第532話 事業のビジョン

「代官様、なぜそういうものが必要なのか、私達に教えていただけませんか」


いろいろと、先走り過ぎていたようだ。

クラウディオから疑問があがる。


「そうだな。一言で言えば、事業に参加する人数が多くなったからだ」


「というと?」


「そうだな。俺が冒険者を辞めた当初のことを例にとって話そうか。俺はその頃、コネも金もなかったから、冒険者支援の相談業務をして飯を食っていたわけだ。新人冒険者の相談にのって、銅貨を稼ぐ。そういう商売だ。


その頃はビジョンだの理念などの小難しい理屈は要らないわけで。何しろ、明日の飯代を稼ぐので精一杯だからな。困りごとを抱えた冒険者が俺のところに来る。相談に乗る。金を稼ぐ。


仕事を取ってくるサラと、相談にのる俺だけがわかっていれば良かった。サラは仕事のやり方を見ていたし、俺も仕事のやり方を教えた。だから、どんな仕事をしているか、という点について話し合う必要はなかったわけだ」


「まあ・・・その点は理解できます」


なぜか、新人官吏達が俺とサラを交互にをチラチラと見る。

咳払いをして、先を続ける。


「靴の事業を始めるにあたっては、冒険者のための靴、泥に塗れて世界を拓く人間のための靴を作る、ということが元からのコンセプトだった。

コネも金もなかったが、靴の試作品を作り、剣牙の兵団の協力を得て事業を立ち上げることができた。

なぜなら、剣牙の兵団も冒険者の靴を欲していたからだ。


今では教会でも開拓者のための靴として採用されている。まあ・・・当初の意図とは少しばかり異なる使われ方をしている例もあるが、冒険者のため、開拓のための靴というコンセプトは継続されているし、特に疑問を持たれたこともない。


なぜなら、事業に関わる人間が靴の職人と冒険者のように靴を強く必要とする人間なわけだから、そもそも事業の意義を疑う必要がない。これは、事業としては大変に幸せな状態と言えるな」


仕事自体は完全にルーチン化されているので、俺とサラがこうして製粉業の仕事をしている横で、職人達は靴の製造に勤しみ、出来上がった製品から運び出されていく。


「ところが、領地の代官は引き受けた経緯からして靴事業とは違う。正直なところ、なりたくて代官になったわけではないが、先代の代官があまりに酷い政治をしていたのが気に入らなかったし、農村もいつかは何とかしたいと思っていた。


農村出身の冒険者を、いつかは村に帰してやりたかったからな。そのためには、農村に仕事と収入が必要だ。

そこにたまたま、先代の代官が不正に蓄財をしていたことと村の幹部がまとめて失脚したことによって、資本と政治の自由度が手に入った。この経緯によって自由度の高い産業作りができるようになったわけだ。


税務記録で橋税を取っていることは知っていたから、領地は河に面していることはわかっていた。その後、幾つかの地図で詳細を確認して水運を利用した製粉業こそが、この領地を救う産業になる、と確信していたしな」


これまでの事業の経営を話していると、だんだんと自分でも整理がついてくる。

新人官吏達も初めて聞いた話があったのか、先程までの理解を放棄した目とは、瞳の輝きが違っている。


「代官様は、なぜ製粉業と水車が領地に適している、と思われたのでしょうか」


元商人の新人官吏であるリュックから質問がでる。


事業を起こすのであれば、様々な選択肢がありえたはずだ。

技術を生かすということであれば水車を利用した製材所を興しても良いし、靴事業を拡大するという選択肢もあった。資金を元に単純に金貸しをしても儲かったろうし、単純に農地を広げても農村にとってはプラスになったはずだ。


なぜ、製粉業だったのか。それを深掘りすることで、答えにたどり着けるかもしれない。

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