第551話 成功した商家の冊子

リュックのような商家の跡を継げずに傭兵になった者からすると、俺のように冒険者から事業を起こした人間は手本にすべき成功者に見えているのだろう。


そして、その事跡を書籍として販売すれば商家に売れるだろう、という。


なんとなく、この流れには覚えがある。


教会に献上した報告書が、なんとかの書、とか言われて崇められているのと同じことが起きそうな気がする。


あれは冒険者の駆け出しを優遇することで、どのように国家の経済や領地の開発に利益が上がるのかを論じた報告書であったのだが、その手法として国家単位で政策を立案するための統計や分析の方法と、棒グラフや円グラフなどの数字を視覚化する方法を示したことで、よくわからない経緯で国家機密に準ずる貴重な書籍となってしまった。


個人的には、あれは国家を切り回す高級官僚にとって、初めて接する数字を元に論じた官僚向けの経営書、とでも言うべきものになっていたからだ、と予想している。


今、リュックが求めているのも同じ種類のことだ。

リュックは、成功事例を記述したビジネス書に世間のニーズがある、と言っているのだ。

元の世界でも、様々な成功者や経営者の人生を描いたビジネス書は、猛烈に売れていた。

ビジネス書の中では、経営者は己の才覚を最大限に駆使し、苦闘の末に成功を掴み取る。

商人にとっての英雄譚だ。


この世界での情報伝達が未熟であることを考えれば、成功した商人の物語など親から見聞きするか、せいぜい噂で聞くことしかないだろう。

そこへ、しっかりと経営者に張り付いて話を聞くことができ、さらに事業の中身についても企業の経緯から技術の特徴、さらに巻き込まれた政治的な陰謀まで、面白おかしく圧倒的な臨場感を持って書くことができるわけだ。

商人たちに、売れないわけがない。


ひょっとすると、リュックはそのまま、この世界初のベストセラー作家とやらになってしまうかもしれない。


目立ちたくはない。だが、名声を売ることでビジネス上の利益もあるかもしれない。

リュックの提案に、その場で決断できずにいると、サラが尋ねてきた。


「それって、あたしのことも書いてくれるの?」


「もちろんですよ!代官様のことを書いて、サラさんのことを書かないわけがないじゃないですか!だって、サラさんは代官様が冒険者の頃から一緒に組んで、最初の頃から代官様をずっと支えてらっしゃったんですよね!きっと、若い商人たちは憧れると思います!自分にも、そういう女性(ひと)があらわれないかなあ、って」


「憧れ・・・」


「そうです、憧れです!」


いかん、サラのやつがすっかり説得されかかっている。


「まあ、待て。今の内容は十分に検討の価値はある。だが、教会との調整も必要だ。今は、印刷業が世の中にとってどれだけの価値がある、ということをニコロ司祭に示す必要がある。こちらの私欲のためだと思われるのは得策じゃない。それに、俺でなくても成功した有名な商人がいるだろう?その人達の事例をとりあげてもいいのじゃないか?」


「なるほど、連作(シリーズ)ですね!」


リュックのやつは、すっかりと成功した商人の話を冊子にする、という思いつきに夢中のようだ。


「なかなか諦めないな」


苦笑して指摘すると、リュックは大声で主張した。


「それはそうですよ!だって商家で教わる商売は、自分のところの商売だけですから!他の商家がどんな商売をしているかなんて、どれだけ金銭をだしても知りたい話です!それに、余程の大商人でないと、親以外から教育を受ける機会は少ないんです。この、成功した商人の連作は、きっと全ての商家に置かれるようになりますよ!」


商人は金を持っているし、成功のための必要な投資だと思えば費用をケチらない。

教育機会の限られている商人達にとって、教科書のような位置づけになる、ということだろうか。


たしかに、そうであれば大きな商売の機会と言えるだろう。

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