目の前で手を振った。
「大丈夫ですよ、なんだかチョロチョロして鬱陶しいやつらでしたが、魔狼に比べればなんてことない奴らでしたし。けが人もでてませんよ」
「ならいい。連中は事務所に運んでおけ。あとは団長がうまくやってくれるだろう」
印刷業とやらのためにケンジ達を送り出してから靴工房が襲撃されるのは3回目になる。
聖職者やら貴族様やらの相手をするならば、ただ叩きのめして終わりというわけにはいかない。
生かしたまま捕らえ、上の人間からしかるべく圧力をかけてもらうことで初めて依頼を達成したことになる。
街で生きると決めたのは自分だが、なんとも面倒くさいことだ。
スイベリーはため息をついて長大な両手剣を背負い直すと、団長に報告をあげるため靴工房をあとにした。
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