第646話 農地視察の順序

翌朝は、早いうちから視察に出かけることにした。


であるならば、朝食をさっさと済ませなければならない。


「・・・また麦粥か」


「そう言うな。お前が石臼を回すのを手伝ってくれれば、別のものも食えるぞ」


不味そうに木匙を掬うキリクのぼやきに、軽口で答える。

個人的には、塩で味付けした麦粥は嫌いじゃない。

豆でも入っていると、もう少し食べごたえがあるのだが。


「まあ、そんくれえならやりますがね。力なら余ってますんで」


小麦粉を作るのには手間がかかる。

この邸宅は元代官の屋敷だけあって、あまり使われていない石臼が台所の隅に置かれていた。

農民の家からは石臼税を取っておいて、どうかとは思うが、あるものを有効に活用して悪いということはあるまい。


「パンを俺達だけが焼くと反感を買うだろうから、何か別のものなら料理してもいいが」


パンの香りは幸せの香り、と言われるぐらい周囲によく香る。

ただ、これだけ周囲の村人たちに信頼がない状態で、自分たちだけがパンを焼いているとなると、いろいろと評判が致命傷を受ける気がするので、今は自重だ。


食材としては、街から運んできた若干の調味料と塩、庭に植えるためのハーブやニンニク、それと干し肉ぐらいか。

残りは大量の小麦であるから、これをどう調理するかが、食生活の豊かさを決める。


「いや、代官様に調理させるのはどうにも気がひけるんで。村の娘が働きに来てくれるといいんですがね」


「まあ、それは今後の我々の働き次第だな」


領地で贅沢をしたければ、領地と領民を豊かにし、贅沢をしても咎められないだけの成果をあげるのが順序というものだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


視察には、結局、全員で行くことになった。


まず、代官なので自分が行く。すると護衛のキリクはついて来る。

サラがいると村人の印象が良いので、連れていく。

パペリーノは残って報告書を書きたがったが、少し思惑があったので無理に連れ出すことにした。


「屋敷を空にして、盗みなんか入りませんかね」


「村で盗みをする人なんていないわよ!みんな、誰が何をしているか見てるんだから!」


街育ちのキリクの懸念は、農村育ちのサラに却下された。

たしかに、領主の屋敷は高台にあるし、近づくものがあれば周囲からすぐにわかる。


「おまけに、俺達は怖れられてるからな。そこまで命知らずな連中でもないだろう」


なにしろ、代官というのは領地内では最高権力者である。

警察、検察、弁護士、裁判官、執行官の全てを兼ねているのだ。

一応、教会の方に報告書を出す必要はあるが、税を納めて報告書さえ出していれば大抵のことは放任される。

文字通り、生殺与奪の権限を握っているわけで、そんな人間に農夫が喧嘩を売るのか、ということだ。


おまけに、前の代官と村長一族をまとめて追い出した、という評判もある。


怖れられていることが、盗難を怖れずに済むというメリットにつながっているのは、何とも皮肉である。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


屋敷を出て歩きだすと、パペリーノが聞いてきた。


「3軒の候補の内、どこから行きますか?」


「そうだな。農地面積の大きいところから行くか」


「代官様、その理由を伺っても?」


「そうだな。パペリーノはどう考える?」


質問をするには、その意図があるのだろう。

パペリーノは、何を考えているのか知りたい。


「そうですね。広い農地の方が参考になることが多そうだ、ということでしょうか」


「そうだ。元々の目的は何だったかな?」


「村長の畑を管理できる農家を見つけることです」


「そう。村内で最も広い農地を持つ村長の農地の耕作を管理して、高い収穫をあげられる農家を探すことだ。だから、農耕の技術だけでなく、人を使ったり管理する技能も欲しい。広い土地を管理している農家であれば、その技能がある可能性がある。だから、広いところから行くわけだ」


「なるほど、参考になります」


俺とパペリーノが問答をしながら歩くのを、サラとキリクは呆れたような顔をして眺めていた。


まあ、我ながら少し理屈っぽいと思わないこともない。

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