第284話 推定の技術

サラに商売が回る仕組みを、どう説明したものか。

少し細かいことを考えつつ、構想について語る。


「王国の全ての教会に冒険者依頼の案内冊子を置くとして、いくらぐらいかかると思う?」


「ええと、それって教会が出してくれないの?」


「出してくれるかもしれないし、出してくれないかもしれない。何しろ教会にとって利益があるかは、かかる費用と比較しないと何とも言えないからね」


「だって、農村にも冒険者にもいいことじゃない?」


「そうだね。だから、その上で利益がでる、ってことを証明できたら、もっといいことだと思うよ」


「うーん・・・」


サラは納得がいかないようだが、一緒に考えてみるよう促す。


「とりあえず考えてみようよ」


「そうねえ。本を作るなんて考えたことなかったから・・・」


たしかに、元農民のサラに冊子を作ろうと考えた経験があるはずもない。

それは、俺も同じだ。この世界で冊子を作ったことはない。

ただ、実態とは違うとしても手がかりとなる数字の見当をつけないと、そもそも判断ができない。


まずは、要求する仕様を具体的に口に出してみる。

このイメージが異なっていると、後で誤解が生じる元となる。


「例えば、農村に冒険者への依頼費用一覧の冊子を置くと考えるよ。それで、依頼と金額の事例が書かれた羊皮紙をまとめた簡単な冊子になるね。羊皮紙5枚で10ページぐらいかな?ここまではいい?」


「そうね。だけど教会の司祭様に読んでもらうにしても、冒険者の人は字が読めない人も多いから、図とか絵があった方がいいと思うわ」


というこことで、絵入りで10ページ程度の羊皮紙をまとめた冊子という仕様が仮に決められた。

あとは、それをどうやって製造するかを検討する。


「そうだね。それで、羊皮紙を印刷・・・はできないんだっけ?」


「印刷ってなあに?」


しまった。この世界で印刷技術は未発達だったか。

もっとも、俺が知らないだけで貴族や教会では普及しているのかもしれない。

それに、技術の萌芽自体はあるのだから、説明はできる。


「印刷っていうのは、焼き印を押すように、文章を羊皮紙にインクで押し付けること。見たことある?」


「うーん・・・貴族様とかが、家の印とかを蝋に入れるようなこと?」


「そう。俺は見たことないんだけど」


「あたしもない。・・・どうしてケンジ、って見たことないのに知ってるの?」


サラのツッコミが厳しい。

ただ、靴の事業を抱えている身で印刷技術にまで手を出すつもりはない。

そちらを本格的に手をいれると、教会を敵に回す可能性がある。

教会を敵に回したら、殺されてしまう。


「昔、調べたことがあったんだ。しかし、そうすると手紙とかは全部、手書きだな。手書きの文章を書ける人って、1日いくらぐらい貰えるんだろう?」


なので、軽く印刷の話題を流して予算推定の話を続けたところ、サラは深く追求することなく次の話題に移ってくれたようだ。


「うーん。3銅貨ぐらい貰えるかしら。綺麗な字を書ける人って、すごく少ないの」


識字率とは別に、綺麗な字をかける人間が少ない、という事情はわかる。

そもそも羊皮紙やインクが貴重な世界では、字の練習自体が贅沢で金のかかる行為だし、綺麗な字や文章のお手本は貴族の私文書等なので、平民にはアクセスすることも容易ではない。

そして手紙には文字の綺麗さだけでなく、挨拶の定型文や個人の名称に敬語の使い分けなど、覚えるべきことが山程ある。それだけの教養ある人間は希少であり、多くは大商人や貴族の元で文書の専門職についている。


「そういう人に依頼できたとして、10ページの冊子を写すのに、どれくらい時間がかかるかな」


「そうねえ。最初の文書は、誰か別の人に書いてもらうとして。仕事の合間にやってもらいながら、1通で5日はかかるわね」


そして、仕事を抱えている人に依頼すれば、副業扱いなので時間がかかる。


「それで費用はどのくらいかかる?」


「うーん・・・銅貨9枚が手間賃で、2枚は利益で、足元見られてもう1枚で、12枚位かしら?」


「それで、羊皮紙の代金を足して、板か革で表紙をつけると、15枚ぐらい?」


「それ位になりそうね」


1冊の制作は5日間で銅貨15枚という数字はでた。

単価はでたので、それをどの程度製造するのか。全体の数を推定する必要がある。


「教会の数って、どのくらいあると思う?」


「よく知らないけど、枢機卿様の靴を作った数と同じくらいは、この辺りにあるんじゃない?だから300ぐらいはありそうね」


「王国全体になると、どのくらいあるのかな」


「考えたこともなかったわ・・・・2000ぐらいとかかしら」


「すると費用は全部で、3万銅貨。配布する費用も考えたら4万銅貨ぐらい」


「ええと、銀貨に直すと、400枚。大きいような、そうでもないような」


「ものすごく高い、ってわけでもないね。利益が上がるなら、十分に行けそうな気がする」


「問題は時間よね。2000通で5日かんだと、1万日・・・。ちょっと長すぎるわね」


総計で銀貨400枚、1万日という数字がでた。

ここからわかることは、問題となるのは費用ではなく時間であり、普通の方法では到底実行できない、ということだ。

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