第550話 それぞれが望むもの
様々な社会階層から集められてきた新人官吏達は、ある意味で社会の縮図でもある。
彼らが望む社会のあり方に、印刷業がどのように貢献できるか。
それぞれが心のなかで望むありようが透けて見えるようで、非常に興味深い。
だが、初っ端にクラウディオから爆弾発言が飛び出すと、心安らかに見守る、とうわけにはいかなくなった。
「私は、神書を印刷したいです」
「それは、私もですね。神書が安価に印刷されれば、教会の教えを広める助けとなるでしょう」
パペリーノも同意する。
それに対し、他の新人官吏達は、まあそうだよね、という程度の薄い反応しか示さない。
「教会で聖職者になるためには、先達から受け継がれてきた書き込みだらけの神書を書き写して、自分だけの神書を制作する、というものがあるのです。教えの真髄に迫ることはできますが、新しい神書があれば他の修行や勉学に充てる時間が増えますからね。
それに地方の教会などにもあると便利かと思います。聖職者が書き写した神書は個人のものですし、なかには字が上手くない方もいますから」
説明を聞くには、神書の印刷が広まることが教会の聖職者の利便性を上げる、という捉え方をしているようだ。
違う。それだけじゃ済まないんだ、と言いたくなるのをかろうじて自制する。
元の世界では聖書の印刷は、神の代理人たる宗教者の権威の低下を引き起こした。
宗教は2つに大きく分裂し、宗教抗争が中世世界を長く紛争の渦に巻き込む遠因ともなった。
それが、この世界でも再現されるだろうか。
だが、元の世界とは怪物の脅威も存在し、教会には実際に奇跡を行う力もある。
ニコロ司祭と話をしていると、元の世界の官僚と話しているような錯覚に陥ることもある。
神書の印刷は、うまく制御されるならば社会の混乱を引き起こさずに済むかもしれない。
「自分は領地の経営に関する知識を印刷したいです。税の種類や影響なんかを・・・」
発言したのは、元貴族で剣牙の兵団から派遣されているロドルフだ。
なかなか面白い。
「元の代官は、ひどい税金を取っていました。ただ、うちの実家もあれを笑えないのです。貴族は農民と農作物から税を取る、とだけ考えるならば、ああなっても不思議はないのです。時代は動いています。新しい稼ぎ方を、実家も考えないとなりません。
ただ、自分には何をするべきか、代官様のような知恵は浮かびません。ですから、せめて何をしてはいけないか、あの元の代官のやらかしたことと、その顛末を知らせようと思うのです」
なるほど。ある種の、べからず集か。成功に法則はないが、失敗には共通する法則がある、とも言うな。
失敗学、とかいうビジネス本もあったな。それのはしりになるのだろうか。
「私は、商売の考え方の冊子を書きたいです!特に代官様の本を!」
意外なことを言い出したのは、商家出身のリュックだ。
「俺の本?」と、驚いておもわず素の口調に戻ってしまった。
「はい!代官様の本です!代官様が、無名の冒険者から身を興し、様々な苦労を乗り越えて商売を成功させ、貴族へと成り上がっていく物語です!きっと若い商人たちに売れますよ!」
目を輝かせて、リュックが言う。
そういうのは勘弁して欲しい。
ほんとに。
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