第405話 人材採用のジレンマ
奥の事務所で書きものをしていると、ドアを開けてサラが入ってきた。
最近は、領地計画のために朝食を取ると夜まで飛びまわって帰ってこないので、明るい内に話すのは久しぶりだ。
「ケンジ、さっきの職人さん達は返しちゃったの?」
「サラか。一旦、考えをまとめておきたくてな。調査の方の進み具合はどうだ?」
「うーん、順調だけど慣れないことばかりで難しいって感じかな。だけどね、すごく楽しい!」
「そうか、そりゃよかった」
会話をしつつ、サラが事務所の椅子に腰を下ろしたので俺も椅子をサラの方に向けた。
サラがこういう様子をする時は、何か話があるときだ。
「それで、何を考えてるの?どうして雇わなかったの?」
「そうだな・・・」
案の定、職人を採用しなかったことに疑問を持ったらしい。
工房の様子を見ていれば、人が足りないのは明らかだからだ。
少し考えて、会社の人材採用戦略を冒険者パーティーの成長段階に例えて説明する。
「会社っていうのを冒険者のパーティーに例えてみようか」
「うん」
「最初は、俺とサラだけのパーティーだった。実績も何もないから、俺達とパーティーを組んでくれる人を探すだけでも大変だった。それからいろいろと難しい依頼をこなしているうちに、評判が上がってきた。そうすると、これまで声をかけても相手してくれなかったような人が、パーティーに入れてくれ、と言ってきた。今は、そういう状態なんだ。ここまではいいか?」
「そうね、よくわかる」
「問題は、冒険者パーティーには色んな個性や方向性があるわけだ。例えば、大型怪物を狩る専門家なのか、傭兵団のような人間も相手にする専門家なのか、それとも洞窟や遺跡を探る専門家なのか。方向性に合っていない人をパーティーに入れても、お互いのために良くない。パーティーが駆け出しの頃からいる人間は問題ない。なぜなら、パーティーが成長する時に専門家として経験を積んできたわけだからな。だけど、新しく入る人間がパーティーの方針に馴染めるか、それが問題になる」
「冒険者なら、とりあえずパーティーを組んでみる、って方法が使えるわね」
「ああ。だが職人相手にそれはできない。相手だって相当の覚悟を持って辞めてくるわけだし、上手く行かなかったからって放り出すわけにはいかないさ。靴職人の世界は狭い。一度そんな不義理をしたら、二度と会社(うち)で働かせてくれ、という職人なんて来なくなる」
「そうね。それは、すごく良くないわね」
机に置かれた杯から茶を飲む。先日、事務所に備え付けたミニストーブは快調だ。
おかげで、いつでも暖かい飲み物が飲める。
一旦、喉を落ち着かせてから、気がかりなことの説明を続ける。
「こんな話をするのも、さっき職人達と話した時のことが気になっているからだ。彼らが会社(うち)の方針を勘違いしてるんじゃないか、と」
「勘違い?何を?」
「会社(うち)は確かに守護の靴や枢機卿様の靴のような高級品の靴を製造している。だから、高級品を制作するための技術が身につけられると思っているような気がする。だが将来的には今の靴を大量に生産して低価格の庶民のための靴を作りたいと思っている。そのあたりの将来展望が違っていると、お互いに不幸になるんじゃないかと心配している。だから、迂闊に雇うとは返事ができない」
「だけど、職人の奥さんとか、お子さんは忙しい時に手伝いに来てもらってから、ずっと働いてもらっているじゃない。それは雇ったことにはならないの?」
「補助の人を雇うことと、腕のいい職人を雇うのは、いろいろと違いがあるな。良くも悪くも、大人の男を雇うってのは面倒くさい。それが腕のいい職人となれば、プライドや拘りがある」
そこまで言うと、サラが口元を緩めて俺の顔を見つめているのに気がついた。
「なんだ?」
「ううん。人のことはよくわかるのね、って思っただけ」
「ああ、まあ俺も面倒くさい男には違いないな」
「だけど、会社を大きくしようと思ったら、その職人さん達も必要なんでしょ?」
「必ずしも、そうじゃない。職人よりも必要なのは、サラだな。サラがたくさんいると助かる」
「あ、あたし?なんで?」
「サラになら、靴事業を任せておけるだろ?サラが何人かいれば何倍にも拡大できるんだが、そういう人間は応募してきたりしない」
「結局、会社(うち)の靴製造は共同作業と生産管理が生産の肝なんだ。1人や2人の腕のいい職人が入るよりも、製造ラインの管理者が増えることが重要だ。おそらく、彼らが想像している仕事と全く異なるはずだ。そこを了承してもらえるものだろうか」
「そうね。そういう話ならやめたらどうなの?」
「ああ、だが惜しい。今、人手が欲しいのも事実なんだ」
長期的なリスクとしては、職人達を採用するべきではない。だが短期的に彼らを必要としているのも事実だ。
この短期と長期の利得が反するジレンマをどう解消するか。
その解決に悩んでいるのだ。
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