第345話 あのときの言葉
「元冒険者にして、商人であるケンジ殿」
ニコロ司祭が立ち上がり、こちらに強い視線を合わせてきたので、慌てて立ち上がる。
「貴殿の元冒険者でありながら高い見識、また教会への大いなる貢献、まことに殊勝である。その功績に対し、教会として貴殿に報いるべき、と満場一致で意見はまとまった」
と、満場一致で、というところに妙に力点をおいて言った。
居並ぶ聖職者達の顔を横目で見ると、やや納得していない風の顔が見えたような気もする。
「そこで、ケンジ殿にはイサニの教会領地において、代官として、その手腕を振るって頂きたいと思う。ケンジ殿、如何かな?」
「はっ。謹んでお受けいたします」
反射的に返答したものの、俺は混乱の極地だった。
代官ってなんだ?イサニ村ってどこだ?平民が代官なんてやれたか?いや教会領地だから問題ないのか?
もっとも、混乱していたのは俺だけではないらしく、聖職者達の声にならないざわめきが、それを示していた。
ニコロ司祭は、そういった衆目の反応には構うことなく
「それでは、本日の祝宴はここまでとする。神の慈悲を地上に」
と祝宴の終了の挨拶を告げたので、他の聖職者たちに遅れないよう
「「神の慈悲を地上に」」
と唱えて、異例続きらしい祝宴は終わりを告げたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
何とか祝宴中に付け焼き刃の礼儀作法でボロを出さずに済んだ。
後は案内に従って帰るだけだ。
今日はもう、かえってサラと麦酒を飲んで寝てしまいたい。
そんな俺のささやかな希望は、出口付近で待ち構えているミケリーノ助祭を見た瞬間、果たされないことが確定した。
政治的パフォーマンスの次は、政治の種明かしか。
俺としてもニコロ司祭に質したいことは山程あったので面談は望むところではあったのだが、いかんせん慣れないこと尽くしの祝宴で疲れ果てている。
この状態では、ニコロ司祭の怜悧な舌鋒に対抗するのは、かなり難しい。
あるいは、ニコロ司祭は俺との交渉で有利を確保するために、敢えてこの舞台装置まで拵えた上で、交渉に及ぼうとしているのかもしれなかった。
杞憂であれば良かったが、最近は自分の虚像が一人歩きしている感もあるので油断はできない。
先導するミケリーノ助祭についていくことしばし、先ほどの綺羅びやかな祝宴会場とは異なり、落ち着いた調度と適度な広さの一室でニコロ司祭が待ち受けていた。
「座るがいい」
先程までの気色悪い敬語を使われないことに、むしろ安心する。
「お主には領地を任せる。好きにやってみろ」
と、先ほどの件についてズバリと言う。
「その、貴族でもなければ聖職者でもない私が、なぜ?」
「代官は平民でも認められている。それに任せる領地は自分の領地だ。問題あるまい」
「代官を任される理由が、少し理解致しかねるのですが・・・」
俺が代官を任される経緯について尋ねようとすると、ニコロ司祭はギロリと視線を合わせ、面倒くさそうにミケリーノ助祭に説明するよう合図をした。
「ケンジさん、あなたは教会について業績を短期にあげすぎたのです。現状もそうですが、このまま事業が堅調に推移すれば、ケンジさんに教会から支払う金銭が膨大な額になります。そこで現金を支払うよりも、領地の徴税権代官として一定期間与えることで、支払いに充てよう、という動きが教会の中で起きたのです」
「なるほど・・・」
確かに、最近は教会との取引が増えていた。教会は金持ちだが、急激に増えた現金の支払いに、組織のどこかでストップがかかったのかもしれない。
「それに、お前も農村でいろいろと試したいことがあったのではないか?渡りに船ではないか」
とニコロ司祭が仏頂面を崩さずに言う。
この人は、あの時の言葉を憶えていてくれたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます