第505話 ノウハウの共有

「そもそも、我々のような設計者同士が知り合う機会は少ないのです。ですから、このような機会を設けてくださった代官様には、我々一同、感謝しているのです」


エイベルは言う。


ギルドがノウハウ流出を怖れて機会の交流を制限するのは理解できるが、彼らは教会の元に保護されているはずだ。

相互の交流ぐらいはあっても良さそうなものだが。


「その・・・上の方にはいろいろありますようで」


エイベルは言葉を濁すところを、クラウディオが補足した。


「教会は知識やノウハウを集めることには長けておりますが、共有や活用にはあまり慣れていないのです。歴代の担当者の性格にも左右される部分は大きいですし」


「派閥もある、と?」


確認すると、クラウディオは答えずに苦笑した。


元の世界でもノウハウ共有だのナレッジ・マネジメントとやらの言葉が流行ったことがあった。

ただ、多くの組織では形だけ文書を集めて死蔵しただけで終わり、失敗することになった。


ノウハウというものは、結局のところ人の中にあり、文書にするなどの形式にする過程で多くの要素が落ちていく。

まして、活用する側に専門の知識がなければ、尚更だ。

教会の人間は身分を問わず優秀な人間を集めているだけあって、俺の知る限りでもニコロ司祭を筆頭に本当に優秀な人間の集まりだが、工事の末端の技術まで通じていることを求めるのは非現実的だろう。


早い話、教会で知識の死蔵が起こっているのだ。

今、説明会という形で実施されているここで起きていることが、ノウハウの共有だ、とエイベルは言っているのだろう。


「そのあたりの課題は、クラウディオの報告書に期待だな」


教会の方針にまで口を出すことは無理だ。

今回の取り組みの報告書がしかるべき筋に届くことを祈るだけだ。


なんとなく明日の議論の席にもニコロ司祭は参加したがるのではないか、と嫌な予感を覚えた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「あとは、土木の専門家に倉庫の専門家か」


土木と言っても、今回の事業で要求されるのは地盤の整備だけでなく水路の整備や、場合によっては小さな堤や水門を築いて貰う可能性もある、幅広い仕事だ。


「倉庫の専門家というのは、あまり聞きませんが・・・」


「そうだな。教会で忠告されるまでは自分も甘く見ていた」


この世界の倉庫は、教会の中や城の中など、重要な施設の中にある。

元の世界のつもりで普通に平地に建設しようとしたところ、仲介を依頼したミケリーノ助祭に「とんでもない!」と叱責を受けたのだ。


考えてみれば当然なのだが、小麦というのは重要な戦略資源だ。

都市住民にとっての生命線であり、権力者にとっての権力の源泉でもある。

極論すれば、民を食わせるための食料を握っているからこそ、為政者は為政者でいられる。

今回の領地で代官が交代することの決定的な引き金になったのは、村の共同倉庫を空にしたことだった。


要するに、一時的な倉庫を平地に建設すればいい、という自分の考えは平和ボケした元の世界の常識を引きずっていたということだった。

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