第257話 革通りの光景

何だか今日は、朝からサラの機嫌がいい。


鼻歌を歌ってみたり、ちょっといいお茶を淹れてみたり。

まあ、忙しくて誰も彼もが殺気立っている工房の中に、機嫌の良い人間がいるのは良いことだ。


冒険者に依頼した司祭様の足型調査が順調に終わり、どの靴サイズをどれだけ生産するかの見込みが立ったので、今朝の暗い内から工房はフル稼働で生産を始めている。


職人は生産以外のことは一切しなくて済むように、以前からときどき来てもらっていた職人の奥さんに、毎日来てもらうよう手配した。

そうして、職人達の食事の面倒も見てもらっている。

最近は、子供も手伝いに来ているようだ。

そうした職人の奥さんや子供たちは臨時の手伝いという扱いなので、賤貨で週単位で給与を支払っている。

大した額ではないが、街中の住人は生活に現金収入が欠かせないので、手伝いを希望する人の競争率は高い。


ただ、今のところ防犯の意味合いもあって職人の家族以外からの採用はしていない。

今の職人達は、魔術師騒動の時にも結束して立ち向かってくれたし、貴族からの引き抜きや美味い話は命の危険がある、と俺が体で証明したのを見ているので、信頼がおける。


そうやって事業を通じて人間が繋がり、金銭の繋がりだけでない信頼の輪が広がっていく。

これを続けていければ、きっと全てが上手く行くだろう。


「なんとか、間に合いそうだな」


そうサラに声をかけたのだが、いつものようにサラから返事が返ってこない。

不思議に思って振り返ると、サラが珍しく、ぼうっとしていた。

さっきまで鼻歌を歌って機嫌が良かったと思えば、どうしたのか。


「サラ、体調でも悪いのか?」


確かに、これまでずっと忙しかったし、それに危険な目に遭ったことでストレスも多かった。

ようやく仕事がうまく流れ始めたので、ホッとして体調を崩しても不思議はない。


「う、ううん!なんでもない。大丈夫?」


「なら、いいけどな。今なら休んでも大丈夫だぞ」


実際、靴の生産が軌道に乗りはじめると、俺とサラは手持無沙汰になった。

仕事の規模が大きくなればなるほど、管理者である俺達は、仕事が動き出してしまうと実際に手を動かしてやれることは急激に減る。

順調に仕事が運んでいるときほど、そういうものだ。


当初は大量注文による原材料不足も心配したけれど、開拓者の靴は構造こそ複雑なものの原料の使用が多いわけではない。

革通りの他の工房の協力で、特に苦労なく集めることができた。


それと、今回の大量注文にあたり、それまで会社の職人にやらせていた仕事のうち、かなりの仕事を外部の工房に委託することになった。

そうしなければ、生産が間に合わないからだったが、思わぬ副産物もあった。


革通りの他の工房に資金が回ることで、会社周囲の環境が劇的に良くなったのだ。

それまで職人だけしかいなかった革通りに、職人の家族たちも炊事の手伝いで出入りするようになり、食事時ともなれば明るい声が響くようになった。

職人達の効率はあがり、治安がよくなり、街路が清潔になった。


決して大きな金額ではなかったけれど、革通りに落した仕事と財貨が与えた正の影響には、驚くほかはなかった。


それは小さなことではあったけれども、そこで働く人達の暮らしを明るくし、周辺の環境が良くなることに貢献できたということだ。

そういう仕事を作り出せたことを、少しばかり誇りに思えた。

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