第307話 高貴な方は利益に無頓着

「男爵様、そろそろ日が暮れます。一度、村に戻りませんか」


日が傾きかけてきた頃、俺は男爵様に一声かけた。


「む、そうするか」


そう答えた男爵様の姿は、異様で凄惨だった。


右手には特別製の解体ナイフ、左手には鉗子のような器具を持ち、肘まである革手袋と革製の前掛けはゴブリンの血で真っ赤に染まっている。

お付の者が一応、顔に飛び散った血だけは拭ったようだが、水場の少ないこの辺りでは、水浴びや水洗いもままならない。


「日が暮れるというのは不便なものだ」


そう言って男爵様は血のついた革手袋と前掛けをお付きの者に預けると、ジルボアに向き直った。


「それで、ああいった死体を冒険者はどうするものなのだ?」


俺ではなくジルボアに話しかけたのは、ジルボアの指示でゴブリンの死骸を穴に放り込んだ上で、周囲にも穴を掘らせていたからだろう。何か企みがあるらしい。


「普通は、焼きます。焼くのが難しければ、頭を切り離した上で埋めます。ですが・・・」


俺が横から補足し、ジルボアを見る。


「今回はゴブリンの死体で魔物を呼び寄せます。死体を狙ってくる魔狼の数頭を、罠にかけるつもりです」


というジルボアの答えに、男爵様は「興味深いな」と言った。


魔狼には、屍体漁(スカベンジャー)り、という側面もある。

ゴブリンの集落に飼われていることもあれば、獲物を巡って争う場合もあるらしい。

俺が冒険者をしているときも、壊滅させる予定のゴブリンの集落に1頭の魔狼がいて、襲撃に苦労させられたものだ。


村に戻りつつ、男爵様に冒険者時代の話をする。

特に食いつきがいい話題は、魔物の生態についての話だ。

俺は剣牙の兵団のように力押しで依頼を達成できるタイプではなかったので、魔物を観察し、おびき寄せて罠にかけたり、といった戦い方を主にしていた。その際に観察したことや気づきなどが、男爵様の興味の琴線に触れたらしい。

ジルボアも珍しく雑談に加わり、遠方の依頼で果たした珍しい怪物について話題にし、次の素材提供を約束すると、男爵様はたちまちジルボアのことを気に入ってしまったようだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「さて、今日も忙しいぞ!」


翌日も、朝から男爵様は張り切っていた。

何しろ、ゴブリンの巣を探索できる上に、うまくすれば魔狼も観察し、解剖できるからだ。

反対に、剣牙の団員の士気は、やや低いように感じられる。

強大な怪物と対峙することの多い彼らからすると、ゴブリン退治では気を引き締めようがないのだろう。

それに、男爵様の解剖に辟易している向きもある。


ゴブリンの絵図が入った冊子が配布されることで冒険者の依頼や農村にもたらされる利益がどれだけ大きいか、依頼の意義について一通り説明はしたが、冊子や絵の実物が出てくるまで、それがどれだけ画期的なものか、ピンと来ていないようだ。


新しいことを始めると、既得権者は反対し、将来の受益者は弱くしか賛成してくれない。

明確な成果が出るまで、その構造は変わらない。

そういうものだから仕方ない、と諦めて地道に進めるしかないのだろう。

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