第102話 1等街区
伯爵への訪問は、とにかく時間がかかった。
俺の名義では、そもそも会うことは不可能なので剣牙の兵団の名前を使ったのだが正面からの謁見申し込みは、とにかく手続きが煩雑だったらしい。
靴事業買取の打診が本当に伯爵の意思に基づくものであったのなら、手続きはもっと迅速に進んだはずだ。
この手続きの遅さからも、敵は伯爵本人の意図とは関係ないところで動いていたであろうことは予測できる。
あるいは、何者かの妨害があったのかもしれない。
文書の羊皮紙が本物であったことから、伯爵の周囲で連絡を担当する文官の誰かが手を貸しているのは間違いない。
ただ、それは剣牙の兵団を邪魔に思う誰かの手先でしかない可能性もある。
政治というものは、魑魅魍魎が住んでいる。
俺達庶民には、政治の世界で戦うことは不可能だ。
だから、敢えてトップと対面で話をつけることで打開する。
作戦と土産はある。それが上手くいくかはわからないが、待っていればジリ貧だ。
ジルボアと連れ立って1等街区の内壁に設けられた内門を抜ける。
この内門は街の伝統ある大商人や貴族階級と、市民階級を分ける高く分厚い壁だ。
門には鎖帷子(チェインメイル)と上衣をまとい、槍を持った警備が常に4人立っており、出入りの人間をチェックしている。
一定以上の階級の人間は武器を持ち込むこともできるらしいが、俺は短剣まで取り上げられた。
一応、サラが見立ててくれた商人っぽい服装で来たのだが、うさん臭さは抜けないのか。
帰りには返してくれるということだが、わかったものじゃない。
まあ、伯爵の城に入れば、どちらにしろ取り上げられただろうから支障はないが、ジルボアが帯剣を許されているのと比較すると、面白くはない。
ただ、警備からすると街の英雄ジルボアの剣を取り上げるというのは市民感情を考えるとやりたくなかろうし、ジルボアの魔剣を保管することなど、リスクが高すぎて引き受けたくなかったのだろう。
日本のお巡りさんなら、法律に基づいて相手が誰であろうが平等な対応をしたのかもしれないが、この世界では法律は身分と権力があるものの味方だ。
俺は短剣まで取り上げられ、ジルボアは素通りできる。それを誰も不思議と思わない。そういうものだ。
もちろん、伯爵向けのお土産はジルボアが開封も拒否した。
ジルボアが預けることを拒否した魔剣だが、俺は抜いたところを見たことはないが、強い光を放ち、硬い怪物の外皮を熱したナイフでバターを切るように、やすやすと切り裂いてしまう力があるらしい。
雑談の折に「どのくらいの価値があるのか?」と聞いてみたことがあるが、笑って答えてくれなかった。
とにかく、値段がつけられない程の価値がある貴重なものらしい。
ジルボアは貴族然とした儀礼向けに飾りがジャラジャラとした格好をしているが、護りの力がかけられたシャツを内側に着こんでいる。
敵のターゲットの本命がジルボアである以上、矢による狙撃や吹矢による毒などを警戒する必要があるそうだ。
俺も一応、剣牙の兵団にいる戦僧侶に護りの呪(まじな)いをかけてもらったが、気休め程度のものだ。
信仰心が、とか仲間の誓いと儀式が、とかいろいろ言っていたが、要は身内でないものには効き目が薄いものらしい。
たしかに、俺はこの世界の人間ではないし、剣牙の兵団とガッチリ組んではいるが部下というわけではない。
魔法という神秘の力まで、この世界が俺に優しくないようで、面白くはなかったが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しかし、門を抜けた先の1等街区は、2等街区とはまるで別世界のようだ。
街は静かで、人の気配が少ない。石畳の道は掃き清められ、街中を歩いている人がいない。
何より目を惹くのは、建物の背が低く、庭が広く緑が多いことだ。
剣牙の兵団の事務所が2等街区の1階にあったことでも驚いたのだが、城壁の内側は土地が基本的に不足しており、建物は上へ上へと伸びていく。
建築基準法などない世界なので、地震も少ない土地柄も幸いしてか、3等街区になるとジェンガのように危ういバランスで建て増しされた5階建ての建築も目立つ。その多くは低所得者用の賃貸で、上層に行くほど家賃が安い。
何しろ、水道やエレベーターのない世界なので、上層で生活するのは大変なのだ。
反対に、1階は商店か高級物件である。
剣牙の兵団は2等街区の1階に事務所を持っているが、剣牙の兵団の財務基盤が確かだからできることだ。
ところが、1等街区では、目に見える建物の全ての背が低い。ほとんどが2階建て。せいぜい3階にあたる屋根に窓を持つ館が、たまに目に入る程度だ。
おそらく、屋根裏部屋は使用人の住まいか物置になっているのだろう。
きちんと剪定された生垣の隙間から伺える広い庭には、馬車をつける馬止めや、短く整えられた芝生、そして彫像や噴水などが見え隠れする。
圧倒的な富と権勢を持つ人間の住む世界。
ここの連中から見れば、靴事業の利益なんて小銭に見えるわけだ。
俺は心の中で溜息をついた。
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