第675話 若き聖職者の錯覚

一通りの話を終えて教会を出る。

心なしか来たときよりも周囲から向けられる視線に柔らかさが加わったような気もする。


「ケンジの優しさは伝わってるから大丈夫よ」


「・・・別に優しさで判断しているわけじゃない。領地経営の効率を考えれば、これだけの人数を遊ばせておくわけにはいかないし、衛生面にも気をつけないと病気が発生しかねない。今なら銅貨と石鹸で済む」


「そうね。じゃあ、どうして子供達とか女の人に仕事の話をしたの?」


「それは私も不思議でした。代官様は、あの3人の者達に代表者を決めるように言うものとばかり思っておりました。代表者が決まれば、あとの仕事の割り振りなどを任せることができるでしょうに」


サラやパペリーノが不思議がったように領地の統治に手が足りない現状を勘案すれば、代表者を決めて任せるのが最も楽な方法だろう。


「今は、まだそこまで彼らを信頼できない」


代表者を3人出してきたことからして、出稼ぎ農民達の綱引きは、かなり複雑なことになっているのだろう。

そんな状態で1人の代表を無理やり決めてもまとまらないだろうし、まして報酬や食料の配分を任せたりすれば、大変な事態を引き起こすであろうことは想像に難くない。


人間の集団を怒らせるのは、貧しさでなく不平等である。

彼らに平等な配分をできるだけのリーダーシップや公平性がある、とは信頼できない。


「だから女の人と子供には、直接わたすようにしたのね」


「そうだ。食料を直接渡せば、最悪の場合、男共にとられる前に食うこともできる」


女性に渡せば、子供にも行き渡る可能性は高くなる、との期待もある。

全員に十分行き渡るだけの報酬を一度に用意できない現状、報酬の受け取り口をできるだけ分散したい。


「まあ、ないとは言えないわな」


暴力沙汰に一番の免疫があるキリクが言う。


「うちは大将が優秀だったから飢えたことはなかったが、他所の傭兵団じゃ食料が減ってくると、小さなパンの欠片を巡って殴り合いになったもんだ。農民だからって、そうならねえ保証はねえ」


「・・・うちの村は、そんなことなかったもの。みんなで我慢したわ」


サラの言葉が、ここではないどこかに向けて語りかけたように響く。


「そりゃあ、お前の村は全員が顔見知りで親戚みたいなもんだからさ。だが、あの教会にいた連中は違う。他人なんだ。他人の家族が泣き喚こうが、自分の嫁さんと子供のためならぶん殴って食いもんを奪ってくるのが男の甲斐性ってもんだ。そうだろう?」


大きな拳を振り回しながら断言するキリクに、サラは返す言葉がないようだった。


サラが黙ってしまった沈黙を補うように、パペリーノが小さく溜息とも愚痴ともとれる言葉を吐く。


「それにしても、問題というのはなくならないものですね」


「というと?」


「私は代官様の下で働きだして、多くのことを学んできたと思っております。教会の中央で働く同僚の誰よりも、特に実践の学問という言うべき手法については、かなりの経験を積むことができた、と感じておりました」


「それはそうだろうな。どうして過去形なんだ?」


パペリーノが若手の聖職者として、特に数字に強いという能力を活かして領地開発計画に大きく貢献してくれたことは間違いない。そこは自信を持って良いところだろう。


「代官様は、初めに、この領地を豊かにするために来た、と仰りました」


「ああ。確かに言った」


「そのために湊を作り、製粉業を起こす。多くの水車を導入する。専門家を集めて相互に知恵を出し合い、豊かな領地の姿を描く。私どもは、そのための計画を懸命に立てました」


「ああ。その通り。全員で力を合わせて頑張ってきた」


「私は、あの板切れを用いた管理の手法に目が覚める思いがしたのです。初めて神書を紐解いた時のように、この複雑な世界を整理し、導く縁(よすが)となるのではないかと」


「そうか。まあ、そこまで入れ込んでもらえるなら有り難いが」


ニコロ司祭がグラフに神性を感じたように、パペリーノはプロジェクト管理手法にそれを感じたわけか。

どうも数字が好きな聖職者という人種は、信仰心と技術へ関心を近いものと捉えているように思う。


そうした知的にナイーブな点のある人間を集めているのが教会という組織、ということができるかもしれないが。


「ところが、この領地に来てみると状況は聞いていたものと大きく違いました。領主の館に家具や穀物はなく、領民たちは代官様を怖れて近寄らず、流民同然の農民達が教会を汚している。引き継ぐべき教会の者は1日でいなくなる。正直なところ、途方にくれる思いでした」


「ああ。初日の飯は不味かったな」


ランタンのチラつく弱い明かりの下で、屋敷の床に直接座って麦粥を啜るのは滅入る経験だった。

街では多少の贅沢に慣れてきていたということもあるし、大勢の職人や子供たちと食べられないのは寂しかった。


「ですが、農地を実際に歩き、散布図というものを用いて農地の状況を把握する方法を知り、また私は啓示を受けたように感じたのです。この混沌に満ちた農村を、再び秩序だったものとできるのではないか、と」


「そうか。だが、また期待は裏切られたのか?」


「いえ。その課題も代官様は解決の方針を示されました。そうして教会に来て出稼ぎ農民達に会ってみれば、またも問題が見つかる。どうして問題はいつまでも解決しないのだろう、と少し目眩がしていたのです」


山積みの問題がある。整理して解決する。すると、整理された問題の中に、また問題が見つかる。それを解決する。また問題が見つかる。


そうしたループが続くことに、決して解くことのできない計算問題に取り組んでいるような、絶対に完成することのない石積みに従事するかのような徒労を感じたのだろうか。


「なるほどな」


パペリーノの疲れは理解できる。ときに、見えすぎる人間に特有の幻覚だ。

人間社会の問題は決して解決することはない。などと真実を自覚したように感じた故の厭世感、というやつだろう。


「パペリーノ、それは錯覚だ。単なる気のせいだよ」


右腕を伸ばしうつむき加減の肩を叩くと、若き聖職者は怪訝そうに顔を上げた。

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