第93話 お買いもの

ある朝、しかめ面で茶を飲んでいると


「ケンジ、あんた最近、顔くらいわよ!ご飯、ちゃんと食べてないんじゃないの?」


とサラに言われた。


確かに、ここ最近は根を詰め過ぎていた感がある。

会社の経営はマラソンだ。短距離走のペースで走り続けることはできない。

少し休むか。たまには娯楽に・・・と思ったが、この世界ではロクな娯楽がない。


飯は大して美味くないし、賭博はする気になれない。賭け事は仕事だけで充分だ。

あとは飲むか。まあ、エールは飲んでいるが。

女を買うのもなあ・・・。


「そうすると、俺は至って無趣味なんだなあ」


この世界に来て5年、最初は生きていくだけで精一杯。

冒険者になってからは、戦うだけで死にもの狂い。

会社を作るまでも、作ってからも命を狙われながら必死に仕事しているわけで・・・。

なんか、考えるだけで哀しくなってきた。


「今日の午前は休みましょ!ケンジも服を買わなきゃ!」


そう言われた自分の服装を見てみる。


生成りの上衣とズボンの組み合わせ。この世界では、ごく普通の冒険者が着ている衣類だ。

腰には長剣、懐には短剣を、腕には剣牙の兵団の腕輪をつけている。


「・・・この服じゃダメなのか?」


「ダメに決まってるでしょ!ケンジはもう小団長なんだから!」


サラが、俺のことを小団長と呼ぶのには理由がある。


最初は、会社なのだから社長、と呼ばせようとしたのだが、誰も聞いたことのない名称なので定着しなかった。

彼らが知っている一番大きい民間組織は、傭兵団や冒険者のクランなのだ。

そして、そこではトップを団長と呼ぶ。

だが、団長という呼び名には剣牙の兵団の連中が難色を示した。

奴らにとって唯一で絶対の団長とは、ジルボアのことだからだ。


そこで、団長の下だけれども、副長ではない、という呼び方として「小団長」という名前が定着してしまったのだ。

まあ、実質が伴っていれば何でもいいのだが、いまだに「小団長」と呼ばれるのは落ち着かない。


毎朝、工房に入ると職人達が一斉に「おはようございます!小団長!」と挨拶をしてくるのだが、俺はいつの間に傭兵団の長になったのか、と思ってしまう。


ただ、サラや工房の連中は「小団長」という呼び方を気に入ったようだ。

俺がいる汚い事務室のドアには「小団長室」という名前がついている


「ケンジは小団長だから、お貴族様や大店の商人とも会ったりするんでしょ?今の格好じゃだめよ!」


サラだって農村育ちの冒険者なのだから、貴族や大商人受けする服装なんて知らないだろうに、とも思ったが俺も外出する要件があったのでちょうどいい。

工房の管理はゴルゴゴに任せ、護衛のキリクに声をかけて、サラの案内で2等街区の衣料品店へと向かう。


こちらの世界で普通の服を選んで買う、といつ経験はしたことがなかったので、それなりに興味深い。

一般市民向けカジュアル服などない世界だから、大抵は古着だ。新しい服を作れるような家柄の人間は、服屋を家に呼んで仕立ててもらうのである。


そうは言っても、この世界でも階級の上下に流動性はある。

手柄を立てた新興の貴族、店を大きくした商人、貴族の知己を得た冒険者など、それなりに出世を果たす人間もいる。彼らは金銭や実力はあっても、礼や格式の蓄積がない。

一方で、出世する者たちがいれば、没落する者たちもいる。そうして売り払われる財産の中には、家具、衣服、宝石など、階級を入れ替わる者たちが必要とするモノも多い。

需要があれば、供給があり、それを取り扱う商会がある。


サラの先導で向かうのは、そうした中古の品や服を取り扱う商会の一つのようだ。

なぜ、そんな店を知っているのかと利けば、キリクから聞いたそうだ。

剣牙の兵団も、最近は急に大きくなり、ジルボアだけでなく副長のスイベリーなども貴族や大商人が出席する祝宴に呼ばれることが多くなり、護衛の連中などに回す服装の調達が間に合わないことが多く、そういった店を利用するようになったそうだ。

キリクはもともと商会の出なので、そういった商売に土地勘が働くらしい。


そういうわけで、店で試着する運びになったのだが・・・。


「・・・なんか、どれ着ても似合わないね」


「うっせえ!選んだのはお前だろうが!」


サラに言われて様々な服を着てみたのだが、何しろ似合わない。

一流冒険者風の格好をしてみれば貫禄が足りず、若手商人風の格好をしてみれば暴力の匂いが強く、新興貴族風の格好をしてみれば、品が足りない。


何というか、何をしている人間かわかりにくいのだ。

とにかく、それならまだしも、ということで若手商人風の服を購入する。

これから貴族様や大店商人のところに直接営業する機会があるかもしれないからだ。

安い買い物ではないが、営業用のスーツだと思えば必要経費のうちだ。


「じゃ、ちょっとクワン工房に寄っていくか」


「あれ?今日の納品はもう終わったんじゃないの?」


とサラが不思議そうに言う。

サラは、最近は俺と帳簿を一緒に見ているし、納品のリストもチェックしているので靴の動きを掴んでいるのだ。

その声を頼もしく聞きながら、まあ、私用の試作品があってな。と言葉を濁してクワン工房に行く。


工房につくと、営業のアノールに挨拶をして試作品の靴をいれた箱を持ってきてもらう。

他の製品と同じように、木の箱に入りゴルゴゴ工房の意匠が焼き印をされているが、木の箱には染料で赤い線が入っている。


客用の待合室に座り、サラに箱を開けてもらう。

木の箱をサラが恐々(こわごわ)と開けると、そこには通常の靴より一回りサイズが小さく、赤く塗られた守護の靴が入っていた。


「わあ、可愛い!これ、女性用の靴ね!」


「そうだ。女性の冒険者用に試作した守護の靴だ。どうだ、履いてみるか?」


「え、履いていいの?」


「ああ」


サラは守護の靴を履いたことがない。これまでの製品は全て男性用だったので、足に合わなかったのだ。

初めて守護の靴を履いた人がするように、飛んだり跳ねたり、何かを蹴ってみたりと、一通りの動きをして感心をした後で、靴を脱ごうとしたので、俺はそれを止めた。


「え、なんで?脱がなくていいの?」


「ああ。その靴はサラのものだ。女性用の最初の靴は、お前に渡そうと思ってたんだ。これまで、ありがとうな」


事業を始めたのもサラの言葉が切欠だったし、事業をやっていけるのもサラのおかげだ。

その感謝を込めて、靴を送りたかったのだ。


靴を受け取ったサラは、


「最初から言ってよ!そうしたら壁を蹴ったりしなかったのに!」


と笑って、靴をいれた箱を抱きしめた。

俺が一緒につけた、手入れ用の花の香りのついた油と、フリルのついた上等な靴下も気に入ったようだった。

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