第533話 他の事業ではダメなのか

なぜ製粉業を領地の主要産業として興そうと考えたのか。

自分としては必然の流れだと考えていたのだが、他者からそう見えないのであれば整理されていないということだろう。


「そうだな・・・まず、代官を引き受けるからには、領地を豊かにしたかった。領地を豊かにして、領民にいい暮らしをして欲しいと思った。だから、金貸しのような一部の人間だけが儲かる仕事は興したくなかった」


投資業を生業にするのであれば、ハッキリ言って儲ける自信はある。

金融系の知識に関しては、この世界と元の世界では大きな差があるし、教会の力を背景にすれば取り立てに困ることもない。


だが、嫌だった。


大金を運用すれば今以上に教会の上層部や大貴族たちとの関係が増えるし、俺の金融資産が増えたところで、この世界全体の富の総量は増えないし、冒険者や農民の暮らしが楽になったりもしない。


「なるほど。確かに代官様は、金貸しという風には見えませんな」


「そうね、胡散臭いとは思うけど、そっち方向じゃないのよね」


などと新人官吏達が失礼なことを言う。


「それじゃあ、どうして畑を増やそうとは思わなかったの?農家の人の仕事も増えるし」


「農地を増やしても農民は豊かになれない」


そこは断言する。この世界には怪物という脅威があり、農地を広げると防衛コストが上がる。

新しい畑は土壌の整備が不十分だから収穫量は少ない。

その上、機械化されない農業だから1人で耕せる面積には限りがある。


「つまり、農地を広げるために費用をかけても、貧しい農家が増えるだけだ」


たしかに農業に従事する人間は増えるし、10年単位で見れば農村は豊かになれる可能性はある。

だが、俺に与えられた期間はせいぜい数年である。


「だから、農地を広げるというのは選択肢にならない」


断言すると、こんどは感嘆と疑問の声があがる。


「たしかに、言われてみればそうなりますね」


「ですが、多くの貴族達や教会は資金を借り入れてまで農地の拡大をしておりますが・・・」


冒険者ギルドから王国や教会上層部に渡った報告書の影響からか、今は空前の土地開発ブームに王国中が沸き立っている。

その状況と矛盾するのでは、というのだろう。


「貴族の領地と自分が引き受けた代官では状況が違う。貴族達は100年単位でものを考えている。貴族としては、ゆっくりとでも領地全体の富が確実に増えるのであれば、それでいい。農民1人あたりの収入などは気にしないからな」


オーナー社長と雇われ経営者の差とでも言おうか。

持たざる代官としては、持てるものである貴族と同じ土俵で領地開発に臨むわけにはいかないのだ。


「それでは、靴の事業拡大を図るという方法はなかったのでしょうか?今、街にある工房を領地に移せば規模も拡大できますし・・・」


今、うまくいっているものを素直に拡大するというのは素直な戦略としてありだろう。

冒険者の靴の増産を続けているが、未だ市場が要求するだけの数を提供することはできず、作り出すそばから出荷されていく状況が続いている。

もっと規模を拡大してもいいのでは?というのが、周囲が考える靴事業の状況だろう。


「靴事業は、上手く行かないだろう。大前提として、領地は代官として数年預かるだけだから靴工房を建設したとしても、撤退しなければならない。建設して、撤退するぐらいなら最初から建設しない方がいい」


「そのまま靴工房を残すわけには・・・」


「自分の目の届かないところで靴事業はやって欲しくない」


冒険者の靴の製造は手間がかかる。

それを製造プロセスの改善と品質管理の仕組みでもって、冒険者に購入可能な価格で世の中に送り出している。

管理手法を理解していない人間に、単純に工房だけ建設して任せれば、数年で高価格、低品質な靴を作り出すのが目に見えている。

そんな靴が冒険者の命を奪うことになったら、俺は自分を許せないだろう。


「それに、靴事業は俺だけのものじゃないからな。ジルボアも反対しただろう」


「なかなか、難しいものですね・・・」


なぜ製粉業なのか、を考える過程で、なぜ他の事業ではダメなのかを言葉にしていくと、新人官吏達もその難しさに気がついてきたようだった。

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