第十二章 事業を拡大して冒険者を支援します:意志決定編

第164話 仕事は待ってくれない

落ち込んでいようがいまいが、仕事は待ってくれない。


事務所を1週間ほど留守にしたせいで、本業の仕事が積みあがっていた。

工房の一角の天井近くまでうず高く、文字通り物理的に積みあがり、視覚と工房の面積を圧迫している。

それは最終検品を待つ守護の靴を入れた箱だった。


「これは・・・まあ、仕方ないか」


「だって、ケンジったら検査は絶対に自分でやる、って聞かないじゃない」


サラが、口を尖らせて言う。


たしかに、俺は品質検査の工程だけは自分でやっている。

他の人間に仕事を渡したいところだが、検品は自社製品の品質を保つ最後の砦だ。

ここを抜けて、いい加減な製品が市場に届いてしまえば製品に対する信頼が失われる。


コンサルタントをしていた頃は、中小企業の社長に対して仕事を自分で抱え込まないように、と口を酸っぱくして言っていたものだが、医者の不養生ではないが、自分のこととなると、なかなかうまくいかないものだ。


他の職人達に任せている靴の組み立て加工作業については、この先も拡大できるだろう。

だが、最後の品質検査を俺だけしか手掛けられない状態では、靴の生産量が限定されてしまう。

いわゆる、ボトルネックというやつだ。


この世界に検査機械などないから、基本的には人員を増やすことになる。

だが俺と同じだけ品質にこだわる人間を育成することは難しい。

なぜなら、守護の靴がどんな連中に、どんな使われ方をして、どれだけの品質を求めているか、顧客に会ったことのある人間が、俺とサラ、ゴルゴゴしかいないからだ。


「わしはやらんぞ、そんなチマチマしたことは性に合わん」


「わかってるさ。ゴルゴゴには新しい靴の開発を任せてるしな。そっちを頼むよ」


ゴルゴゴには基本的に技術開発を任せているので、教会と展開する予定の靴について開発を任せるつもりだ。

サラは俺の秘書として営業などにも一緒に出向いてもらわければ困る。


街から出たことのない工房の職人達に、どうやって冒険者の生活を理解してもらうか。

言い換えれば、製造現場に顧客イメージをどのように持ってもらうか。

そういえば、職人達は守護の靴を履いて野外を歩いたこともなかったのではないか。


あるいは、職人が冒険者のイメージなど持つ必要もないくらい、徹底的に品質検査のマニュアルを整備するという方向性もある。


これが金属部品などの大量生産品なら、抜き取り検査などの方法を考えたかもしれない。

だが、今の生産量なら全品検査も可能なのが、また悩みどころだ。


それに、職人技で製造された靴なので、色合いや履き心地といった数値化しにくい評価項目も多い。


また、膠がどのぐらいの力で接着されているのか、踵のクッションはどのぐらいの力を加えるとダメになるのか。

そういった測定をするためには、壊れるまで力を加える破壊検査も必要だし、そのための検査器具を開発する必要もある。


工業規格など存在しない、この世界でやり過ぎかもしれないが、事業を拡大しようと思えば職人技の世界からは一刻も早く抜け出さなければならない。


いろいろと人脈を増やしたり相談に乗ったりはしているが、基本的にうちの強みは、守護の靴という画期的な新製品と、それを安価に製造できる製造プロセスなのだ。規模が小さいのだから、まずは中核事業と製品に集中しなければ全てを失いかねない。


目指すところは、林檎のマークの会社か、あるいは流れ作業で大衆車を普及させた会社の方がイメージが近いかもしれない。

いずれも市場が求める声に応えるのではなく、画期的な製品を作り出して市場そのものを創造した会社だ。


目標は大きいが、目下の問題は・・・


「なんか、ケンジの言ってること、全然わかんない」


「・・・そりゃあ、そうだよな」


これだけ一緒に行動しているサラにわからないのであれば、他の誰にも理解できない。


経営陣を育成しなければ事業の拡大はできない。

そして、経営者は簡単に育たない、という当たり前の事実だった。


目標は遠くにあっても、足元を一歩づつ固めていかなければ、躓くことになる。

ここは、いろいろと整理しなければならない。

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