第297話 署名(サイン)

男爵様と怪物の生態談義を続けていると、アンヌが卓の向こうから視線で強く合図をしてきた。

俺も、この辺りで良かろうか、と会話の流れを誘導にかかる。


「ところで男爵様は、怪物が生きて動いているところを実際にご覧になったことはおありですか?」


もちろん、そういった機会がないことは事前にアンヌから情報を得ている。

男爵家の当主ではあっても、領地には代官を置いていて本人は街から出たことがないそうだが、別に貴族としては珍しいことではない。

案の上、男爵様は少し声を落として答えた。


「残念ながら、生きているところを見たことはないな。街に生きた怪物を持ち込むことは法によって禁じられておるからな」


城壁内への生きた怪物の持ち込みの禁止。

この街だけでなく、多くの街で禁止されている行為である。

制定された理由は知らないが、おそらく、怪物が城壁内で暴れて犠牲が出た、という類の事件があったのだろう。

もちろん、側溝に潜むスライムのような、元から城内にいる怪物については例外である。


「実は、私どもは怪物の生態を記録するための仕事を請け負っておりまして」


と、声を低めて囁く。

まあ、正確には仕事を企画しただけで教会から未だ正式に請け負ったわけではないが、自分の費用でやり切る覚悟があるのだから、似たようなものだろう。


「怪物の生きた姿を、ありのままに記録できる優れた画家を探しております。男爵様の同好の士に、心当たりのある方がいらっしゃれば、ご紹介いただきたいのですが」


そう男爵様に持ちかける。

まさか男爵家の当主直々にご出馬いただく訳にもいかない。

この手のコレクションを集める貴人には、手足となって働く部下や、同じ趣味の友人がいるはずだ。

何となく、後者のカテゴリーに俺は入れられている気もするが。


「ほう!仕事で!」


と、男爵様は膝を打って関心を示した。


「その話、もう少し聞かせてくれるかな。いや、怪物の姿を写すには精妙な技術が必要でな、その、生きた姿をそのまま写すとなれば、素早く写しとる筆の素早さと、正確な筆致の双方を兼ね備えてなければ、動く相手を写すことは難しい。紹介もできようが、何かの間違いがあってはならんのでな」


男爵様の、微妙に自薦とも取れる説明に多少の不安を感じつつも、怪物の姿、足跡などの実際の絵を描き込んだ冊子を制作し、教会に配布するという計画を説明したところ、男爵様は立ち上がり、大いに発奮した。


「なるほど!いや、たしかに怪物の姿、足跡、その暮らしぶりは、下々にとって大いに問題になろう!それに、声か!声を聞いたことはなかったな!ゴブリンですら会話をするというのか!どういった舌の仕組みであろうかな。腑分けすれば何を食べているか知ることもできよう!うむうむ!オーガの太腕が生み出す力、あの関節の仕組みには私も大いに関心がある!これは、面白い、興味深い話だ!」


俺は男爵様の興奮具合に少し引き気味になりながら、


「え、ええ。そういった怪物の生態の絵を教会に置くことで、農民に知らせたいのです」


と、趣旨を説明した。

何となく、意図していた話の流れとずれてきている気がする。


「それで、何冊ほどになるのだ?」


急に話題を変えた男爵様の問いに面食らいつつ、俺は答えた。


「え?ええと、王国中の教会に配布するので、1000冊ぐらいにはなるかと・・・」


「怪物の絵が、1000冊は描かれるのだな?」


「は、はい・・・」


男爵様のギラギラとした目に逆らえず、俺は頷いた。


「絵であるから、当然、署名(サイン)はつくな?」


それについては全く考えていなかったが、絵は芸術作品の側面も持つから、確かに署名(サイン)は必要かもしれない。


「つくと思いますが・・・」


「であれば、わたしが引き受けよう!」


男爵様は立ち上がって拳を握りしめた。


いやいや、困りますってば。

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