第170話 商売を大きくする魔法はない

ある程度で話は一区切りがついたのか、ジルボアがこちらを向いた。


「ここに顔を出すのは久しぶりだな、ケンジ。それで何の話だ」


「ああ、商売の話だ。ちょっと大きくしたいんで相談に来た」


そう言うと、ガラハドは机に広げていた図面を丸めて出ていく気配を見せた。


「悪いな」と去り際に声をかけたのだが、ガラハドは返事をすることなく、肩を軽くすくめただけで、図面を抱えて出ていった。


おそらく、ガラハドの頭は議論した内容をどう実現するかで一杯なのだろう。

職人とは、そういうものだ。


「事務所の様子が、また変わったな」


とジルボアに話を振ると、


「先週、他所の貴族の依頼で鉱山に巣食った有翼獣(グリフォン)を3頭ばかり狩ったのでね。羽も高値で取引できた。だから少しばかり景気がいいのさ」


と事もなげに言ってのけた。

剣牙の兵団は、着々とその足場を固めているようだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


部屋の中に、俺とサラ、ジルボアだけになったところで、ジルボアが切り出した。


「それで?どのくらい商売を大きくしたいんだ?」と聞かれたので


「今の10倍にしたい」


と、素直に答えたところ、サラのように大声で叫びこそしなかったが、いつものように、すぐに返事は帰ってこなかった。

さしものジルボアを以ってしても、200人の工房、というイメージを掴むのには苦労しているようだった。


「200人の靴職人が、毎日、靴だけを作る工房を作りたいんだ」


そう重ねて言うと、ジルボアは幾つかの疑問を投げてきた。


「それだけの職人を用意できるのか」


ジルボアの疑問は当然で、この世界でも職人の養成は10年単位の時間がかかる。そして優秀な職人は自分の工房を構えるものだ。

守護の靴のように革鎧を作るのと同等の手順と熟練を要すると見られている高級品を作れる職人を、100人単位で揃えるなど、不可能に思えるに違いない。


だが、分業体制のライン作業と、その教育育成方法を確立している会社(うち)にとっては、それは障害にならない。


「ああ、できるとも」


と俺は自信を持って答える。


「土地は用意しているのか?資金はあるのか?地縁(コネ)に根回しは済んでいるのか?」


「いや、これからだ。まずは株主である、あんたに相談してからだと思ってね」


土地も資金も地縁(コネ)も重要だが、それらは靴が作れる、という保証さえあれば後から幾らでも揃えられるものだ。

まずは株主として、これまで幾度も背後(バック)として会社(うち)を支えてくれた剣牙の兵団を尊重したい、との姿勢を見せているわけだ。


それを理解してか、ジルボアは「ふうむ」と腕を組んで考え込み、言葉を選ぶようにゆっくりと切り出した。


「まず、商売を大きくするのはいい。こちらにも利益があることだ」


俺は頷く。


「だが、急だな。守護の靴が現在の10倍も売られるようになれば、その価格は下がるだろう。守護の靴が冒険者全体に広まれば、短期的には剣牙の兵団の優位が減るかもしれないな」


それは正しい予測だったので、俺は頷くしかない。


「とは言え、いきなり魔法で10倍にできるわけでもあるまい。どのくらいの期間を見ている?」


と問われたので


「3年はかかるだろう」


と事前に立てた計画を基(もと)に答える。

既存の工房を最大限利用して設立した今の会社も、製造が軌道に乗るまで1年近くかかっている。

これが10倍の規模の新工場建設となったら、どれだけの手間がかかるものか。

用地の取得に資金集め、原料ルートの開拓に、販売ルートの整備、各種許認可の取得に人材の採用と育成、治具や設備の製造と購入、工場建設など、諸々の手間を考えれば3年でも短いぐらいだ。

この世界には日本の商社のような金次第で何でも揃えてくれる便利な存在はない。釘一本、板切れ一枚から、全て自分で揃えるしかないのだ。


「3年か・・・」


とジルボアが何かの折り合いをつけるように呟く。おそらく、ジルボアにはジルボアの計画があって、俺が言いだした内容を踏まえて計画の修正を、その秀麗な頭の中で行っているのだろう。


「だが、面白い」と小さく言ってこちらに向き直ると、にやりと笑って続けた。


「それで、何があった?」


「特になにも」


と流そうとしたが、ジルボアは納得しない。


「これまでの、腰抜けの雰囲気が綺麗さっぱり消えてるんだ。気になるじゃないか」


と、失礼なことを言った。

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