第13話 ブラッシングと昼間の闖入者!
三度目の出会いから数日……。
狼さんは、あれから毎日のように私がいる場所に訪れるようになった。
昼間、一人で王宮を散策している時や、地球の事を思い出して寂しくなっている時……、
私の心の空洞を満たすかのように、狼さんは傍に来てくれた。
優しくて温かな眼差しを向けてくれる狼さん、
焼き菓子がなくなっても、貴方はここに来てくれるんだね……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あ~! 駄目よ、動いちゃっ。ほら、大人しくして」
「グルル……」
いつものように、私の部屋へと訪ねて来てくれた狼さん。
その日は、前から内心やってみたくて仕方がなかった『アレ』を実行する事にした。
王宮のメイドさんから借りてきた、大き目のペット用ブラシ。
それを手に、狼さんにブラッシングをさせてくれるように頼んでみたのだ。
最初は、気乗りしないように腰を引いた狼さんだったけれど、私がどうしても!! とお願いすると、観念したように外窓の先にあるテラスへと歩いて行った。
大きな体躯を大理石の上に横たえ、こくりと頷いた狼さん。
私は嬉々としてペットブラシを片手に、狼さんの傍に座り込んだ。
ゆっくりと、陽の光に反射して、綺麗に光る銀色の毛並みをブラッシングした。
最初は大人しくしてくれていた狼さんだったけれど、途中からくすぐったくなったのか、小さく身動ぎを始めてしまった。
尻尾がパタパタと何度も上下に揺れて、身体がゆらゆらと動く。
「う~ん、私のブラッシングの仕方が下手なのかな」
手際が悪いから、狼さんも耐えられなくて動いてしまうのかもしれない。
ペットブラシを横に置いて、ふぅ、と溜息を吐き出すと、狼さんがバッと顔を上げて、目を左右に泳がせた後、四肢を投げ出して、『もうどうにでもして』とでも言うかのように顔を伏せた。
「いいの? 狼さん」
「……」
狼さんはこくこくと頷きを私に見せて、尻尾をゆらゆら揺らしている。
私は「ありがとう」と心優しい狼さんにお礼を言って、再びブラシを銀色の毛並みに通し始めた。
「あら? ユキ姫様、何をしてらっしゃるんですか?」
狼さんと日向ぼっこ付きブラッシングをしていると、外回廊の方から女性の声がした。
視線を外回廊に向けると、白衣を纏った二人の男女がそこに立っていた。
このウォルヴァンシア王宮に来た初日に出会った、王宮医師という立場にあるセレスフィーナさんと、同じ立場で双子の弟のルイヴェルさんだ。
あの初日以外にも、私の身体の事を診察したいという事で、何度か王宮医務室という場所で会っている。
「セレスフィーナさん、ルイヴェルさん、こんにちは! 天気が良いのでちょっと狼さんのブラッシングをしていたんです」
外回廊から、私の部屋の外にある庭に寄ってきたお二人が、ちらりと、視線を私の傍に向けた。
狼さんは、ブラッシング中に眠くなってしまったらしく、絶賛お昼寝中だ。
「……あの、ユキ姫様、この狼は……」
「ここに来た最初の日に出会った狼さんで、仲良くなってからは、いつもここに来てくれるんです」
腰を落として、銀色の狼さんを覗き込んだお二人が、微妙な顔をし始めた。
どうしたんだろう……。
セレスフィーナさんとルイヴェルさんは、小さく何か小声で話している。
だけど、その内容が私にまでは聞こえてこない。
「あの……、この狼さんが、何か?」
首を傾げた私に、眼鏡の似合うルイヴェルさんが顔を上げた。
「いえ、何でもありません。それより、この狼は毎日ここに?」
「はい。ほぼ毎日ですね。一日に何回か来てくれるんです」
「そうですか。……セレス姉さん」
「そうね、『あの話』の中身はユキ姫様が原因だったのね」
ルイヴェルさんとセレスフィーナさんが顔を見合わせ、何かに納得したかのように頷き合った。
何の話をしているのかは、残念ながら私には情報が少なすぎてわからないけれど……。
私達の話す声に、ようやく狼さんが目を覚まし、むくりと顔を上げた。
「……」
先程までいなかったお二人を視界に捉えた瞬間、顔を上げたまま固まってしまった……。
ルイヴェルさんが冷めた視線を狼さんに定め、
セレスフィーナさんが苦笑交じりの溜息を吐き出す。
「グルル……!!」
次の瞬間、静寂を破るように急に地を蹴って駆け出し始めた狼さん。
しかし、外回廊に向かって飛び出した狼さんは、そこに辿り着く前に芝生の上に頭から突っ込んで転んでしまった。
……何故?
狼さんは転んでしまった原因がわからずそちらに駆け寄ると、その後ろ足に、銀色の光を纏う紐……、よりは頑丈そうなものが巻き付いていた。
狼さんを拘束しているそれが、どこから伸びているのかを追っていくと、
「ルイヴェルさん?」
意外な事に、ルイヴェルさんの右手に繋がっていた。
この王宮に住むようになってから、レイフィード叔父さんに聞かされた魔術という存在。
おそらく、彼の手から発生しているそれは魔術の産物なのだろう。
しなるように長く丈夫そうなそれは、例えるなら鞭。
それがしっかりと、狼さんの後ろ足に絡み付いている。
「申し訳ありません、ユキ姫様。少々、そちらの狼に俺達は用がありまして……。逃げられては困るのですよ」
「は……、はぁ」
ズルズルと、ルイヴェルさんによってテラスの方へと引き摺り戻されていく狼さん。
一瞬この事態に呆けてしまった私だけれど、すぐに気を取り直して狼さんを見遣った。
「助けて……」と懇願するかのように蒼い瞳が私を見つめながら、引き摺られていく。
こんなに可愛らしい動物に、何て事をするの!!
私はテラスにいるルイヴェルさんに駆け寄ると、猛抗議を行った。
「今すぐに狼さんを解放してあげてください!! 可哀想に、こんなに怯えて……っ」
「クゥーン……」
「ユキ姫様、この狼の事は心配なさらなくて結構です。俺達も、……『お友達』なんですよ。そうですよね……『狼さん』?」
眼鏡の奥にある深緑の双眸が、妖しい光を宿したかのように狼さんを見下ろした。
な、……なんだろう、急に悪寒が……っ。
狼さんも耳を項垂れて、諦めたようにその場に伏せをしている。
「ユキ姫様は中へお入りください。あとは、私とルイヴェルが、この狼さんと少しお話をさせて頂いたら、解放いたしますので」
「えっと……で、でもっ」
「大丈夫ですよ、この狼は、……俺達が丁重にもてなしますから」
狼さんの首に新しい光の鞭を巻き付けると、ルイヴェルさんとセレスフィーナさんは、私に頭を下げて、そのまま外回廊の先にある通路へと消えて行ってしまった。
……本当に、大丈夫……なのかな?
姿が見えなくなる直前まで、狼さんは私を名残惜しそうな目で見つめたまま引き摺られていったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――それから三日後。
王宮医師のお二人に連行されていった狼さんは、あれから姿を見せてくれていない。
セレスフィーナさんに聞いても、「大丈夫ですよ」としか言ってくれなくて、本当に狼さんは無事なのかどうかが、最近の気がかりだ。
朝の勉強の時間を終え、私は自室でお茶の時間を過ごしていた。
メイドさんが運んで来てくれた、甘いチーズケーキと、香りの良いお茶。
料理長さんが私の為に腕を奮って作ってくれたらしく、一口食べただけで、夢見心地になる食感……。
舌の上でとろけるように馴染むケーキの生地とチーズクリームの味。
そして、ケーキと相性抜群の紅茶。神様、私はこんなに幸せでいいんでしょうか?
そう感じてしまうくらいに、私は頬が緩んでいた。
「ん?」
お茶の時間を楽しんでいると、ふと、外回廊の向こうから騒がしい物音と怒鳴り声が聞こえてきた。
それは徐々に大きくなり、庭へと誰かが駆け込んできたのだと感じた。
私は席を立ち、開いている外窓を抜けてテラスへと出た。
「いい加減観念しろ!! もう逃げられねーぞ!!」
「グルル……!!」
庭の中で、美しい雪景色を思わせるような白銀の髪に、首の内側付近に鮮やかな紅の色彩を纏う少年が、狼さんを鋭く睨み据えたまま怒鳴っている。
じりじりと……、狼さんを庭の隅に追い詰めていく少年……。
この前の王宮医師さん達の時といい、今日もまた、狼さんは大ピンチのようだ。
だけど、助けに入ろうにも、少年と狼さんの間にある緊迫感ようなものに阻まれて、簡単には割って入れそうにもなかった。
まさに一触即発、互いの動きを注意深く探りあっているかのような場の空気。
見ているだけの私も、その雰囲気に呑まれて言葉を発する事さえ出来なかった。
しかし……、次の瞬間、場が動いた!
少年が芝生を強く蹴って、狼さんに飛び掛かる!!
「お~ま~え~な~!!
避けるとか酷ぇーだろ!! 大人しく捕まれよ!!」
「……」
少年に捕まる直前、狼さんは空中に跳躍しその背後へと着地した。
ちらっと少年を振り返り、再び物凄い速さで外回廊に駆け込み、王宮内部へと続く通路へと走り去った。
「あの野郎ぉ……! 今日という今日は俺も怒ったぞ!! 絶対に踏ん捕まえて、説教してやる~!!」
怒りに打ち震えた少年がその後を追って、狼さん顔負けのスピードで消えていった。
……本当に何だったんだろう?
狼さんの事は勿論心配なんだけど、なんだか余裕そうだったし、
大丈夫……だよね、きっと。
そう良い方に納得した私は、再びお茶とケーキを楽しむ為に席へと戻った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その夜、一日を終え、そろそろベッドに入ろうかと思った矢先、外窓をタシタシと叩く音が聞こえた。
鍵を開け扉を開くと、狼さんが疲弊しきったような風情を漂わせながら入ってきた。
そのまま私の腕の中に倒れ込み、「クゥーン……」と鳴く。
何故こんなに疲労困憊しているのか、思い当たる原因はひとつしかない。
庭を去る際、凄い剣幕で狼さんの後を追いかけて行った少年。
きっと彼に、延々と追いかけ回されていたのだろう。
「狼さん、大丈夫? 何か甘い物でも持ってこようか?」
疲れた時には甘い物だと思い、私は狼さんにそう声をかけてみたのだけれど、フルフルと力なく頭を横に振られてしまった。
甘い物も受け付けないくらいに、体力的にも精神的にも疲労しているようだ。
狼さんは私の腕の中から抜け出すと、よろよろとベッドに向かって歩いて行った。
ベッドの上に大きな体躯を寝そべらせ、私をじっと見つめている。
あの日から、日常になったこの光景……。
実は、狼さんは、初めて添い寝をしてくれたあの日から、毎日のように私の傍で添い寝をしてくれるようになったのだ。
私の傍で眠り、その暖かな温もりで包んで私の眠りを守るように寄り添ってくれている。
お蔭で……、怖い夢に苛まれても、すぐに優しい光が現れて、私を救ってくれるようになったから。
怖い夢を見る頻度も徐々に減り、今では時々見る程度。
本当に、……この狼さんのお蔭だと感じている。
私は眠る準備を整えると、ベッドへと上がった。
「あれ……」
いつもだったら、私が眠るまで起きていてくれるはずの狼さんが、今日は疲労の為か、もう目を閉じてしまっている。
穏やかな寝息に連動するように、狼さんの身体が上下にゆっくりと動いている。
「本当に疲れてるんだなぁ……。お疲れ様、狼さん。おやすみなさい」
そういえば、セレスフィーナさんとルイヴェルさんに狼さんが連行されてからの三日間は、この部屋に狼さんが訪れる事はなかった。
私にとって、狼さんとの添い寝は、異世界に来てからの日常になりかけていたから、寝る時に消えてしまった温もりを思うと、少しだけ寂しかった。
だから、こうやってまた一緒に眠れるようになった事が、素直に嬉しい。
私は狼さんの頭をひと撫ですると、ベッドに横たわり上布団を自分と狼さんに掛けて目を閉じた。
――翌日、とんでもない事が待っているとは知らずに……。
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