第571話 教会の関与
「少し複雑な話になりますが」と前置きをしてから説明をする。
話すお題は、教会にどのように権利をもたせるか、である。
「印刷業への教会の関与の仕方をどのようにするべきか。私は、大きく分けると3種類あると考えています」
「3種類ですか。てっきり、関係を持つか持たないか、という2択だと思いましたが、そこは上層部に訴えたほうがいいでしょうね」
「そこは、知恵を絞りました」
今回のことで気をつけたのは、印刷業を受け入れるか受け容れないか、イエスかノーの選択を迫るような宗教裁判にならないようにする、という点である。
だから、印刷業への関与を肯定する派閥と否定する派閥で、きちんと政治的な決着が図れるよう、灰色の選択肢を提示する必要があった。
「印刷業の関与の仕方は3種類と申し上げました。1つ目は印刷機を管理する方法です。印刷機はかさばりますし、制作には職人の特別な技術が必要ですから、教会で管理するのは容易でしょう。何しろ、今現在、この水準の印刷をこなすことのできる印刷機は街に1台だけですから。
この案は、先程ミケリーノ様が仰られた教会で管理する方法に近いと思われます」
「そうですね。印刷機の管理をすれば印刷業というものに最大限に教会は関与できる、と考える者も教会には多いでしょうね。ただ、ケンジさんは、この方法を勧めないのでしょう?」
「そうですね。この方法には明確な短所(デメリット)があります。技術の進歩について来れなくなることです。例えば、今、この瞬間も工房(うち)の職人は新型の印刷機の構想を練っておりますし、他の街では全く新しい方式の印刷機が開発されているかもしれません。あるいは印刷機だけでなく、印刷のためのインクや、印刷機周りの設備、印刷をする羊皮紙に技術革新が起きるかもしれません。
もし教会が無理に印刷機を管理しようとすると、教会の管理外で制作された印刷機を破壊したり、教会が定めた方式以外の印刷機を印刷機と認めない、などという陰鬱な仕事を引き受けなければならなくなります。
つまり、教会は印刷機の技術的発展を阻害する側に回るということです。
教会は人類の進歩と進展を支える英知の機関でなく、退廃と停滞を象徴する組織と成り果てるでしょう。私は、教会にそのような存在になってほしくありません」
「なるほど。教会が正しくあることができなくなる、ということですね。それは教会関係者には受け容れられないでしょう」
教会という組織は社会の公器であり、信徒達を守るためにある。
この怪物の脅威のある世界で、教会という組織の信頼と意義はそこにある。
信徒達の知識や財産を保護するのでなく破壊する側に回るというのは、教会という組織の存在意義を根底から否定することになる。
一部に腐敗した聖職者がいるとしても、全体としては社会のために役立っていない組織が長期にわたって存続できるはずがない。
その点で、俺は教会という組織の社会に対する建前に一定の信頼を置いている。
「教会が印刷業に関与する2つ目の方法は、印刷物を管理する方法です。印刷される冊子について関与するわけです。数が多くなりますが、一定以上の部数を印刷する場合、あるいは政治や教義に関わる内容の印刷をする場合のみ、管理するとすれば手間を省くことができるでしょう。そうすれば平民達は勝手に印刷機の改良を進めるでしょうし、印刷される冊子が増えれば教会の利益も増えます。奇跡や名声に関わる冊子の管理についても、ある程度の管理ができます」
「技術の発展や市井の平民達の嗜好について、教会の人間が詳しくある必要がない、というのは良い方法ですね。印刷される部数が増えれば教会の利益も増え、微妙な政治的問題についても発言する権利があるというのは良い落としどころかもしれません」
2種類目の案は、ミケリーノ助祭からも肯定的に受け止められた。
元の世界の価値観からすると、言論弾圧や検閲に見えるかもしれない。
だが、まだこの世界には弾圧すべき言論そのものが、まだ存在しない。
言葉遊びで内輪もめもする余裕はなく、まずは人類社会が生き残らねばならないのだ。
「それで、短所は何でしょう?」
「そうですね。先程はどうすれば管理の手間を省くことができるか、という点を重視して説明したように、おそろしく手間がかかるようになる可能性があります。現時点ではそうでもありませんが、印刷技術の高まりや字を読める平民の増加で、ある時点から冊子が爆発的に増える可能性があります。そうなると教会による管理が実質的に不可能になるでしょう」
「そんなことがあり得るでしょうか?」
俺が想定する未来像について、ミケリーノ助祭は懐疑的な態度を見せた。
おそらくだが、想定している印刷物の種類や数が3桁は違うように感じる。
そのあたりは、月に数千から数万種類の本が印刷される世界を知っている自分と、これから印刷業が立ち上がろうする世界の常識の違いというものだから仕方ない。
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