第566話 料理の冊子

サラは、とりあえず職人の奥さんやパン屋を訪ね歩いて情報を集めているようだが、なかなか難航しているようだ。

パン屋などの専門店からするとレシピを明かすことに抵抗があるし、そもそも料理本を書くためのレシピの共通概念がないという。


「なんかね、どこの奥さんに聞いても、小麦粉は握り拳くらいとか、塩はひとつまみとか言うんだけど、そのまんま書いてもいいのかなー、って。それに、奥さん達は字が読めない人が多いでしょ?普通に書いても読んでもらえないのって、どうかと思うのよね」


ここでも、料理本という文化を根付かせるために必要な基本概念の不足と、識字率が課題となっているようだ。


「そもそも、共通の計量スプーンもないんだよな」


王室や貴族、教会の偉い人達の厨房には、特別な調理の道具なども伝えられているのだろうが。

料理というのは極めて化学的なプロセスであるから、正確な計量の道具の普及は必須である。


「レシピ本と一緒に計量スプーンぐらいは売ったほうがいいかもな」


「そうね!ケンジ、あったまいい!」


「あとは計量スプーンの大きさに応じて番号や名前を入れておけば、挿絵と数字がわかればレシピがわかる」


「そうね。数字と絵がわかれば使えるレシピなら、女の人達も使えるわね!」


サラは褒めてくれるが、基本的には先程のシオンの相談にのったのと同じ内容だ。

冊子を利用する顧客をきちんと想像する。

顧客の使いやすいように情報を整理する。


顧客は料理ができるようになりたいのであって、字を勉強したいわけではないのだから。


「最初はね、簡単な料理がいいと思うの!パン屋さんで作ってるのと同じぐらい美味しいパンを作れるようになったら、きっとみんな喜ぶと思うの!」


「それって、街のパン屋さんが困りませんか」


喜んでいるサラに、リュックが横から余計なことを言った。


「えっ?あ、そうね。どうしよう?」


「気にしなくて大丈夫だ。パン釜を持っているパン屋は家庭よりも安く美味しくパンを焼けるし、簡単なパンを家で作れるなら複雑なパンを売るようになる。複雑なパンのレシピは、パン屋に優先的に売ってやればいいんだ」


そうすれば小石混じりの粗悪なパンを売るパン屋はいなくなる。

個人的に雑穀混じりのパンは嫌いではないが、小石入りのパンだけは許せない。

冒険者時代は三等街区の安宿で、しばしば食わされたものだ。


「それに酒場の食事だって、小麦粉料理が増えれば、メニューが増える。パスタやソースだって増えるだろう」


「そうね、あのパスタ、すごく美味しかったわね!」


「えっ、代官様、それはシオンの奥さんが作ってくれるはずでは?」


うっかりと昨夜の試食をばらしたサラに、リュックが鋭く反応し、サラが慌てて口を両手で抑えた。


今さら口を押さえても言わなかったことになるわけではないが、人間の反射というのは面白い。


「ちょっと練習をしただけだ。その時は全員に完成品の美味いパスタを食わせてやれるさ」


新人官吏の連中は若いせいか、肉や新しい食い物となると目がない連中が多い。

サラのやつには、後で注意しておかないとな。

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