第565話 字のない冊子

職人のシモンが手がけている冊子は靴の通販カタログであるから、それほど苦労はしていないようだ。

基本的には守護の靴の絵が描いてあり、機能の説明が書かれているだけだからだ。

薄い板に黒い色を塗って、そこに白墨で書いた下書きを見せに来る。


「代官様、少し見ていただいてもよろしいでしょうか?」


ああ、と返事をしかけて気がついた。


「この黒板と白墨(チョーク)はどうしたんだ?」


大きな黒板は議論するために工房の隅に設置しておいたが、この大きさのものは作っていない。

それに備え付けの白墨で書いたにしては書かれた線が細い。

不思議に思って尋ねると


「はい!ゴルゴゴさんに作ってもらいました!」


とシオンから元気の良い返事がかえってきた。

横目で見ていただけで再現したゴルゴゴを褒めるべきか、新しい用途を発見したシオンを褒めるべきか。

いずれにせよ、技術や発見の広がりというものは一人で制御できるものでもないし、またそうするべきものでもない。

小さなことではあるが、それを確信させる出来事ではあった。


「それで、この下書きはいかがでしょうか」


シオンは年上の職人達を相手にしてきただけあって、要望を聞き取るのが得意なようだ。

こちらもつい、アドバイスしたくなる雰囲気を持っている。


「そうだな。絵が大きいのはいい。ただ、靴の機能を字で書こうとしない方がいいかもしれない。靴を購入する冒険者の全員が字を読めるとは限らないからな」


「字を書かないで説明する、というのはどうしたらいいのでしょう?」


「街に商店の看板があるだろう?あれは字が読めない層のために見ただけで理解できるように工夫されている。参考にして、靴の機能も看板のように書いてみてはどうか」


「なるほど・・・やってみます!」


説明を図にする、という発想はなかったらしい。

それはそうだ。そもそも説明書自体がないのだから、それを洗練させた書式があるわけがない。

冒険者の靴の普及に役立つことなので、多少の進歩は目をつぶることにする。

説明がわかりやすくなって困る層など、どこにもいないだろうから。


それに、挿絵を描く専門職(イラストレーター)が生まれてくる可能性だってある。

そうなると、いろいろと楽ができるのだが。

ゴルゴゴの下についている見習いの少年に描かせてみるのも良いかもしれない。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「なるほど!代官様は、そのように発想なさるんですね。参考になります!」


「・・・ああ」


目下の頭痛の種は、俺に一日中張り付いては一挙手一投足に目を配り、目を輝かせて質問をぶつけてくる商家出身のリュックの存在だ。

どうやら、俺の経歴を本にするという商売本(ビジネスぼん)の連作(シリーズ)の構想は捨てていないらしい。


「なにがそんなに面白いんだ?」


俺としても、元の世界の知識を使って多少は変わったことをしている自覚はある。

だが、この世界にだって優秀な商人は山ほどいる。

冒険者から代官に成り上がった人間だって、いないわけではない。

どうせなら、そうした伝説的な大商人を取材すればいいではないか。


「なにを仰るんですか!代官様は、十分に伝説的な商人ですよ!」


リュックはそう言うが、部下のお立てや追従を真面目に受け取るほど、頭が悪いつもりはない。

数日のことだろうから好きにさせておくしかないだろう。

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