第146話 何も知らないと知れ

俺は助祭達が怒って席を蹴ることを期待していたのだが、奴らは小さな声で不満をもらすばかりで何を言っているか不分明である。

おそらくは、俺の態度に腹は立つが、このまま帰ってニコロ司祭の評価を落とすのも怖いのであろう。

それに、俺が腹をくくって奴らを切り捨てても良いと決断していることも、何とはなしに雰囲気から察しがついたのかもしれない。

不満はあっても、行動もできなければ言葉にもできないでいる。決断力のない奴らだ。


仕方がない。こういうやり方は好きではないし、奴らを教育してやる義理もないのだが。


俺は助祭達に問いかけた。


「あなた方に問いたい。今回の事業は、教会のため、ひいては農村の暮らしを良くするためであるということに異論はありますか」


具体的な質問で、イエスかノーで答えられるものであれば、奴らも返事ができる。


「「異論はない」」


「農村の暮らしが良いとは、どういうことか。答えられる者はいますか」


クレメンテと名乗った助祭が進み出て答える。


「農村の者達が神と共に心安らかに農作に励み、良い家庭を築くことだ。神書にもこうある。農村は・・「神書の引用は結構。今は地上の問題を話しています」


なにやら神書の引用を始めようとしたので、俺は遮った。それに、奴らの能天気な回答に苛立ちも覚えていた。

神の奇跡で麦を生み出すことはできない、と言ったニコロ司祭の言葉を聞いていなかったのか。


俺は問いを続ける。

「農村の暮らしが良いとは、多くの作物が安定して多く収穫でき、手元の作物が適正な価格で売却でき、税が軽いことです。この定義に異論があるものはいますか」


「・・・異論はない」


不承不承、といった態でアデルモと名乗った若い助祭は答えた。


「それでは、この街の市場で麦が一袋いくらで販売されているか、価格を知っている者はいますか」


奴らの答えがなかったので、俺は続けた。


「それでは、この街で教会が麦を商人に一袋幾らで卸しているか、価格を知っている者はいますか」


教会の帳簿であれば知っているか、という問いにも答えはなかった。


「農民が一袋いくらで麦を商人に卸しているか、価格を知っている者はいますか」


「農村から街の移送に商人が冒険者の警護にいくら支払っているか、価格を知っている者はいますか」


「麦の保管に教会が倉庫にいくら払っているか知っている者はいますか」


「荒れ地を切り開くのに必要な人足の数を知っている者はいますか」


「水路を引くのに必要な人足の数を知っている者はいますか」


「水車小屋を建設するのに必要な費用を知っている者はいますか」


どれも、これから教会が手掛ける農村の開拓事業のためには知っていなければならないことばかりだ。

だが、俺が問いを繰り返すたびに、奴らは顔色が悪くなり、完全に下を向くようになってしまった。


俺は呆れはてて言った。


「あなた達は教会の外のことには無知なのです。私にも知らないことがあります。まず、それを認めることから始めなければ、これからの困難な事業は必ず失敗します。それはあなた方の出世の道が閉ざされるだけでなく、農村と農民の生活と生命を危うくするものです。その責任を感じてもらいたい。


私がこれから教えることは、いわば失敗を取り扱う体系です。神ならぬ我々のなすことは、常に失敗する可能性があるのです。それを最小限に抑えるため、謙虚に学び、調べ、考え続けなければなりません。その覚悟を持ってもらいたい。


以上のことに賛同できないのならば、お互いに時間の無駄なので去ってもらいたい。

もし残るのであれば、態度を改めてもらいたい」


助祭達は完全に黙って下を向いており、発言を締めくくった俺と視線を合わせようとする者はいなかった。


あとは野となれ山となれ、だ。これで態度が改まらないのであれば、こいつら抜きで事業を進めるしかない。

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