第100話 貴族からの手紙
貴族から靴の製造権を買い取る、との手紙。
実際には命令と同義の強制性を持つのだが、対応が早すぎる。
事業の利権が表ざたになり、既得権と摩擦を起こすのに1年は余裕があると見ていたのだが。
今はまだ、職人技で生産された高価で珍奇な製品でしかないはずだ。
この手紙は、何かおかしい。
「なにか、おかしいな」
口に出して言うと、ジルボアも言った。
「そうだな。これはケンジ、お前を狙ったものじゃない。私や剣牙の兵団を狙った嫌がらせだな」
剣牙の兵団は、この街での勢力を増している。
冒険者の枠を超えて、街の英雄として有力者の目にも触れるようになった。
副長が街の大商人と結婚することで街の政治に本格的に巻き込まれるようになってきた。
だから、対抗する勢力から政治的に嫌がらせをされる。
直接に本人を攻撃するのは怖い。それで、靴の事業を狙った、ということか。
ふざけやがって。
そんな嫌がらせのためのメッセージとやらで事業を頓挫させてたまるか。
「このルンド伯爵って誰?偉いの?」
とサラが聞く。まあ、冒険者に貴族は関係ないしな。
ジルボアは「あれだ」と団長室の窓を指さした。
指先の行方に向かって視線を動かすと、1等街区の内壁があり、その先には大きな城が見える。
つまり・・・
「あの城に伯爵様はおられる。つまり、ルンド伯爵様は、この街の所有者であらせられるってことだ」
想定していた中でも、最悪のシナリオだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ただの報告会が、その場で対策会議になった。
まずは逃げ支度だ。この先どうなるにせよ、準備して無駄になるのなら、それでいい。
「サラ、工房に戻って荷車に治具と道具を全部突っ込んでおけ。それと事務所の資料の羊皮紙もだ」
「わかった!」
そう言ってサラは剣牙の兵団事務所を飛び出していった。
「キリク、悪いがサラを護衛して手伝ってくれないか」
キリクはジルボアを見たが、ジルボアが黙ってうなずくのを見ると、サラを追って飛び出していった。
「取りあえず俺は、この街から逃げる準備だけはしておく。手順書と工具と資金さえあれば、他所の街で幾らでも事業は再建できる」
本当は職人の何人かは連れていきたいんだが、なかなか難しいだろう。
「それで、ジルボアはどうするんだ?」
と聞いたが、返答は「特に何も」とのことだった。
「この程度の嫌がらせで、イチイチおたおたはしていられん。まずは敵の攻撃の狙いと本丸を見極める必要がある」
大物は違うね。俺は「この程度の嫌がらせ」で事業から財産から、すっからかんになろうとしているのだが。
「嫌がらせで使う手にしては、伯爵様は大駒すぎる。私は、この書状それ自体を疑っている」
「ええと、偽書ってことか?」
「完全な偽物ではないかもしれんが、内容や形式に不審な点があるのは確かだ。まずは知り合いの紋章官に内容を確かめさせよう。
スイベリー、お前の義父が攻撃対象の可能性もある。対立している商人や、関連した貴族の情報を探って来い」
「わかった」
「ケンジ、お前は身を隠しておけ。敵の目的が俺への嫌がらせだった場合、政治的メッセージとしてお前の死体を送りつけて来る可能性がある」
「身を隠せと言ってもな・・・」
俺の足はこの通りだし、襲われたら走って逃げることなどできまい。
逃げられないなら、正面から何とかするしかないだろう。
「俺は、この事務所に残る。事態の推移を見届けたい」
そう言うと、ジルボアは俺の足を見て「まあ、それもいいだろう」と頷いた。
少し順調だと思えば、このありさまだ。
ただ靴を作りたいだけなのに、たかが嫌がらせで全てを失いそうになっている。
この世界は、まったく優しくない。
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