第682話 偵察行動

その夜のこと。


「どうだい、あいつらは」


「まあ、仕込み甲斐はありますがね。少なくとも根性はありそうです」


キリクのおっかない顔で怒声を浴びて泣き出さないんだからな。

10歳かそこらといえば、実年齢は小学生でしかないわけで、俺が子供の頃なら泣き出していただろう。


「あとは、飯を食わせておいたのも良かったんでしょうね。体力は続きましたしね」


昼から午後一杯、キリクの訓練を受けたのだ。

大きいとはいえ部屋の中で、ひたすら真っ直ぐに立ち続けることから始まって、腹の底からデカい声を出すなど、意外とシステマチックな形式の訓練をしていることに驚いたものだ。


「あの訓練は剣牙の兵団の訓練なのか?」


「そうですね。戦場だと声が通りにくいですから、でかい声が出せるってのは、うちでは必須の技能です。兵団の戦闘は集団戦闘がこなせないと話になりませんからね。剣盾兵の連中と連携して斧槍を打ち込んだりとか、弩兵が装填時間を知らせたりとか、とにかく声を出すんですよ。そうでないと、味方を切ったり撃ったりしちまいますからね」


たしかに、剣牙の兵団のように集団が有機的に動くには訓練とコミュニケーションが必須だろう。

ハリウッド映画などでも、戦争の場面では兵士たちはひたすら怒鳴っているような場面が多いのには理由があったわけだ。


「あとは、自分も団長と副長には、ずいぶんとしごかれましたからね。伝令ってのは団の目であり耳である、と。怪物の種類や数を見間違えれば、団員の負傷や死につながるってんで、見たものを数えたり、言葉にしたりとか、絵なんかも描かされましたかね」


なんというか、キリクが背中を丸めて地面に絵を書いているところなどを想像すると笑ってしまう。


「いや、笑い事じゃないですぜ。それと、あのガキんちょ達、根性はありますが字が書けないんで。今は問題ないですが、将来的には困りますぜ」


「将来か・・・」


本来は子供たちに字を教える必要があるのだろう。

だが、そうしたことに費やす人的資源は、この領地にはない。


「本来は教会の方で、出来る子供をすくい上げるべきなんだろうけどな」


「そうですね。私も、その口でした。教会の方で、司祭に余裕があれば子供たちを集めて簡単な字や数字については教えるのです。ただ、今の教会にそれは難しいでしょう」


パペリーノが言うように、教会では多くの出稼ぎ農民達が寝起きしている状態だ。

女達に報酬をやって定期的に清掃をするようにしてはいるが、集団で暮らすということにはトラブルも多いだろう。

複数の村から来た者達には派閥もあるようだし、そうした仲裁の面倒をみるのに教会の司祭が振り回されているであろうことは想像に難くない。


「それに印刷業に関わる綱引きが落ち着けば、数ヶ月後もすれば街に戻る必要もあるだろう。教えはじめてすぐに、じゃあ、と去っていけば、せっかく築いた信頼感が台無しだ」


教育というのは継続性が大事だ。よく考えずに中途半端にやるのではなく、きちんと考えて進めたい。


「それに、まずは食えるようになることが大事だ。腹が膨れるまでは、こちらの言うことは届かないだろう」


そう言うと、パペリーノも暗い顔で頷く。


俗に米百俵などと教育投資の重要性が言われることがあるが、それは社会に教育の重要性に関するコンセンサスがあり、育成した人材の活躍する行先がある場合に限られる。


もちろん、これからの領地開発や靴の工房を拡大するのに教育を受けた人材はいくらでも必要だが、今の領地の村人たちに、それが理解されているとは言えない。


教育の重要性を説いたところで、お貴族様が道楽を始めた、としか映らないだろう。

親の気持ちがそうであれば、子供がお義理で通うだけになる。

それでは困る。


「ですが、どうします?字が書けない、おまけに村のことも知らない。そいつらに伝令役が勤まりますかね?」


工夫については幾つかアイディアはあるが、キリクには指揮官としてもう一段頑張ってもらいたいので、敢えて問うことにする。


「キリク、お前が団長だったらどうする?」


「団長はちょっと・・・あの人は神様みたいなものなんで」


キリクが鼻の頭を指で掻きながら答える。


たしかに、ジルボアは例として適当じゃなかったな。

もう少し凡人を例にとらないと。


「要するにキリクが指揮官で手持ちの兵が、あの子供たち3人だけだとする。戦場はこの村だ」


戦場と例えられれば、キリクにも勘が働くものらしい。

キリクの野性的な風貌に、自信ありげな挙措が蘇る。


「なるほど、まずは偵察ですな。死なない戦場なら、ひよっこ達を鍛えるのにはちょうどいい」


などと指を鳴らしはじめたものだから、明日からの訓練を受ける子供たちに少しだけ同情した。

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