第163話 お前は英雄ではない

靴の事業展開については苦笑ですませたニコロ司祭だが、一転して厳しい表情に戻ると言った。


「例の件についてだが」


例の件とは、もちろん、これまで話に上がってこなかった隠し畑の件についてだろう。

俺も表情を引き締めて、俺はニコロ司祭の次の言葉を待った。


「あれは、放っておけ」


だが、その口から出た言葉は意外なものだった。

俺が黙っていると、ニコロ司祭は続けた。


「不満か?そうかもしれん。助祭達もそうらしい。報告書にこそ書いていなかったが、初めて知った、許せない、何とかせねば、などと口々に言っておった。


だがな、隠し畑の存在など、教会でも貴族でも、とうに把握しておる。それこそ千年の昔からな。農民が畑を作り、貴族が税を課した時から、天地開闢以来の問題でもある。それを解決できるなどと言うのは、思いあがりというものだ」


ニコロ司祭らしくもない諦めだった。俺は農民達のために黙っていられなくて反論した。


「ですが、開拓を進めれば状態は変わります。農村に教会や貴族様の開拓資金が入り、末端の農民まで小さくともわりの良い仕事ができるようになれば、危険な隠し畑を耕す必要が減るでしょう」


ニコロ司祭は頷いた。


「そうだな。そうかもしれん。開拓地については、そうなるだろう。人間の領域が広がり、農地の開発が進む間は隠し畑の問題は覆い隠されるだろう。開拓地が成長している限りは、そうできよう。

だが、開拓に洩れた土地では無理だ。農村の貧困は解決できず、隠し畑は残り続ける。

それにな、農地と隠し畑の問題は、結局のところ全ての土地を人間が管理するようにならない限り、地上から全ての怪物の脅威を駆逐するまでなくなることはない。それは神や偉大な英雄のなすべきことであって、私やお前のなせることではない」


そう言って立ち上がり、座ったままの俺の肩に右手を置いた。


「ケンジよ、お前は十分によくやっている。農村の開拓事業は、教会の基幹事業として進められるだろう。助祭達も短期間で充分に育った。開拓者向けの靴の事業の利益を農村に還元しようとの志も殊勝である。

だがな、1000年に渡って黙認されてきた隠し畑の問題を明らかにし、王や貴族の統治の政策にモノを申すには、お前では身分が低すぎる。私でも権力(ちから)が足りない。諦めることだ」


それだけ言うと、ニコロ司祭は、そのまま歩き去った。

俺は座って下を向いたまま、自分の握りしめた拳を見詰めていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


工房の事務所に戻り、俺が、どさりと椅子に腰を下ろすとサラがお茶を淹れてくれた。


「どうだったの?あの司祭様とのお話はうまくいったの?助祭様達の教育は褒めてもらえた?」


サラには、ニコロ司祭と話し合ってくるとだけ言っておいたので、助祭達の教育に関する報告だと思っていたようだ。


「ああ。報告はうまくいった。それに開拓に従事する人達に、教会と組んで靴を売れそうなんだ。新しい靴を作ることになりそうだ」


そういうと、サラは目を丸くして手を叩いて喜んだ。


「すごいじゃない!教会が手を貸してくれるなんて聞いたことない!新しい靴も作るのね!忙しくなりそう!」


「そうだ。靴を売る。そうして利益の一部を農村に還元する。そういう仕組みだ。教会の慈善事業と、うちで手を組むんだ」


「冒険者って、私みたいに農村出身の人が多いものね!きっとみんな買うわよ!ケンジ、ほんとあんたって面白いこと思いつくのね!」


「そうだな」と応えつつも、俺の心は晴れなかった。


結局、ニコロ司祭と話した隠し畑と身分の問題については言いだすことができなかった。

サラが心配し、話し合いの成功を賞賛してくれればくれるほど、俺は自分の無力さにを唇を噛みしめるだけだった。

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