第681話 伝令官の自負

日が傾きかけた大きな屋敷の一室にて。


痩せっぽっちの子供が、怖そうな大人を相手にして、一生懸命に話しかけていた。


「明日、大きな豆を配ります!来てください!」


「ああん?誰だおめー?」


ギロリと睨みつけられて子供は思わず涙目になりそうになったが、ここで退くわけにはいかない。

彼の小さな肩には、幼い弟妹と母の暮らしがかかっているのだ。


負けるわけにはいかない。

彼は、ともすれば下がりそうになる自分の両足を心の中で叱咤すると、より大きな声を出すために腹に力をいれた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


時は少しだけ遡る。


小さく深刻な卵紛争を経て、穏やかな食事も終わり、豆の配分政策についての議論が一段落した頃、遠慮がちにドアノッカーを鳴らす来客があった。


立ち上がろうとするサラを制して、玄関まで迎えに行き、両開きをドアをあけると子供が3人立っている。


「ああ、ええと・・・」


「働きにきました!」


中の1人が真っ直ぐにこちらを見てと大きな声で挨拶をしてくる。


なかなか元気でよろしい。


「なあに?お客さん?」


後ろからついてきたサラが、ひょいと肩越しに顔を覗かせる。


「ああ。これから連絡役で働いてもらう子たちだ。そうだな・・・ちょっとそこで待つように。サラ、頼めるか?」


「はいはい、じゃあ僕たち、庭の井戸まで来てね。キリク、手伝って!」


自己紹介の前に、泥だらけの裸足で屋敷にあがらせるわけにはいかんのでね。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


少しして、井戸の水と石鹸ですっかり洗い上げられた3人の子供達が応接室に連れられてきた。


見たところ10歳か、もう少し上ぐらいの男の子たちだ。

全員が痩せっぽっちで、日に焼けて真っ黒でで、ただ髪の毛が赤毛、黒毛、茶毛との違いがある。

最初に見た時は、土埃の汚れでわからなかったが。


今は、こちらで用意した短衣を着せて革のサンダルを履かせているので、少しだけマシな格好になっている。

いろいろ説明をしたいことはあるが、ガチガチに緊張した顔を見て、それはやめた。

たぶん、何を言っても耳に入らないだろう。


「とりあえず、飯にするか。豆のスープ、余ってるよな」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


木製の器に運ばれてきたレンズ豆の煮込みが入ったスープを、子供たちは親の仇のようによく食べた。


最初は卓に置かれたスープを前にして遠慮する素振りを見せていたが、空腹には勝てなかったのか。

一人が匙を手にして啜りだすと、やがて競うように掬い始めた。


「お代りしてもいいわよ?」


サラが優しく語りかけると、地上で天使に巡り合ったように目を輝かせる。

このぐらいの年頃だと、色気より食い気なわけで、ご飯をくれる人は誰でも天使に見えるのだろうが。


それにしても、よく食べる。

あの年代の胃袋に穴が空いているような食欲は、見ていて微笑ましい。


「食べながらでいいから、聞いてくれ。自分はこの領地を預かることになった、ケンジという。いや、頭は下げなくていい。


代官として、私はこれから大勢の人にいろいろと伝えなければならないことがある。だが、領地は歩いて回るにはそこそこ広いし、私も忙しい。


それで、君たちには私が言ったことを走り回って村中に伝える仕事を任せたい。要するに、代官の声であり、舌になること。それが仕事だ」


匙を右手で握ったまま、曖昧に頷く子供たち。


たぶん、内容は半分もわかっていないのだろうが、今は別に構わない。


わかるまで、やるのだから。


◇ ◇ ◇ ◇


食事を終えて満足した様子の子供たちを別室に移動させて、さっそく始めることにする。


「あ・・・あの、おいら達、何をしたらいいんですか?」


黒毛の子供が、不安な色を隠せずに聞いてくる。


「なに、ちょっとした練習だ。伝言役はミスがあったら困るからな。こちらが話したことをキチンと伝えられるか。実際にやってみないとな」


「なんだ!そんなの簡単だよ!」


「ばかっ!簡単なわけないだろ!」


茶毛の子供がホッとしたように大声を出したのを、赤毛の子が慌てて止める。


「まあ、簡単かどうかはやってみればわかるさ。キリク、頼めるか」


「ええ、任してください。なあに、連絡役の仕事ってのは団長に叩き込まれましたからね。きちんと仕込んでみせますよ」


ニヤリと無骨な笑顔をみせ、ゴキゴキと指を鳴らす傭兵団の腕利き護衛の姿は、子供たちには少し刺激が強いようだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


自信がある、ということで任せた伝言役の練習は、どうも何かのスイッチが入ったキリクによって伝令役の訓練と化していた。


キリクの前で3人の子供たちは真っ直ぐに背を伸ばし、腕を後ろに組んで一列になって立ち傾聴する姿勢を保つ。

立つ姿勢から訓練するのは、どうかと思うのだが。


キリク教官の指導は厳しい。


「いいか!伝令の仕事、まずは声だ!蚊の鳴くような声じゃ伝令の意味がねえ!声を出せ!」


「「「はい!」」」」


「声が小せえ!もっと腹の底から声を出せ!」


「「「はい!!!」」」


「よし、俺が村人の役をやる。お前は代官様の命令を受けた伝令だ。俺を村人と思って話しかけろ!よし、黒毛、お前からだ!」


指名された子供が一歩前に出て、懸命にキリクに話しかける。


「代官屋敷から来ました!明日の朝、豆を配布します!」


「ああん?おめー誰だ?」


「はい!コロといいます!」


「んで、豆ってなんだ?なんで配布すんだ?」


「ええと・・・なんででしたっけ」


途端に挙動が怪しくなり、助けを求めて視線が泳ぎだす黒毛の子供。


そうだよな、一応は説明したけど憶えてないよな。


「ほら、ええと・・・すっげー豆なんだよ!でっかくてすげえ豆!」


茶毛の子供の小声のアドバイスは、間違ってはいないが、丸聞こえである。


「豆!すごくいい豆なんです!」


「ほう?んで、なんで豆配るんだ?また後で税をとるんだろ?」


「いえ、取りません!代官様は税をとったりしません!」


いや、取るから。税をとらんとやっていけないから。

うそはいかん。



こうして冒頭の場面まで戻るわけである。


キリクの厳しい伝令教育は、日が落ちるまで続いた。

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