第643話 小さな計算結果と小さな働き
「まずは、この部屋で基準点を決めて、と」
白墨(チョーク)でバツ印を床に書くと、サラから悲鳴があがった。
「ああっ!せっかく掃除したのに!」
「まあまあ」とサラを宥めつつ、部屋の隅に向かって歩き「これが縦軸の点」と、バツ印を白墨で床に書く。
それから部屋を対角線上に横切り「これが横軸の点」と言ってから、またバツ印を書く。
これで、部屋の都合3箇所にバツ印が書かれたことになる。
「ここから、ゴルゴゴに手伝って貰おうか。基準点から縦軸と横軸に向かって、まっすぐに線を引いて貰えるか。もちろん、白墨で書いてもらって構わない」
「ふうむ。これだけ磨かれた床に描くのは、多少は気が引けるのう」
ぼやきつつも、ゴルゴゴが真っ直ぐに線を引いてくれている間に、残りの者達に向き直る。
「まずは農地の広さに基いて記録を床に並べ直すぞ。一番狭い農地を基準点に置いて、一番広い農地の村長を横軸の点に置く。それから、間に並べていくんだ。特別な計算をする必要はないぞ。隣とくらべて高い方を村長の畑の方に並べればいい」
基準点から横軸に沿って床に一列に農地の記録を広さの順に、手分けして並べていく。
比較して並べるだけなら、数字さえ読めれば計算の必要はない。
農地の大きさが記された羊皮紙を持ち、基準点から横軸の点に向かって歩いていき、終端より数字が小さければ途中で羊皮紙を置く。大きければ最後に置く。そして、また最初に戻って農地の大きさが記された羊皮紙に戻る。
大の大人が集団で列になって、あたかも小学校で行う文集の編集作業や、出来の悪い工場のラインのようにクルクルと回る光景は少しばかりシュールなものであったが、当人たちはいたって真剣である。
その頃になると、ゴルゴゴは線を引き終わっていたので、さらに横軸の線に目盛りをつけるよう依頼する。
「とはいえ、どんな風につけるんかの?」
「そうだな。10分割して、その半分ならどうだ?」
「まあ、それなら難しくはないが」
そうしてゴルゴゴに目盛りをつけてもらっている間に、こちらで目盛りに数字を書き込んでいく。
最大値と最小値があって、20分割するだけなので簡単な算数だ。
「あとは、数字に近いところに農地の羊皮紙を並べなおしてれ。大体でいいから」
農地の羊皮紙の順番は揃っているので、あとは数字に寄せるだけである。
少しすると、農地の羊皮紙が広さの順に、横軸の直線状に並んだ散らばりができあがった。
「それで、これからどうするの?」
作業自体はあっさりと終わってしまったので、手持ち無沙汰になったサラが追加の指示を求めてくる。
「ちょっと待ってくれ。ゴルゴゴ、目盛りの方は出来たか?」
「ああ、同じように20分割した目盛りはつけたわい」
「わかった。では、同じように数字を書く。少し待ってくれ」
縦軸には、徴税額の数字を元に20分割した数字を再び書いていく。
これも、ただの算数だ。
「それでは、同じように作業をする。農地の羊皮紙を持ったら、今度は縦軸に沿って真っ直ぐ歩いてくれ。徴税額の数字のあたりまできたら、それを下ろすんだ」
横軸に散らばって置かれた羊皮紙の列が、今度は縦軸の徴税額の散らばりに沿って置かれていく。
先程の作業でなれていたせいか、手分けしての作業はあっけなく終わった。
「これは、何ですか?」
パペリーノが疑問に思うのも、無理はない。
今、ちょっとした作業の積み重ねで作り出した「これ」は、この世界初の散布図である。
「簡単に言うと、領地の性質をまとめた図、だな。どの農地が広さの割に徴税額が多く、どの農地が広さの割に徴税額が少ないか、が一目でわかる」
「なるほど。たしかに・・・いや、でもこんなことが・・・」
教会で高等教育を受けたパペリーノには、その意味が理解できたらしい。
しきりに唸ったり、首を振ったりと忙しい。
「え、そうなの?」
「そりゃあ、大したことじゃないんですかい。俺らは、何も難しいことはしてませんぜ」
一方で、作業を手伝ったサラやキリクは疑問を隠せないようだった。
なにしろ、俺以外の人間は誰も計算をしていない。
ただ、農地に関する数字の書かれた羊皮紙を指示にしたがって並べただけである。
計算をした俺にしても、目盛りの数字を簡単な算数で書いただけだ。
「まあ、本質はまだこれからだ。ここから簡単に線を引いて、と」
散らばった羊皮紙の間を縫って、大体の目分量で一本の線を引く。
本当は計算して引くべき線だが、およその見当をつけるだけなので構わないだろう。
「この線の上が、うまくやっている農地、下がうまくまわっていない農地の可能性が高い。そして、線から上で、線から最も遠い農地は、何かがある農地だ」
これからは、散布図の中の「外れ値」の意味を探索することになる。
突出して異なる値を示す農地には、何かがある、ということだ。
「いや、しかし代官様!これは大変なことですよ!」
だが、正気を取り戻したパペリーノが、今度は興奮して叫びだした。
教会の農地管理の手法が変わるだの、何だのと喧しい。
個人的には、領地の事情に疎い自分が、記録を元にざっくりとした目鼻をつけるためだけの手抜きの手法なので、あまり暴走しないでもらえると助かるのだが。
「いえ、必ず、必ず報告させていただきます!」
やんわりとした注意は、別人のように鼻息の荒くなったパペリーノに却下された。
どうも聖職者という人種は、論理に興奮する人間と、数字に興奮する人間しかいないらしい。
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